・じじいとぼく





あのじじいに出会ったのは、僕が小学五年生の頃だ。

クラスメイトにいじめられて、
じじいの家のみかんを採ってこいと言われ、家に侵入した時だったと思う。

家の持ち主であるそのじじいは
近所の子供達にとっては雷のように恐れられており、
一度じじいの家に悪戯をしようとすると、
まるで光のような早さで側まで駆け寄り、子供を竹箒ではったおし、
仲間を置いて逃げ出そうとする子供の首根っこを引っ掴み、
そしてしわがれ声を張り上げ、腹に響くような重低音で子供達を叱る。

そんなじじいの動きに由来しているらしかった。


そのじじいは何年も前からそこに住んでいるし、
近所の子供達もじじいの家に悪戯を仕掛けたら何が起こるかはよーくわかっていた。

しかし、じじいに悪戯を仕掛けたという事実は一種のステータスにもなり、
それに成功した場合、仲間から一気に勇者に祭り上げられる事は間違なかった。
なので、じじいの恐ろしさを知っていながら、戦いを挑む猛者は後を絶たなかったのだ。

その殆どが、じじいの竹箒によりこてんぱんにされた後、親にこっぴどく叱られる事になったのだが。


次第にじじいは、近所のおっかない爺さんというレベルから、
捕まったら食われるとまで言われ、今まで以上に恐れられるようになった。

悪戯をしようとも思わないおとなしい子供も、
知らず知らずのうちに張り巡らされた子供ネットワークによってじじいの情報を得ており、
そのネットワークを通じて流れていったじじいの情報は尾ひれがつき背びれがつき。

怒ると角が生えるだとか、目に変な傷があるのは昔ヤクザだったからだとか、
そんなうわさ話のせいで、いつの間にかじじいは本物以上に恐ろしい存在になっていったんだと思う。



僕はそのかみなりじじいの話を、転校して来たこの小学校で聞いた。
聞いたというよりも、盗み聞きしたと言った方が正しいか。

家に帰る時にじじいの家の前を通るのだけれど、
その話を聞いてからは、何も悪い事はしていないのに異様に警戒して通るようになった。


そういう風に常に警戒し続けたため、かみなりじじいを生で見る事は中々無かった。
たまに、悪戯をした子供を追いかけて塀の外へ出てくるのを見た事があるぐらいだ。

だが、そうしてなるべくかみなりじじいを避けていた僕の努力もむなしく、
クラスメイトの手により僕はじじいに出会わざるを得なくなってしまった。



  _
( ゚∀゚)「ショボンー」

(;´・ω・`)「な…なに?」
  _
( ゚∀゚)「お前さー。あのかみなりおやじ知ってる?」

(;´・ω・`)「う、うん」
  _
( ゚∀゚)「俺急にさ。あそこの庭にあるみかんが食べたくなっちゃったんだよねー」
  _
( ゚∀゚)「だからいきなりで悪いんだけど、あのみかん取って来てくれないかな?」

(;´・ω・`)「え……」
  _
( ゚∀゚)「真っ向勝負を挑んでも絶対無理だからさ! じじいが見てない隙に忍び込んでこいよ!」

(;´・ω・`)「無理だよ……。できっこないよ……」
  _
( ゚∀゚)「んだよショボン! あれ取って来たらお前の体育着も返してやるからさ!」

(´・ω・`)「……」




当時の僕は、転校が多かったせいか全体的に淡白な考え方をしており、
仲間なんか煩わしいと、一人で行動する事が多かった。

仲良くなってもすぐに転校の繰り返し。
だから最初から仲よくなる努力をしたって、すぐに転校でその努力もチャラになってしまう。
そんな思いから次第に僕は、友達を作るどころかクラスメイトと話す事すらしなくなっていったのだ。

仲間意識が強く、いつも友達とつるんでいるやつから見れば
いつも一人で義務的な事しか話さない転校生なんて
すかしてるやつと見られたり、格好つけてると思われてもおかしくないだろう。


背も小さく、泣き癖もあり、
筋力が弱かった事も原因の一部にあると思う。

僕はクラスの大柄ないじめっ子に狙われ、
上履きを隠されたり、体育着袋を木の上に放り投げられたり、
決して幸福とは言えない少年時代を送っていた。

今考えると、いじめというよりちょっかいとかに近かったのかもしれない。
だけどその時はそれが本当に嫌で嫌で、毎日学校に行くのが苦痛だった。
けれど親に心配をかけさせる方がもっと嫌だったので、
仕方なく毎日学校に通っていた。今思い出しても嫌な記憶だ。

  _
( ゚∀゚)「よし! じゃあ帰りに掃除当番終わったら校門の所来いよ! 逃げんなよ!」




そんなこんなで、僕はいじめっこその他数人にはやし立てられ、
帰りの会が終わった後に涙目になりながら
帰宅途中にあるかみなりじじいの家へ向かった。

いじめっこ達のランドセルを全部持ち、涙を拭う事も出来ずにとぼとぼと歩く。
今思い出しても泣きそうになる。あの時程、時間が長く感じられた事もなかった。


かみなりじじいの家の前についた。
僕は家の門を地獄の釜への入り口のような気持で見る。
今からでも逃げれないかな、なんて思ったが、こう囲まれていてはそれも無理そうだった。

  _
( ゚∀゚)「うーし。じゃあ、目標のみかんはアレだからな!」


いじめっこは庭の奥の方にある一本の木を指差す。
塀の上から頭を出した木には、たわわに実ったみかんが何個か見えた。

僕は荷物を降ろし、泣きながら塀をよじ上る。
菱形の穴に足を駆け、上半身を乗り上げたときだ。

ちょうど、庭いじりをしていたじじいと目が合った。



(;´;ω;`)

( ФωФ)

(#ФωФ)「……こらぁぁぁぁぁぁ!!!!」



話に聞いた通りだった。

とても老人とは思えない動きで立ち上がり、門へ向かう。
じじいの怒声は腹に響き、僕は思わず手の力を緩めてしまい、塀の下に情けなくぼとりと落ちた。
いじめっこ達は口々に何か喚きながら逃げていく。

じじいに僕を怒らせて楽しむつもりだったのだろう。最初からわかっていたけど。

(#ФωФ)「なにをしていた!」

(´;ω;`)「ひ……」

(#ФωФ)「答えろ! お前は何をしようと思って……」


そこまで言うと、じじいは腕を組んで僕の顔をまじまじと見つめて、急に怒鳴るのをやめた。
僕は見つめられたというよりも睨まれたと思い、
まさに蛇の前の蛙のように、そこから動く事が出来なかった。


( ФωФ)「……いつもの悪餓鬼とは違うようだな」

(´;ω;`)「……」

( ФωФ)「そう泣くな。お前も男だろう」


じじいは釣り上げていた眉毛を下ろし、僕に手を差し伸べて来た。

少しの間、その黒ずんだしわだらけの手の平を見つめていたけど、
しばらくして僕を起こしてくれようとしている事を理解し、その手に捕まって僕は立ち上がった。


( ФωФ)「見かけない顔だな。どこから来た?」

(´;ω;`)「……」

( ФωФ)「黙っていては何もわからないぞ」

( ФωФ)「まぁいい。話を聞いていたが、お前はあのみかんが欲しかったのか?」

(´・ω・`)「……」

( ФωФ)「……とりあえず、うちに来なさい。お茶を御馳走してあげよう」


じじいは着物の裾に手を引っ込ませて、中で腕組みをすると門へ入っていった。
年の割に体格がよく、背筋はぴんと空に伸び、白髪まじりの頭を見なければ普通の男の人のように見える。
そんなじじいの後ろ姿を見ながら、僕は迷っていた。


じじいが見ていない今なら、ダッシュで逃げる事も出来るだろう。
だけど、もしここで逃げてじじいが追っかけて来て箒でタコ殴りにされたら?

今考えると、そんな事するはずは無いと思うのだが、当時の僕はそのような事を真剣に考えていた。
結局導きだした結論は、おとなしくじじいに着いていき、家の中に入る事。


僕は虎の住処に足を踏み入れるような気持で、
生唾を飲み込み、一歩。また一歩と、じじいの家の門の中へ足を踏み入れていった。

( ФωФ)「その辺りに座っていなさい」

(´・ω・`)「……」


家の中に案内された。
以外にも物は少なく、鈍い光沢を放つちゃぶ台の前に正座で座り、辺りを眺め回してみる。

取っ手のはげた桐箪笥が僕の後ろに鎮座しており、
その上には位牌が二つと、淡い煙をたなびかせる線香が置いてあった。
もちろん、小学生に戒名なんて難しい物は読めない。
すぐに興味を無くして、開け放された庭の方に目をやった。

外からは塀に阻まれて見えなかったが、結構色々な植物が植わっている。
花開きそうなひまわりの周りに、しそとヨモギが好き勝手に伸びて光合成をしていた。
オシロイバナや木に絡まったカラスウリのツタなどを見る限り、放っといても育つ植物が多かった気がする。

僕をちゃぶ台の前に座らせたじじいは、畳をすりながら台所らしき場所へ向かう。

庭から入り込む夏みかんの香りを嗅いでいたら、台所からじじいが戻って来た。
じじいは小さなお盆を持っていて、その上に麦茶と水ようかんが控えめに乗っかっていた。


( ФωФ)「食べなさい。食べれば元気になる」

(´・ω・`)「……ありがとうございます」


向かい合うようにじじいがちゃぶ台の向こうに座り、自分は麦茶を飲んでいる。
だが相変わらずその目は僕の顔に向けられており、
僕がしようとした事と先程の怒鳴り声とを思い出し、緊張してしまう。

じじいに勧められて仕方なく食べた羊羹の味は、まったくわからなかった。

( ФωФ)「さて。お前はさっき何をしようとしていたのだ」

(´・ω・`)「……みかんを……とりに……」

( ФωФ)「大方、あの悪餓鬼に脅されたのだろう。その表情を見ればわかる」

(´・ω・`)「……すいません」


あぐらをかき、じじいは僕に静かに話しかけて来た。
さっきあんなに僕の顔を見つめていたのは、表情を読もうとしていたのだろうか。

僕も羊羹ののった小皿をちゃぶ台に置き、ももの上に握りこぶしを置く。
いつ鉄拳が飛んでくるか。怒鳴り声が僕に向けられるか。

怖くて仕方が無かった。

だけど僕の予想に反し、じじいは静かな口調のまま話を続ける。
それに心無しか、怒っているというよりも小さな子を慰めるような感じに思えた。

その時の僕はまだ泣き止んだばかりだったから、じじいも優しく接してくれたのかもしれない。


( ФωФ)「忍び込み、盗もうとする事は道徳的にいけないことだ。それはわかるな?」

( ФωФ)「みかんが欲しいなら、素直に下さいと言いにくれば良いのだ」

(´・ω・`)「……はい」

( ФωФ)「……反省しているようだな。だが、あのような者達に反撃する事もなく屈するお前もいけない」

(´・ω・`)「……」



( ФωФ)「何もせずにやられるのではなく、何か行動を起こしてみなさい。そうすれば何か変わる事が出来るはずだ」

(´・ω・`)「……そんな事言われても」

( ФωФ)「?」

(´・ω・`)「僕は力も弱いし、そんな事しても倍返しされるのがオチです。反撃なんて出来ません」


僕のようなひ弱な子供が、いじめっ子その他大勢に反撃しても結果は目に見えているだろう。
そう思っていたから、今まで一度もやり返す事は無かった。

じじいの目線から逃げるように目線を畳の方に逸らし、
僕は膝の上の拳を一層強く握った。


( ФωФ)「たわけものっ!!」



僕のつむじの辺りに、空気の振動が伝わって来た。

おそるおそる目を上げ、じじいを見る。
大声の割にじじいはそれ程怖い顔はしておらず、
僕の心を見透かすような眸が、こちらを向いていた。

( ФωФ)「お前は今まで一度も、反撃しようとは思わなかったのか?」

( ФωФ)「それは、逃げて来ただけだ。一度相手と向き合って見なさい」

( ФωФ)「お前のように体が小さい者でも、やり方次第で相手に勝つ事は出来る」

( ФωФ)「例えば、影が大きく映っているからと言って、その本体が大きい物だと限られるか?」

( ФωФ)「もしかしたら、遠くから光が当たっているだけかもしれないぞ?」

(´・ω・`)「……」


僕の中で、何かが蠢く感覚がした。

よく考えてみろ。いじめっこはいつも仲間と一緒にグループでいる。
一人で行動し、一人でかみなりじじいに悪戯を仕掛ける事はまず無い。
そして、それは僕にも当てはまる。
決まってグループで、僕を囲んで威圧してくる。

そうだ。仲間がいるから虚勢を張る事が出来るんだ。
ならば、一対一で戦いを挑んだらどうなるだろう。

もしかしたら、僕でもあいつに勝てるかもしれない。


僕の思いは、透けて顔に表れていたのだろうか。


( ФωФ)「……いい目だ。強い意志が見て取れる」


じじいはその堅物そうな顔を少しゆがめて
僕の頭をくしゃくしゃとなでてくれた。

僕自身の汗の匂いと、夏みかんの匂い。
それに混じってじじいから、湿った土の匂いが漂って来た。



それから、僕は度々じじいの家にお邪魔する事となった。

と言っても、僕自らじじいの家に遊びに行く訳ではない。
下校中の僕を捕まえて、じじいが何かと僕を家に招き入れるのだ。


あの一見以来、じじいがそんなに怖い人ではない事がわかったからそこまで拒絶はしなかったのだけれど、
修行と称して木刀素振り100回させるのには閉口した。

いじめっこに追っかけられたりしている時に、僕を家に匿ってくれる事もあった。
お気に入りなのか知らないが、使い込まれた竹箒を竹刀のように扱い、
いじめっ子達に向けて踏み込みながら思い切り振り切る。

振り切る前に、いじめっ子達は口々に文句を言って逃げていってしまったけれど。

じじいとの木刀素振りは、主にじじいの家の庭先で行われた。


かんかん照りの太陽の下、素振りが終わるまで休憩は一度も無い。
夏の太陽は植物に取っては嬉しい事かもしれないけど、
人間の僕に取っては体力を奪う物以外の何者でもない。

だけどじじいはへたばる素振りを見せずに、大体僕よりも先に素振りを終え、
後は僕が木刀を振る様子を色々と口出ししながら見ている事が多かった。
汗はかいているようだったけど余り疲れていないらしく、口を開いて息をしているのなんて見た事も無い。

しかも、素振りを150回やった後だというのに。


(#ФωФ)「後47回! 腕を止めずに正しい姿勢で!」

(;´・ω・`)「腕が……筋肉痛が……休ませて下さいよ」

(#ФωФ)「たわけものっ!! 何事も我慢が大事! 臍下丹田に力を込めて! そら!」

(;´・ω・`)「あ、あの。臍下丹田がどこかわからないんですけど」

( ФωФ)「ヘソの下辺り! ここに力をいれればどのような猛者も一発で倒せるぞ!」


聞いたときは半信半疑……というよりも殆ど信じようとも思っていなかったけど、
じじいの素早い動きや、いじめっ子に制裁を与える時にげんこつの振りかぶり方を思い出すと、

なるほど納得。

じじいはいつもこのような修行をしているから、子供相手に負けない動きも出来るし、
素早く振る下ろす豪腕で、餓鬼にたんこぶを作り出す事が出来るのかもしれない。


僕はじじいの強さの秘密を知れた気がして、少し嬉しくなった。

強さの秘密というよりは、あのかみなりじじいの家にお邪魔し、
こうして特訓をさせてもらっているという事実が、
誰に自慢する訳でもないけど少し誇らしかった。


地獄のような素振りをやっと終えた後は、
縁側で桃を食べたりしながら、じじいに色々な事を教えてもらっていた。

柑橘系の匂いは蚊の嫌いな匂いという事。
ほおずきで笛が作れる事。
朝顔、昼顔、夜顔がある事。

庭に大量に植物が生えているだけあり、じじいは草花の知識が豊富だった。
雑学のような物から、役に立ちそうな物まで。


(´・ω・`)「草花を育てる事が趣味なの? 庭にもいっぱい生えてるし」

( ФωФ)「草花は好きだが、趣味ではない」

( ФωФ)「今は無趣味だが、唯一、写真撮影だけはよく行っていた」

( ФωФ)「草花の写真を撮ったりしたもんだ。桜、ひまわり、紅葉、ふきのとう……」


あごにわずかに生えたひげをさすりながら、じじいは思い出すように目を瞑る。
その瞼の裏には、この庭のように様々な植物が葉を広げているのだろうか。

だけどじじいの言葉に、僕は小さな疑問を覚えた。
写真を撮っていた。という割には、じじいの家に写真は一枚も無い。

カレンダーだって日めくりだから写真が入る隙間も無いし、
位牌はあったけど遺影は置いてない。

(´・ω・`)「今はもう撮ってないの?」

( ФωФ)「写真を撮るのは、もうやめたんだ」

( ФωФ)「カメラなんぞ見たくもない」

(´・ω・`)「……?」


じじいは忌々しそうにつぶやき、急に庭に立ち上がるとまた素振りを開始した。
なんだかさっきよりも荒々しく木刀を振るじじいを見て、僕はいい知れぬ不安感に襲われる。
昔何かあったのだろうか。


じじいは一心不乱に数を数える事もなく、木刀を振り続けていた。

まるで何かを消し去ろうとしているみたいに。


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