(´・ω・`)朝焼けディミヌエンドのようです




  最終話



これがどういう意味を表すのか。覚悟はしていたつもりだった。
けれどいざ直面すると、ショボンの考える覚悟がいかにあさはかなものであったのか、
思い知る羽目になった。それでもショボンは、杞憂なのだと自分自身に言い聞かせ、
平常心で発表に望もうとした。

だが――ミルナの姿を見た瞬間、ショボンの目論見は決壊した。
ミルナのことを探していたのは、本心からでた行動だった。しかし同時に、
心のどこかで見つからなければよいと考えていたのも事実だった。
矛盾を合い孕んでいることは、ショボン自身自覚していた。

どうすればよいのだろう。どうするもこうするもない。歌うしかない。
だが、自分は、何のために歌えばよいのか。自分が表現したいことを歌えばいい。
ハインが教えてくれたのは、そういうことだったはずだ。しかしそれは、
娘を失った父親を騙してまで、貫くべきものなのだろうか。

騙す。期待だけ持たせて裏切ることを、騙すといわずしてなんといえよう。
ショボンにはもう、ハインから教わったものを伝える自信がなかった。
もちろんミルナと話をしていたときには、不安はあれど、可能だと、
自分にしかできないと思っていたのだ。しかしそれは、言い訳にしかならなかった。



ショボンは恩返しがしたかった。
ハインがいなくなってしまったのなら、この行為になんの意味があろう。

舞台上の合唱に耳を傾けた。伸び伸びとした、心地の良い
歌声を響かせている。舞台袖から彼らの合唱を聴いているうちに、
どういうわけか、姉と、ハインの姿が重なっていった。

ショボンは姉がこないことにすねて、逃げ出してしまった日のことを
思い出していた。記憶はショボンの意思とは無関係に、鮮明な映像として
浮かび上がってきた。なぜいまさらになって。昔とは違う。
逃げ出したりはしない。父にもそういったではないか。

どんなに振り払おうとしても、映像は一向に消えなかった。
どころかそうやって意識すればするほど、意識下にしつこくこびり付いた。
繰り返される過去の映像が、脳髄を直接こねくり回しているようだった。



そのうちに、ショボンはあることに気が付いた。
あの逃げ出した日と、逃げ出したがっているいまとは、
姉と、ハインとを入れ替えただけで、どちらも似通った構図となっていた。

あの日、ショボンは歌いたくなかった。その理由は、
いつだったかに判明した。当時のショボンにとって、表現するという行為は、
つーという存在がいてこそ成り立つものだった。

今日、ショボンは歌うことを恐れている。それはつーを失った当時の自分と、
同じ気持だった。何のために歌うのか。ハインのために歌うのか。それももちろんある。
しかし表現とは、自分の内なるすべてを表すものだ。ハインだけでは理由にならない。





だが事実、ショボンは歌うことを躊躇っている。それはどこから来た感情か。
考える余地もなく、自分だ。ハインを失って悲しいと思うのは、自分だ。
では、表現の源である自分とは、いったい何なのだろうか。

頭が急速に回転してきた。自己。自己の延長。拡大化された自分。
自分と、自分以外。見えるもの、聴こえるもの、感じるもの。ハインとぼく。
共有した体に、乖離した精神。隔てられた肉体に、隔てられた精神。
過去の自分。現在の自分。連続性と非連続性。そして――。

自分とは?



ショボンの思考は中断された。予想だにしていなかった。
それは一瞬のことだったが、感じ取るには充分な長さだった。
懐かしくも愛おしい、あの赤々とした命の感触が、
全身を包み込んで、抱きしめて、そして、ショボンに現れた――。


 






           ※


 






ζ(゚、゚*ζ「大丈夫?」

(´ ω `)「え?」

ζ(゚、゚*ζ「涙」

デレにいわれて目尻を拭うと、溜まっていた涙がこぼれ落ちた。
視界がぼやけてよく見えない。ただてのひらに感じる重さから、
自分が何を手に持っているのかだけは判然としていた。

(´ ω `)「大丈夫だよ――」

ショボンは目をしばたたかせて涙を落とし、携帯に表示された
文章を読んでいった。デレが心配そうに覗き込んでいるのはわかったが、
それは不要な心配だった。とめどなくこぼれ落ちてくる涙を、ショボンは腕で拭い去った。

(´;ω;`)「これは、ぼくの涙じゃないから」



一斉に拍手が鳴り出した。舞台上の発表が終わった。
ショボンは胸を押さえた。大丈夫。今度は本当に、大丈夫。
ショボンは携帯をしまうと、なおも心配そうにしているデレにわらいかけた。

(´・ω・`)「モララー、来てるよ」

ζ(゚、゚;ζ「え、ええ?」

前発表者が舞台上から捌けていった。
渋澤が合図を出している。本当の本当に、ショボンたちの順番がやってきた。
ショボンは狼狽気味のデレの背中を、軽く叩いた。

(´・ω・`)「聴かせてやろう。ないものは出せないけど、
      いま自分が持てるすべてを表現して」

それはショボンだけではない。ペニサスはきっと両親に。
渡辺はドクオを筆頭としたファンにだろうか。ヒートはおそらくヒッキーに。
ヒッキーは、間違いなくヒートに。そしてデレは、モララーに。
ショボンは――いうまでもない。

照明の光を浴びて、いま自分たちを見ている人の前で、ショボンは強く堂々と、
その身を晒した。渋澤の持つ指揮棒が、高く高く掲げられた。


 





『いままでごめんね。ありがとう、の方が適切かな? きみのこと、手のかかる
 弟みたいに思っていたけど、本当は私のほうが助けられてたんだろうね――』


自分を見てほしい、褒めてほしい、認めてほしい。表現とは、
培ってきた人生を曝け出すことだ。表現のすべては、自分を根幹に置いている――


『始めのうちはね、ちょっとしたお手伝いでもして、 気づいてもらおうと
 してただけなんだ。何だかわからないけど、私はショボンの中にいる。
 事故のとき突き飛ばそうとしてくれたあの子の中にいるのかーって、
 それくらいの意識だったんだ――』


ならば表現とは、自己開示の対価として賞賛や金銭の還元を求める、
それだけのものなのだろうか――



『あのときね、私、自殺しようと思ってたわけじゃないんだ。
 ただ人間関係、とかでさ、いろいろと参ってたんだよ。
 自業自得、なんだけどね。だけどそんな簡単に割り切れなくて――』


違う。喜んでほしい、悲しまないでほしい、元気を出してほしい。
どうしようもなく誰かを思って、誰かのために祈る。そういう性質も、表現にはある。
では表現とは、自己を越えて存在しえるものなのだろうか――


『赤い、赤いなって、もう頭の中がそれでいっぱいになってて、
 車道を横断してたことにも気づいてなかったんだ。だからショボンのところに来たときも、
 本気で手助けしようとか、そんな気はなかったんだよ。でもさ――』


それも違う。他者に幸福であってほしいという願いも、すべては自分からでた、
利己的な思いなのだ。ではなぜそこまで、自分とは異なる精神を思ってしまうのだろう。
近しい他者。友人、肉親、同じ肉体に共棲した彼女――



『なんか、私たち、似てるよね? だからかな、いつのまにか 
 他人事とは思えなくなってたんだ。アラマキくんなんて名乗ったのはさ、
 たぶん、ハインという人格を消したかったからなんだと思う。
 もっと超然とした存在として、きみを導きたかったんだと思う――』


ショボンは理解した。他者も自己の一部なのだと。だからこそ、
他者――自己を失うのは悲しい。それこそ、身を切られる程に。
そしてそれは、人間に限らない。目に映る、聴こえる、感じるすべてが、
自己に根ざした現象なのだ。それらすべての総体が、自分自身なのだ――


『きみは立派だよ。私は生きてるとき、逃げてしまったんだ。
 逃げて、そのままだ。率直にいって、きみがうらやましい。
 私には成せなかったことを次々と克服していくきみには、
 嫉妬心も覚える。だけどね――』


その自分自身を、ショボンは歌に乗せて表現する。うれしいだけじゃない、
たのしいだけじゃない。つらく、苦しく、投げ出したくなることもある。
そしてなにより、その膨大さは、ショボンという体を使い切っても歌いつくせそうにない。
それでも、ショボンは歌う。なぜなら――



『私はきみがすきなんだ。それに、私は私がすき。
 私自身を愛するように、私のきみを愛してる。きみの人生に私が残っているなら、
 きみの表現に、私は現れる。自分で表現することは、私にはもう、できない。
 でも、こういう表現の形式があっても、いいよね――』


なぜなら、自分がすきだから。すきだから表現したい。
すきだから、もっと知りたい。消えてなくなってしまっても、
求めた気持は、たしかにここに残っているから。

過去を否定するのではない。現在だけを認めるのも違う。
これから先、変わりゆくであろう自分――世界――も、
すべて、ずっと、受け入れて。そして――


『私は消える。私の世界も、一緒になくなる。けど、きみは生きていくんだよ。
 ずっと忘れないでいてね。表現することを、表現したい気持を、忘れないでね。
 表現して、懸命に、生きていてね。私の分まで、これからも、ずっと――』


そして、最後はディミヌエンド――







          終幕





大会から一週間後。ショボンはミルナの下へ向っていた。
自分のしたことが本当に正しかったのか、そこで見極めるつもりだった。

( ゚д゚ )「よくいらっしゃいました。どうも、こんな格好で申し訳ありません」

ミルナはこの寒空には似合わない、風邪でも引いてしまいそうな薄着をしていた。
だが、少しも寒そうには見えない。額からとめどなく湧き出てくる汗を、
ミルナは肩にかけたタオルで拭った。温度差のせいだろう、体からは湯気が立ち昇っている。

開かれた窓から、屋内の様子が見える。家具から何から、綺麗に片付けられていた。
代わりに、いくつものダンボールが積まれている。人が住んでいたという痕跡は、
壁についた染みや傷からしか、はかり取ることができなくなっていた。
脳裏に、あの廃屋の外観が浮かんだ。

ここを引き払って、実家へと戻ることに決めたのだと、
ミルナはいった。以前から再三帰ってくるように
いわれてはいたのだが、どうにも決心がつかなかったのだという。



( ゚д゚ )「ですがこの家にいても、私ひとりでは持て余してしまいますから」

ショボンは部屋の中へと案内された。そこにはまだ、
比較的生活臭が残っていた。飾り気のない簡素な部屋。

ハインもここで、本を読んだり、表現について
考えたりしていたのだろうか。前に来たときは余裕がなくて
思い浮かばなかったことが、次々と頭の中を埋め尽くしていった。

ミルナがお茶を運んできてくれた。そのお茶からは、この前と同じ香りがした。
連鎖的に、畳と、ほこりのにおいも思い出された。いまは、それらは感じない。

( ゚д゚ )「実家に戻ったら、ギターをやろうと思っているのですよ」

ミルナは大真面目な顔をしてそういった。冗談や、単なる思い付きでは
ないようだった。ミルナは若かりしころ、ギターにかぶれていた時期が
あったのだと告白した。意外なことに一朝一夕の趣味としてではなく、
流しとして日銭を稼いでいたこともあったのだという。



ミルナが一生の仕事として音楽と向き合おうとした矢先に、
彼は細君となるべき女性と出会った。ふたりの仲は急速に進展した。
彼女のお腹の中に新たな命が芽生えるまでに、そう時間はかからなかった。

ミルナは決断しなければならなかった。いまのままギターを続けていては、
家族を養うことはできない。まともな職に就く必要がある。しかしそれは、
夢を諦めることと同義であった。迷うこともなかった。ミルナは家族を取った。

( ゚д゚ )「あのときの選択に、後悔はありません。後悔があるとすれば、
     それは、その後の私の生き方のせいでしょう……」

中途半端にしては未練が残る。ミルナは愛用のギターを
厳重に封印し、押入れの奥底へと保管した。二度と触ることはない。
少なくとも、娘が立派に成人し、良き良人を見つけるまでは。
そう考えてから十数年。いま、ミルナはギターの封を解いた。



(´・ω・`)「それは、ぜひ、聴いてみたいです」

ショボンの言葉に、ミルナは苦笑を浮かべて首を振った。

( ゚д゚ )「ゆびが、いうことを聴いてくれないのですよ」

自嘲気味な口調だった。ショボンは思わず、ミルナの手元を見つめた。
苦労の偲ばれる、節くれだったゆびをしていた。ミルナはショボンの
視線に気づいたようだったが、隠すようなことはせず、
むしろ強調しながら「ですが」と言葉をつなげた。

( ゚д゚ )「何年、何十年かかっても、弾けるようにしますよ。
     表現したいことが、きっと、私にしか表現できないことがありますから」

ショボンはいつか、自分にも聴かせてほしいと約束を取り付けた。
ミルナは柔和にほほえむと、部屋の隅に重ねられたダンボールに
目を向けた。ショボンもつられて、そちらを見やった。
重なった箱の中にひとつ、一際大きいダンボール箱があった。

( ゚д゚ )「本当は、もっとはやく、あの子に聴いてもらえばよかったのでしょうね」



ショボンは荷造り作業の手伝いを申し出た。ミルナの話を聴いて、
何でもいいから手伝いたい気分になっていた。ミルナも快諾してくれた。
しかしショボンは、予想とは大分異なる場所を任されることになった。

扉を開くと、大小さまざまなアラマキくんに出迎えられた。
ハインの部屋は、家全体の雰囲気からすると、ずいぶんと趣が異なっていた。
これらすべてを片付けるとなると、結構な労力となる。
ショボンは取っ組みやすそうな箇所から着手することにした。

本棚には小説や童話、演劇、発声法、脚本術の本などがびっしりと並んでいた。
すべて読み切るのに、いったい何日かかることだろう。ハインは全部読んだのだろうか。



本棚には製本された商用の本以外に、一見して使い古されたとわかる、
大学ノートが並べられていた。一冊抜き取ってみる。表紙には、
誰もが知っている小説の題名が書かれていた。ショボンはノートを開いた。

ごちゃごちゃとした殴り書きで、始めは何が書かれているのか理解できなかった。
しかし読み進めていくうちに、物語の構成を独自に解き明かしているのだとわかった。
とにかく事細かに書かれている。登場人物のちょっとした台詞にまで焦点を合わせ、
構造単位にまで分解して、多視点的に物語を掘り尽くしていた。

他のノートも手に取った。考察したのは小説だけではなく、物語性を持つ
ありとあらゆるもの、戯曲、映画、漫画、そしてドラマにまで及んでいた。
考察の仕方も徐々にスマートに、わかりやすいものへと変じていた。
近年のものは、それ単体でも、読み物として完成しているように思えた。

残すところ、あと一冊となった。最後のノートは、他のものと比べていやに新しかった。
違和感を覚えるほどだった。ショボンはまだ新しいそのノートに手を伸ばした。
表紙には『相克のハルカタ』と題されていた。



何枚かページをめくって、すぐに気がついた。この書き方には見覚えがある。
ショボンはそれを、自分の携帯で見ていた。他のノートとは明確に異なる、
だれかに読んでもらうことを主眼に置いた書き方をしていた。

『相克のハルカタ』のノートは、途中から真っ白になっていた。
書いたのを消したわけではない。始めから書き込んでいないのだ。
それでも念のため、最後まで確認してみることにした。
小気味のいい音を立てて、左から右へページが流れていく。

(´・ω・`)「あっ」

ノートの隙間から、何かが落ちた。反射的に伸びたショボンの手を
すり抜けたそれは、床に寝そべっていた巨大なアラマキくんの、
ちょうど顔の上に落下した。それは写真だった。
ショボンは写真を拾い、そこに写っているものを見た。

写真には男女のツーショットが写っていた。女性の方はハインだ。
そして男性の方は――ショボンもよく知っている、とある男性の姿がそこにあった。


 






ノハ*゚听)「わーっ、すっごい人ごみですねーっ!」

台詞の内容とは裏腹に、ヒートの声はたのしくて
仕様がないといった具合に跳ね飛んでいた。

(-_-)「これじゃまるで見えませんね。意味ないですね」

対してヒッキーの声は、落ち着き払っている。というより、
冷め切っているようだった。ヒッキーの言葉にヒートが膨れているが、
たしかにこれは、ヒッキーのいうとおり来た甲斐がないのではと思われた。

ショボンはヒートに連れられ、『相克のハルカタ』の
ロケーションを見学しにきていた。ヒートの弁だと一緒に見に行く
約束をしていたらしいのだが、ショボンはまったく覚えていなかった。

ただヒートが嘘をつくと思えなかったことに加え、ショボンにも
理由ができたので、結局はヒートの誘いを受けることに落ち着いた。



ノハ#゚听)「だいたいなんで、ひっくんまで付いてきてるんだよーっ!」

(;-_-)「い、いいじゃないか。ぼくの勝手だろ!」

ふたりは何事か騒ぎ合っていたが、周囲の喧騒の中ではそれも埋もれた。
噂につられてやってきたのだろう。見渡す限り人だらけで、
熱気が凄いことになっている。このような状況で撮影を
行えるものなのだろうかと、人事ながら心配になった。

そうショボンが思っているところに、タイミングよく、
テレビ局の人間らしき人が姿を現した。彼は集った群集に向って、
エキストラとして参加してみないかと呼びかけてきた。放送時には、
ジョルジュと同じ画面に映った自分を確認できますよと付け加えて。

意外なことに、みな消極的に、あたりの様子をうかがうに留まっていた。
小さくささやきあう声が、そこかしこから聴こえる。どうやら興味はあっても、
人前にでる踏ん切りがつかない人が大半のようだった。この大人数の中で
参加表明をするという行為自体、恥ずかしいものがあるのだろう。



(´・ω・`)「ふたりは、ジョルジュのファン?」

何事か話し合っているヒートとヒッキーに、ショボンはそれとなく尋ねた。

ノハ*゚听)「はいっ! かっこいいと思いますっ!」

(-_-)「ぼくも、まあ……ひーちゃんと同じ意見です」

(´・ω・`)「そっか、ごめんね」

想像通りの反応を示したふたりに謝って、ショボンはエキストラに志願した。

テレビ局の人が事細かに段取りを説明している。
といっても、ショボンの役割はシンプルだ。他のエキストラ同様、
カメラに写った道路を横断するだけ。だからショボンは、
そんな説明に耳を傾けるよりも、もっと別の場所に意識を向けていた。

ジョルジュ。ブラウン管越しにしか存在しないように思えた、
自分とは別の世界の人物。それがいま、ショボンの目の前に実在していた。
間近で見るとよくわかる。若く、生気に溢れていて、そしてどこか、不安定だった。
ショボンの勝手な思い込みかもしれない。そうではないかもしれない。



撮影が開始された。杉浦の陰、連合とフォックスの密約を知り、
疑心暗鬼にかられたジョルジュが、道行く人々に怖れを抱くというシーンだ。
ジョルジュはさすがの演技力を発揮している。ショボンはジョルジュの周りを歩く、
道行く人のひとり。事前の説明で、近づきすぎないよう釘を刺されていた。

他のエキストラに紛れて、ショボンも歩きだした。
少しずつ進路をずらす。演じている人間も、周囲にいる人間も、
予定調和のドラマが演じられていると疑っていない。

ショボンは慎重に歩を進めた。この中で自分だけが、この先起こることを知っている。
優越感はなかった。義務感と――自分勝手な衝動だけがすべてだった。

ショボンは、ジョルジュの背後で止まった。

(´・ω・`)「ハインさんを覚えていますか?」

驚いた様子で振り返ったジョルジュを、ショボンは、
顔面目掛けて思い切り殴り飛ばした。

『ミルナさんは、もしハインさんと付き合っていた男性と会ってしまったら、どうします?』

『そうですね、たぶん……有無を言わさず殴ってしまう、でしょうね――』



床に倒れたジョルジュは、混乱した態でショボンを見ている。
逃げ出さないでいてくれたのは、幸いだった。伝えなければならないことがある。
ショボンはジョルジュを見下ろしながら、口を開いた。

「『ずっと忘れないでいてね』」

胸に刻んだ言葉を。

「『表現することを、表現したい気持を、忘れないでね』」

表現を愛した彼女の言葉を。

「『表現して、懸命に、生きていてね』」

ショボンと共に継ぐべき人へ。

「『私の分まで、これからも、ずっと――』」

告げた。

(´・ω・`)「ハインさんの、遺言です」





言い終えた瞬間に取り押さえられた。もみくちゃにされて、上下左右も曖昧になる。
骨や肉が強くぶつかってきて、全身が痛い。罵声を浴びせられているような気がするが、
氾濫した声同士が邪魔しあうせいで、意味不明な音の塊だけが響き渡っている。

抵抗はしなかった。こうなることを想定した上で、やらなければならないと思った。
なにより、ショボン自身がそうしたかった。ハインの言葉をジョルジュに伝えたかった。
これからどうなろうと、受け入れるつもりだった。

だが、事態はショボンの想定どおりには動かなかった。

喧騒が消えた。より大きく、暴力的な咆哮が、すべての音を塗り潰した。
一帯を支配した咆哮は、塗り潰したすべての音をも引き連れて、跡形もなく霧散した。
後には何も残らなかった。声の主は、空を向いて、静かに静止していた。

あまりにも巨大だったので、この声が意味のある言葉だとわかったものは、
おそらくいない。ショボンにも、その単語が聴き取れたわけではなかった。
だが、ショボンには理解できた。ジョルジュが叫んだ言葉も、叫ぶに至った心理も。

その言葉は、オムライス。


 






朝。陽が昇るよりも早く目覚める。目の前にはアラマキくん。
彼を机の上に戻してから、ショボンは大きく伸びをした。顔を洗い、
柔軟をして、ジャージに着替える。玄関でランニングシューズを履くとき、
自分のものではない靴を、履きやすいように並べて揃えた。

(´・ω・`)「行ってきます」

ランニングコースはいつもと同じ。体中に血液が巡って、皮膚面が
発熱していく感覚がよくわかる。地面を踏み叩く音が、早朝の暗闇に浸透していった。
足音が止まる。電信柱に、モララーがよっかかっていた。

( ・∀・)「おせえよ」

モララーの口から白い息が漏れた。



街灯の灯るアスファルト上を、ふたりのジャージが影を作った。
影の動きは単調で、同じことを繰り返している。ショボンは苦しかった。
毎朝走り続けていても、気道が収縮するようなこの感覚には慣れない。
けれどいまは、この苦しさも悪くないと思えた。

(´・ω・`)「おはよ」

独特の鼻息を鳴らして、ブーンが並走してきた。ショボンの顔を見上げながら
走っている。常時この調子なので、見ている側としてはどこかにぶつかるのではと
不安になる。だがブーンは、器用に障害物を避けつつ走っていた。

( ・∀・)「よくもまあ、すき好んで走るもんだ」

モララーが悪態をついたのを聴いて、ショボンは小さくわらった。
モララーは不服そうにショボンを睨んでいた。

ペニサスが引退したあと、デレは部長になった。
“次期”と“候補”の抜けたデレは、真っ先にモララーを強制入部させた。
デレは宣言した。

『部長として、素行の悪い部員は管理させてもらいます!』

デレはモララー用の特別メニューを作り、それを義務付けた。
その項目の中には、ひとりで勝手な行動をしないことと添えられていた。
モララーがショボンと共にランニングしているのも、このメニューによるものだった。



モララーとデレはことあるごとに衝突した。きっかけはどれもこれも
些細なことばかりだったが、ふたりはそれを重大事であるかのように、
仰々しく論議していた。突っかかるのは大抵、デレの方からだった。

論議では終始モララーが優勢になっている。相手を煙に巻く口八丁では、
どう考えてもモララーに分があった。しかしどういうわけか、
決着はデレの勝利に収まることが多かった。モララーは
不満そうな顔をして見せていたが、すぐに演技だとわかった。

モララーは信念通りに行動しているのだなと、ショボンは思った。

二十四時間営業のコンビニ前を通って、二人と一匹はいっせいに止まった。
踏み切り前で、警報機の音が止むのを待つ。ホームにいる数少ない人々が
電車の中に消え、レールから錆びた音が響き渡った。

杣矢川橋の歩道を走る。ショボンもモララーもしゃべらない。
ブーンもとうぜんしゃべらない。ひたすらに走って、汗を拭って、
呼吸を整えて、やはり走った。それは橋を渡りきり、旋回して、
家に戻るまで続くはずだった。橋の中ほどまで走った。ショボンは止まった。



( ・∀・)「どうした?」

ショボンは返事をすることもなく、橋の外側を見ていた。収束した川の先端。
水平線と、空の境界。そこに暗闇はなかった。新たに芽生えた命の色が、
自己の内心を表現していた。ショボンは胸を押さえた。そして、また走り出した。

アルトではいられなくなったけれど、いまはテノールが出せる。
この先どのように変化していくのか、だれにも、自分にもわからない。

望まぬ変化もあるだろう。何もかも投げ出したくなることもあるかもしれない。

それらすべてを受け入れよう。

それでもぼくは走ろう。

いつまでも、歌い続けよう。

ぼくにしかない、表現で。



   (´・ω・`)朝焼けディミヌエンドのようです  ―― おわり ――




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