・ぼくとじじい







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それから僕は、遠い街で大人になった。

今では立派な社会人。毎日仕事に行って、
職場の女性とお付き合いなんかしたりして。
人付き合いを面倒くさがるくせは無くなり、
特に問題もなく、人間関係は円滑であり、仕事も上場。

忙しいけど、充実した毎日を送っていた。



だけど僕は忘れていなかった。じじいの言ったあの言葉。


( ФωФ)「絶対に忘れはしない。またお前が大人になった時に、ここで会おう。約束だ」



あの後じじいが送ってくれた封筒には、写真と小さな手紙が同封されていた。


新しい地に旅立って行った僕への応援の言葉と、
毎日の鍛錬を忘れるなかれ。という堅苦しいお言葉。

臍下丹田の事も書いてあって、番長に絡まれたときはその事を思い出せ。
なんて、じじいにしては少しおかしい言葉も書き込まれていた。
番長なんていなかったが、多分じじいは本気で言っていたんだろう。


その手紙は今でも大事にとってあるし、写真も写真立てに入れられて飾られている。
その二つを見れば、今でもあの固い顔と、低い雷鳴のような声が思い出せる。

そして僕は夏のある日、じじいに会いに行く事を決意した。
生活も安定しそれなりの収入もある。有給休暇もとった。準備は万端だ。


電話番号はわからないが、住所は封筒に書いてあったのがある。
その住所を頼りに、僕は小学生の時に一年間住んでいた街に戻って来たのだった。

(´・ω・`)「……ここだ。確かにここだ」


すっかり古くなり、塀にひびが入ったじじいの家。
玄関先には『杉浦』の表札がかかっており、
確かにここだったはずだけど、一応自分の記憶と住所を照らし合わせて確認する。
心臓が脈打つのを感じながら、僕は家のドアをノックした。

だが返事は無い。
何回か試してみたけど、物音一つ聞こえない。
庭の方に回ってみると、庭は荒れ放題の状態で放置されており、
名も無い草がびよびよと蔓延っていて、かつてじじいの庭のだったという名残と言えば、
今なおみかんを作り続けている、健気な夏みかんの木だけだった。

もう何年も人の手が入ってない庭を見て、僕の頭に嫌でも悪い想像が浮かぶ。
……じじいはもう、死んでしまったとか?


いてもたってもいられなくなり、庭から出るとすぐさま隣の家のインターホンを鳴らした。
そこの人の話によると、数年前にじじいは老人ホームに入ってしまったらしい。
じじいの遠い親戚が、じじいを介護をする人がいない事を理由に、
老人ホームに押し込んでしまったのだ。


介護? 老人ホーム? 取り合えず死んだ訳では無さそうだ。


そこの人にじじいの入った老人ホームの名前と住所を教えてもらい、
車を飛ばしてさっそくそこに行く事にした。


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('、`*川 「へぇ。杉浦さんの知り合いなんですか」

('、`*川 「杉浦さん、親戚の方も余りお見舞いにこなくて……」

('、`*川 「お知り合いの方で杉浦さんに会いに来たの、あなたが初めてです」


たどり着いた老人ホーム、『美府の森』の駐車場に車を止めて、
僕は受付でじじいの名字を述べるとすぐにこの人が案内をしてくれた。

なんというのかな、こういうひ人はヘルパーというのだろうか。
淡いピンク色のエプロンをつけて、髪をバレッタで止めた女性の後を、たわいもない会話をしながらついてゆく。
病院のようだけど、すれ違う人はお年寄りしかいない。当たり前か。

二階の廊下は建物の北側に面しており、外は障害物が無いため、北側にも限らず
窓からは初夏の日差しがさんさんと入り込んで来ている。
だけど廊下は冷房が効いているので、あまり熱さは気にならない。

それよりも眼下に広がる田んぼと所々にある小さな林を眺めながら、
庭から離れる事になってしまったじじいも、またこれだけ自然が広がる場所に来れて
嬉しいだろうな、なんて思ったりしていた。


外に気を取られていると、いつのまにか部屋にたどり着いたようだった。
廊下の一番端、東側の部屋の入り口には、『杉浦』と名前が書かれた札がついている。
僕は久しぶりに会うじじいの姿を想像すると共に、少し緊張しながら、
ドアを開けた女性の向こうに、じじいの姿を確認した。


(ヽФωФ)


(´・ω・`)「……」


そこには変わり果てた姿のじじいが、
ベッドから起き上がる状態で座っていた。

頬はこけて、白髪は増えて、今では髪の毛全部が真っ白け。
背中は猫背気味になっていて、そんな上体を起こして
窓の外に広がる田んぼと、ちょうどこの部屋の下にある、中庭の木々を眺めている。

僕や女性が入って来た事には気づいていないのか、なんの反応も示さない。
ベッドの横には小さな椅子と箪笥が置いてあり、
箪笥の上にはかごに入ったみかんが数個佇んでいた。

(´・ω・`)「じz……いや、杉浦さん」

(ヽФωФ)「……」

(´・ω・`)「お久しぶりですね」

(´・ω・`)「僕は大人になりました。そして、自分の力であなたに会いに来ました」

(ヽФωФ)「……?」

(´・ω・`)「……杉浦さん?……」


じじいは僕の方に顔をやったけど、僕を見つめてはいないように思えた。
僕を通り越して、そのさらに先の何かを見ているようだ。

余りにも反応がないので、壁際に立っていたヘルパーさんが
じじいの耳元で僕の来訪を丁寧にじじいに告げてくれた。

('、`*川 「杉浦のおじいちゃーん。えっと……お客さんが会いに来てくれましたよー」

(ヽФωФ)「……?」

('、`*川 「もしかしたら、あなたの事覚えてないのかもしれないわねぇ」

(´・ω・`)「え?」

('、`*川 「あれ、あなたなんで杉浦さんがここに来たか知らないの?」

(´・ω・`)「え、えぇ。詳しい事は」

('、`*川 「杉浦さん、ボケちゃったのよ」

('、`*川 「今では誰彼構わず人を捕まえて、奥さんの名前を呼んだり息子さんの名前を呼んだり」

('、`*川 「もともとはしっかりした人だったらしいんですけどね」


ヘルパーさんがそう言った所で、じじいがぶつぶつと呟きだす。
何を言っているのかわからないけど、僕は耳を近づけて必死に聞き取ろうとする。
もしかしたら何か大事な言葉なのかもしれない。僕に何かを伝えたいのかもしれない。

だがその言葉は僕の予想とは違い、支離滅裂で何を言いたいのかまったくわからなかった。

(ヽФωФ)「あ、あれがそうだよ。みかん。お前、みかん好きだろう」

(ヽФωФ)「庭に植えて……な。これ。うまいから食ってみろ……」

(ヽФωФ)「美味しいか……もっと沢山食べれるといいな……」

(ヽФωФ)「よかったなぁ……そうだ、シャキン。冬みかんも植えようか……」

(ヽФωФ)「そうすればきっと……いつでも食べれるように……」


変わり果ててしまったじじいの姿に僕は泣きそうになったがなんとかこらえて、
懐からあの写真を取り出す。じじいと、僕がみかんの木の前に立っているあの写真。

変に顔を歪めたじじいと、泣きはらした腫れぼったい目をさせた僕。
なんだか不思議な組み合わせだけど、僕はこの写真を大層気に入っている。
この写真を見せれば、じじいも僕の事を思い出してくれるかもしれない。

(´・ω・`)「杉浦さん。これ、覚えてます? 昔あなたと撮った写真です」

(ヽФωФ)「……! おおお……」


その写真をじじいの前にやると、じじいは僕に対して初めて反応を示した。
僕の方を見た後、脇にあった台を兼ねている小さな箪笥の中から何かを取り出す。

それは、僕が持っている物と同じ写真。
その写真を、骨張った指で指しながら嬉しそうに僕に語りかけてくる。


(ヽФωФ)「これは……私の自慢の息子なんです」

(ヽФωФ)「シャキンと言いましてね……。勉強もできて……運動も出来て……優しい子なんです」



違う。

これは僕だ。じじいの息子さんじゃない。

(ヽФωФ)「みかんが好きで……植物が好きで……」

(´・ω・`)「……違う」

(ヽФωФ)「……?」

(´・ω・`)「……それは僕だ。息子さんは、もう死んだんだ」

(ヽФωФ)「……? 息子は今も生きています」

(ヽФωФ)「今はきっと、外に遊びに行っているのでしょう」

(´・ω・`)「……気づいて下さい。思い出して下さい」

(´・ω・`)「息子さんは、火事でお亡くなりになりました。奥さんは、病気で死にました」

(ヽФωФ)「……そんな事を言わないで下さい」

(ヽФωФ)「誰だかわかりませんが、息子は生きているし、妻は側で微笑んでいる」

(ヽФωФ)「死んでなどいない」

じじいは僕を睨みながら、ベッド脇にある椅子を震える指で指し示す。

きっとじじいには、この椅子に座りじじいに向けて微笑む奥さんが見えるのだろう。
眼下の庭で、元気に走り回る息子さんが見えるのだろう。


ボケてしまったじじいは、今も息子と奥さんが生きていると思っているんだ。
何も思い出させないで、このままそっとしてあげる方が今のじじいにとって幸せな事なのかもしれない。

だけど、僕を忘れてしまっているという事実を、目の前に突きつけられるのはとても重かった。
あれだけ世話になり、話をし、短期間とはいえ、同じ時間を過ごしたじじい。


本当に僕の事を忘れてしまったのだろうか。

(´;ω;`)「……」

(ヽФωФ)「……なぜ泣くのです。何が悲しいのです」

(´;ω;`)「あなたが、僕を思い出してくれない事が悲しいのです」

(´;ω;`)「思い出して下さい。僕の事を、思い出して下さい」

(ヽФωФ)「……すいません。私はあなたを知りません」

(´;ω;`)「……僕は、ショボンです」

(ヽФωФ)「……!」


申し訳無さそうな顔をしていたじじいが、
今僕の名前を言った時、わずかに眉を動かした。
まだ望みはあるかもしれない。僕はそのままじじいの返事を待たずに、言葉を放つ。

(´;ω;`)「僕はショボン」

(´;ω;`)「あなたの家に忍び込もうとしました」

(´;ω;`)「あなたに手ほどきを受け、いじめっ子を追い払う事も出来ました」

(´;ω;`)「あなたに様々な植物の名を教えてもらいました」

(´;ω;`)「あなたは喜ぶと僕にみかんをくれました」

(´;ω;`)「そして僕の頭を撫でてくれました」

(´;ω;`)「ここまで言っても! あなたは思い出す事が出来ないのですか!」

('、`;川 「ちょっ 落ち着いて下さい!」


僕は思わず怒鳴り、じじいのベッドに突っ伏す。
後ろからヘルパーの女性が僕の肩をつかみ、落ち着かせようとしてくる。

でも僕は、そのままじじいの布団にすがりつき泣き続ける。
この年になっても、僕の泣き癖は治っていない。
感情の高ぶりを押さえる事が出来ない。

涙で布団を濡らしながら、僕は叫ぶ。


(´;ω;`)「思い出して下さい!」

(´;ω;`)「僕は、僕はショボンです!」

(ヽФωФ)「……」


ベッドに伏せているため、じじいの顔は見えない。今どんな顔をしているかもわからない。
でも、ふと僕の頭に心地よい重さの何かが乗る感触がした。

(ヽФωФ)「……泣かないで下さい」

(ヽФωФ)「あなたも、男の方でしょう。そう人前でむやみに泣くものではありません」

(ヽФωФ)「何が悲しいのか、私にわかってあげる事は出来ません」

(ヽФωФ)「……それは、私が原因なのかもしれません」

(ヽФωФ)「……すいません……すいません……」


じじいは謝りながら、僕のあたまをくしゃくしゃと撫でてくる。
少し力は弱いけど。手の平が小さくなった気がしたけど。

それはまぎれもなく、じじいの手の平で。

(´;ω;`)「……」

('、`;川 「大丈夫ですか?」

(´;ω;`)「すいません……お騒がせしました。もう帰ります」

('、`*川 「本当に、もういいんですか?」

(´;ω;`)「病気ですし。思い出せないのも仕方がありません」


じじいに頭を撫でてもらった事で、僕は少しだけ理性を取り戻した。

そうだ、これは病気なんだ。
思い出せなくても仕方が無い。僕が怒鳴ったからって、じじいの記憶が蘇る訳じゃない。
ただ小さくなって謝るじじいを見て、僕はこれ以上こんなじじいを見続ける事が嫌になって。

服を整え涙を拭い、床に置いておいた荷物を持って病室を出て行こうとする。
困り顔の女性の横を通り過ぎ、部屋を出て行こうとした時だ。
後ろから、しわがれた細い声がした。

じじいが、僕を呼び止めたのだ。

(ヽФωФ)「……待って下さい」

(ヽФωФ)「……せっかく来てくれたのです。これを差し上げます」

(ヽФωФ)「これを食べればきっと、涙も止まるはずです」


折れてしまいそうな上体を伸ばし、ベッドわきのみかんを手に取り、
僕の方に差し出してくる。
両手に乗った、ふたつのみかん。

僕はそのみかんをそっと受け取り、皮をむく。
口にほおばると、柑橘系の匂いが鼻を通り抜けて、
果肉がはじける感覚とじ、ゅわりと甘い蜜が舌の上に滲み出てくる。

少し味は違うし、こっちの方が甘いけど。
小学生の頃にじじいに貰った、みかんの味を思い出した。


(´;ω;`)「……美味しいです」

(ヽФωФ)「それはよかった」


じじいは顔を歪めて、曖昧に微笑んだ。

二つもらったみかん。そうだ、その意味は


(ヽФωФ)「……あなたが泣いてばかりなのを見て、何かを思い出しかけています」

(ヽФωФ)「遠い昔の……何かを」

(´;ω;`)「……」

(ヽФωФ)「あなたの事は、なぜだか嫌いではありません」

(´;ω;`)「……はい。必ず、またここに来ます」




(´;ω;`)「今度は、絶対に僕の事を忘れないで下さい。約束です」

(ヽФωФ)「……忘れません。忘れないようにします」

(ヽФωФ)「今度あなたが来るときは、みかんを用意して待っていますから」

(ヽФωФ)「そう遠くないうちに……是非ここに遊びに来て下さい」


(´;ω;`)「はい。あなたが忘れないうちに。僕が覚えているうちに」

(´;ω;`)「絶対に……」



おわり


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