9 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 22:58:47.55 ID:aaNMy+Nx0
腕に抱えるコーヒーの詰め合わせはいつになく軽かった。
行き交う人々の足取りも、
心なしか軽く見える。
九月も中頃に入り、
暑さも峠を越えたこの時期、
つい四週間ほど前の夏を懐かしんでしまうほどに、
快適な陽気が戻ってきた。
とはいえ、
夏は中元の配達に忙殺され通しだったため、
擬古にとって懐かしめるのは猛暑だけだった。
褐色に焼けた肌も、
海で焼いたものではない。
毎日のように、
重いビールの箱を抱えながら奔走していたのだ。
うだるような暑さではあったが、
辛くはなかった。
あの夏、
暑さよりも辛い体験をした擬古にとっては。
11 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:01:28.18 ID:aaNMy+Nx0
(,,゚Д゚)「はぁ……」
擬古は配達先がある住宅地を歩きながら、
小さく溜息をついた。
また思い出してしまったのだ。
あれは八月も半ば、
暑さがピークを迎えていた夏の夜だった。
クーラーの設置されていない2Kの和室アパートで、
ビールを飲みながらテレビを眺めていると、
出し抜けに畳のうえの黒い携帯電話が鳴った。
表示を見ると、
彼女からの着信だった。
その着信を見た瞬間擬古は、
来た……。と脂汗が滲むのを感じた。
今日、上司に連休をもらえないかと談判したが、
無理だの一言で一蹴されたことを、
彼女に報告しなければならない。
いくら食い下がったと弁解したところで許してもらえるのだろうか……。
擬古は一縷の望みにかけ、電話に出た。
13 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:04:42.58 ID:aaNMy+Nx0
(;,,゚Д゚)「も、もしもし」
平静を装いたかったが、
やはりどもってしまった。
声も若干震えているかも知れない。
固唾を呑んで彼女の言葉を待ったが、
一分ほどしても応答がない。
怪訝に思った擬古はもう一度、
もしもし、と語りかけた。
するとしばしの間をおき、あのね、と小さな声が返ってきた。
(;,,゚Д゚)「うん」
擬古は携帯を強く押しあてた。
「あのね……私……好きな……人ができたの」
言い淀みながらも、
彼女は明言した。
(,,゚Д゚)「え?」
ショック、というよりも、
擬古はまだ状況を把握できずにいた。
15 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:08:11.82 ID:aaNMy+Nx0
いや、違う。
まさかそんなはずは……。
(,,゚Д゚)「……」
言葉が浮かばなかった。
必死に思考をめぐらし、
なにか言葉を探している擬古に、
彼女は容赦なく止めを刺した。
「だから、別れてほしいの」
その一言で、
擬古の頭は真っ白になった。
携帯を落とし、
間の抜けたように眼と口を開けたまま放心してしまった。
見開かれた眼には、
なにも映ってはいない。
ただただ、
視界は真っ白に覆われていた。
擬古を嘲弄するかのように、
バラエティ番組の笑い声が、
部屋にこだます。
16 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:10:38.03 ID:aaNMy+Nx0
擬古が放心から覚めたのは、
それから数時間が経過した頃だった。
テレビの画面はすでに砂嵐になり、
笑い声はノイズに変わっている。
擬古は即座に携帯を手に取ると、
彼女に電話をかけた。
しかし、着信拒否をされたのか、
一向に繋がることはなかった。
どうすればいい……。
背後から奈落に突き落とされたかのような気分だった。
元々彼女は移り気な人だったのか、
それともやはり愛想を尽かされたのか、
どちらなのかわからない。
心当たりもなかった。
19 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:13:44.00 ID:aaNMy+Nx0
夏はギフトシーズンで忙しくなると、
以前から言い聞かせていた。
だから、
彼女も理解してくれているはずだった。
いや、それは俺の勘違いだったのか……。
確かめようにも、
もう電話は繋がらない。
付き合ってまだ二ヶ月だ。
彼女の自宅がどこにあるのかもわからない。
わかるのは、
理由も明かされず、
一方的に切り捨てられたという事実だけだった。
擬古は悲嘆に暮れることしかできなかった――
21 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:16:51.95 ID:aaNMy+Nx0
(,,゚Д゚)「……」
あれからも彼女とは連絡がつかずにいた。
いや、元彼女というべきなのだろうか。
しつこく電話をかけたり、
自宅を突き止めたりと、
ストーカー紛いの行為に出るわけにもいかなかったので、
擬古は漠然と日々を過ごす他なかった。
だが、彼女のことはもう諦めようと、
気持ちを切り替えることもできずにいた。
23 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:19:31.92 ID:aaNMy+Nx0
その時、半ば茫然と歩いている擬古の視界が、
長く続くブロック塀をとらえた。
塀から覗く黒い瓦ぶきの屋根。
目的の家に到着したのだと、
この時になってようやく気付いた。
擬古はいったん立ち止まり、
危うく通り過ぎてしまうところだったと焦りを覚えながら、
頭を左右に振った。
気を入れなおすために、
一度深呼吸をしてから再び歩き始める。
そのまま直進し、
両開きの門扉の前に立った。
25 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:23:37.06 ID:aaNMy+Nx0
家は木造の二階建てで、
特別でかくも小さくもない庶民的な佇まいをしている。
右側の門柱に届け人の名字が彫られた檜の表札が掛っているが、
インターホンはついていなかった。
勝手に門扉を開いて敷地内に入ってもいいのだろうか。
思案に暮れながら前庭を覗くと、
そこの右側にしゃがみ込んだ女性の後ろ姿があった。
白いブラウスと丈が長い濃紺のスカートを着け、
背中の半ばほどまで黒髪を伸ばしている。
擬古はその背中に声をかけた。
29 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:28:41.38 ID:aaNMy+Nx0
(,,゚Д゚)「すみません」
擬古の声に驚いたのか、
女性は体を一瞬びくりと震わせた。
首と腰を回し、ゆっくりと振り返る。
('、`*川
化粧気の感じられない色白の顔に、
柔和な垂れ眼。
歳は二十代後半から三十代か。
どちらともとれるが、見当がつきかねた。
(;,,゚Д゚)「あ、すみません。
脅かしちゃいましたか……」
謝罪しながら頭を下げる擬古を見て、
女性は焦った様子で首を振った。
('、`*;川「いえ、私のほうこそ気づかなくてすみませんでした」
擬古は胸を撫で下ろすと、
一呼吸置いてから届け物を掲げて見せた。
31 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:32:39.18 ID:aaNMy+Nx0
(,,゚Д゚)「伊藤さんにお届けものです」
('、`*川「ご苦労様です」
女性は会釈してから立ち上がると、
門扉を開いて擬古を招いた。
擬古も会釈を返し、
敷地内に足を踏み入れた。
('、`*川「ちょっとまっててください。
家から判子をとってきますので」
(,,゚Д゚)「はい」
女性はそう言い残すと、
丸い飛び石の埋め込まれたアプローチを通り、
格子戸を開けて家の中へと消えた。
34 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:38:50.75 ID:aaNMy+Nx0
擬古は女性が戻ってくる間、
家の周りを眺めていることにした。
庭の広さはせいぜい五、六十平米といったところか。
縁側と物干し台のある左側の一帯には芝生が敷き詰められており、
擬古が立っている右側の一帯は土の地面が露わになっている。
まるで境界線のようだと擬古は思った。
その擬古が立っている一帯には、
芝生の代わりに四つの灌木が塀に沿って植わっており、
深緑の葉群れが四角い輪郭をとっている。
他には、
無数の葉が小山となって擬古の足元に積まれていた。
その葉が灌木のものであることはすぐにわかった。
あの人がしゃがみ込んでいた理由はこれだったのか。
多分、焚き火でもするつもりなのだろう。
焚き火か……。
38 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:42:49.35 ID:aaNMy+Nx0
そのまま葉の堆積した小山を眺めていると、
正面から声がかかった。
「お待たせしました」
はっとして顔を上げると、
先ほどの女性が印鑑を持って擬古の前に立っていた。
右手には緑茶のペットボトルが握られている。
擬古は我に返ったように、
「あ、お手数おかけしてすません」と言いながら頭を下げ、
伝票を差し出した。
(,,゚Д゚)「では、こちらに判子をお願いします」
('、`*川「はい」
女性は伝票に判を押し、
擬古に渡した。
39 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:44:49.93 ID:aaNMy+Nx0
(,,゚Д゚)「ありがとうございます。
では、お荷物を玄関までお運びします」
女性は笑顔を浮かべながら手を振った。
('、`*川「いえ、ここで渡してくださって結構ですよ。
そんなに重いものでもないんでしょ?」
(,,゚Д゚)「ええ。ですが割れ物なので注意してください」
女性は頷くと、
擬古から渡された荷物を赤子を扱うように優しく抱え、
右手に持った緑茶を差し出した。
('、`*川「よかったら飲んでください」
擬古は恐縮したが、
せっかくの厚意を無下にするわけにもいかないので、
(,,゚Д゚)「ありがとうございます。いただきます」
と礼を言い、素直に受け取った。
配達が完了し、
あとはこの場を後にするだけだったが、
擬古は思い切ってある質問を投げかけてみた。
42 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:51:18.01 ID:aaNMy+Nx0
(,,゚Д゚)「焚き火、ですか?」
('、`*川「え?」
女性が疑問の表情を浮かべる。
擬古は足元の小山を見下ろした。
その視線に気づいた女性は、
思わず破顔した。
('、`*川「ええ、そうですよ。
ようやく暑さも治まってきたので、
気が早いかもしれませんが」
(,,゚Д゚)「……」
擬古は小山を諦視したまま硬直していた。
じっと何かを考えているかのように。
しかし女性には擬古がなにを考えているのかなど、
皆目見当がつかない。
意を決し、
恐る恐る声をかけようとしたときだった。
擬古が顔をあげ、
硬い表情で女性の眼を見つめると、
呟くようにこう言った。
45 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:54:16.78 ID:aaNMy+Nx0
(,,゚Д゚)「あの、お願いがあるのですが」
('、`*川「お願い?」
(,,゚Д゚)「はい」
擬古はズボンの尻ポケットから黒革の財布を取り出すと、
そこから一枚の写真を抜き出した。
それは、
彼女と付き合って初めての遊園地デートで撮った写真だった。
煌びやかなイルミネーションの施された観覧車を背景に、
二人が笑顔を浮かべている。
擬古はその写真を提示しながら、
女性に言った。
(,,゚Д゚)「この写真も一緒に焼いてほしいんです」
唐突な申し出に女性は胸を突かれた。
戸惑いの表情を浮かべる女性に擬古は続けた。
49 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/05(土) 23:56:35.38 ID:aaNMy+Nx0
(,,゚Д゚)「今ようやく決心がついたんです。
お願いできないでしょうか」
淡々としていながらも、
決意の込められた口調だった。
無表情でありながら、
その眼には確固たる意志が宿っていた。
隠然たる圧力に気圧されたかのように、
女性は頷いた。
('、`*;川「わ、わかりました。
葉っぱのうえに置いておいてください」
(,,゚Д゚)「ありがとうございます」
擬古は恭しく頭を下げ、
小山にしゃがみこむと、
写真を裏向きにしてそのうえに置き、
そっと立ち上がった。
そのごく自然な動作に、
躊躇いは感じられない。
54 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/06(日) 00:00:12.60 ID:4ynrtOU40
茫然と立ち尽くす女性に、
擬古は深々と頭を下げた。
(,,゚Д゚)「無理を聞いていただき、
本当にありがとうございました」
('、`*川「いえ」
控えめな声で、女性が返す。
(,,゚Д゚)「それでは、失礼します。
お茶、ありがとうございました」
最後にもう一度深く頭を下げ、
回れ右をした。
悠然とした足取りで門扉を潜ると、
そのまま塀に隠れて姿が見えなくなった。
女性はその様子をじっと見送ってから、
視線を小山に落とした。
写真は裏面になっている。
だが、表にしてみようという気は起きなかった。
女性は写真が風に飛ばされないよう、
その上に石を置き、家へ向かった。
59 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/11/06(日) 00:09:25.39 ID:4ynrtOU40
Fin