3ー3
ミルナは無表情にショボンのことを見ていたが、やがて元の場所に座りなおした。
ただその顔からは、先程までの張り詰めたものが抜けて、明らかな疲れが露出していた。
( ゚д゚ )「申し訳ありませんが、本当にお話できることがないのです。
父としては、お恥ずかしい限りなのですが……」
ミルナはそう前置いて、それでも話をしてくれた。
それはハインの話というよりも、ミルナ自身の話だった。
ミルナには家庭があった。家内がいて、娘がいる。三人だけの、小さな家庭だった。
ミルナは愛する家族を養うため、休みなく働くことを自ら望んだ。
娘のことは家内に任せきりにしていた。娘がかわいくないわけではない。
むしろ目に入れても痛くないほど、愛おしく思っていた。だからこそ不自由のないよう、
働いて金を稼ぐ必要があった。働いてさえいれば、自然と気持は伝わるものだと思っていた。
夫が外へ稼ぎに出て、妻が家を守る、理想の家庭を築けていると信じていた。
それが間違っていると知ったのは、家内が倒れたときだった。脳梗塞だった。
家内が体調不良を訴えているのは聴いていた。口では休んだほうがいいと言いながら、
内心では大した問題ではないと考えていた。変わらず家のことを任せきりにしていた。
娘とふたりで暮らすことになった。ミルナはそこで直面した。
自分は、娘のことを何も知らない。娘のために金は稼げても、その金で娘が何を買うのか、
何が好きなのか、まるでわからなかった。娘は、ミルナの知らないところで成長していた。
( д )「私の中の娘は、いまも小さな子どものままなのです」
娘が怖かった。現実の娘と、自己の中にいる娘が、あまりにも食い違っていた。
ミルナは仕事に没頭した。家族の――娘のために始めた仕事が、
娘から逃避するための場所になっていた。
娘のほうもミルナが忌避していることを感じ取ったのか、
自ら接触してくることはなかった。
娘が何をしていようと、口出しすることは避けた。家内の死について
咎められるのではないかと思うと、何も言い出すことはできなかった。
たしかに、おかげで詰め寄られるような事態にはならなかった。
その代わり、娘が何をしているのか、まるでわからなくなった。
( д )「私はもっと、勇気を持って娘と接するべきだったのです」
同じ家に住む他人としての生活が、長いこと続いた。その中で娘は、
ミルナの目にもわかる変化を起していた。娘は深夜の間に出歩き、朝になってから
帰ってくるという生活を繰り返していた。背後に、異性の存在がちらついていた。
娘はまだ高校生だ。どんな理由があるにせよ、さすがに看過することはできなかった。
ミルナはぶっきらぼうに、もう夜遊びはするなと告げた。他に言葉はなかった。
娘は強く反発してきた。ミルナは想像もしていなかった。娘の中にこんな激しい
感情があるとは、思いもよらなかった。娘はミルナの普段の態度にまで糾弾してきた。
家内のことにまで話が及ぶことを恐れたミルナは、一言だけ返した。
『男のせいか?』
なぜそんなことを口走ったのか、自分でもわからなかった。
いま思うと、娘の相手がだれかということよりも、娘が男性と付き合う、
変化していくという事実が、恐ろしかったのかもしれない。
娘は何も言い返してはこなかった。
ただ口惜しそうな表情で、ミルナを睨んでいた。
それが、娘と交わした最後の会話となった。
( д )「私は今もってわからないのです。娘が何を思っていたのか、何をしてきたのか……」
アラマキくんはハインだった。事故に遭った日、杣矢川橋で、
激しい衝突により、ショボンの体へと精神が移動した。そこまではわかっていた。
だが、なぜショボンの下へやってきたのか、これがわからなかった。
ミルナの話を聴き終えて、疑問が氷解するのを感じた。ハインがショボンと
共生するようになったのは、けして偶然ではなかったのだ。ショボンとハインは、
似ていた。それはきっと、共通する境涯を持つことから端を発した相似性であった。
(´・ω・`)「今週の日曜日に、高科市民会館で合唱の発表会があるんです」
いまならわかる。ハインが何を望み、なぜショボンに表現することを説いたのか。
自分にできなかったことを、ショボンには成してほしかったからだ。
ミルナの言葉は、生前のハインに伝えなければならないものだった。
ハインは、自分の気持ちをミルナに表さなければいけなかった。
(´・ω・`)「もしよければ、これを聴きに来ていただけないでしょうか」
ミルナの思いを聴いて、ハインは救われただろうか。そうは思えない。
心は双方向性だ。ハインの思いがミルナに伝わらない限り、完結することはない。
そしてそれは、ハインにはもう不可能だった。ならばショボンに、
何かできることがあるだろうか。――ひとつだけ、あった。
(´・ω・`)「ぼくの歌は、ハインさんから教わった表現です。
ハインさんが何をしてきたのか、何を思って生きたのか――。ぼくの歌を通して
ハインさんの軌跡を感じ取る、というのは、おかしな理屈でしょうか」
ミルナは肯定も否定もしなかった。それ以上、何もいうことはない。
ショボンは傘を持って、ミルナ宅から出て行った。雨は止んでいたが、
呼吸を圧迫する堆積した雲の層は、変わらず空を覆っていた。
やるべきことはひとつに絞られた。歌う。ショボンにできることは、
もう他になかった。あれこれ考えず、大会の日まで練習に練習を重ねよう。
ショボンはそう思い込もうとしたが、不安を払拭することは適わなかった。
大会の日まで、ハインは保ってくれるだろうか。
ミルナがショボンの歌を聴いてくれたとしても、ハインがその場にいなければ意味がない。
昨日の入れ替わり時間を鑑みると、非常に危ういことのように思えた。
そしてなにより――。
ショボンは傘の先端で地面を小突きながら、足早に帰っていった。もう一雨来そうだった。
大会当日が訪れた。
高階市民会館へは、電車で移動することになる。
部員全員一斉に移動するので、中々に騒がしい。
从'ー'从「よそ様の発表が終わったら、立ち上がって拍手するのが礼儀だからね〜。
ブラヴォーって叫んだり、指笛を鳴らしたりするとよりグッドだよ〜」
ノハ;゚听)「そ、そうなんですかっ!?」
(;-_-)「そ、そうなんですかっ!?」
('、`*川「うそ教えてんなよ、うそを」
_、_
( ,_ノ` )「おまえらうるせえ」
学園祭での経験に加え、練習によって自信がついたことも大きいのだろう。
存外みんな、緊張してはいないようだった。軽口を叩いて談笑している。
大会といっても、優劣を決めるものではない。参加するのは
ショボンたちのような中学生だけでなく、高校生や大学生、
中にはプロ顔負けの社会人もいる。県や市が主導して発表の場を提供することと、
合唱を通して世代間の交流を深めるという意味合いが大きいらしい。
だからといって、手は抜く者はいない。公営の大会としては規模が大きいらしく、
方々から合唱に興味を持つ人が集ってくる。雑誌社や協会関係者も訪れるということで、
年に一回、この大会のためだけに練習しているという人も少なくないという。
そのために、相当数の人数を収容できる容れ物が必要だった。
高階市民会館は、条件に適った巨大な建造物だった。
外からでも一目でわかる半円形をしている。いままでに行ったことがなくとも、
探す気であれば、すぐに見つかるはずの場所だった。
ミルナは来てくれるだろうか。ショボンは思った。来る気があれば、
迷うことなくたどりつけるだろう。もしそうでないなら――。
余計なことを考えるのはやめることにした。
どちらにせよ、ショボンは歌うしかない。ミルナは来る。そう信じた。
ζ(゚ー゚*ζ「どーしたのよう、暗い顔して!」
背中を強く叩かれた。結構痛い。変な声が出た。
叩いた本人も予想外だったのか、驚いた顔をしている。
目が合った。デレは片目をつむり、舌を出して誤魔化してきた。
ζ(゚ー゚*ζ「それ、持ってきたんだ」
(´・ω・`)「うん」
背中をさすりながら質問してきたデレに、
ショボンはうなづいて答えた。ショボンのバッグには、
あの日ハインがしていたように、アラマキくんのぬいぐるみが垂れ下がっていた。
ζ(゚ー゚*ζ「モララーの横暴に怒ってたりしてたんだよね。
なんだかもう、ずいぶん昔のことみたい」
デレはアラマキくんをつまみあげると、手や刺繍された部分を
重点的にいじくり始めた。デレの触り方からは、無機物に対する無遠慮なものではなく、
犬や猫を扱うときのような怖々とした印象を受けた。デレがアラマキくんを放した。
ちょうど電車が止まった。
電車を降り、列をなして歩いていく。同じ目的で市民会館へ向っているのだろう。
それらしき人の姿が、ちらほらと見え始めてきた。話をするにしても、
みんな周りをうかがいながらで、次第に小声になっていった。
その中でデレだけが、変わらず大きな声で明るく振舞っていた。
モララーはいまだ消息不明だった。いくらモララーが奔放とはいえ、
これだけ長いこと姿を現さないのは、過去に例がない。何か事件や事故に
巻き込まれたのではないか。モララーに限ってそんなへまはしないと思うが、
万が一ということもある。
デレとはあの日以来、モララーに関しての話はしていない。
デレがどう思っているのか、本当のところはわからない。
しかし明るく振舞うデレを見れば見るほど、モララーに対する憤りが募った。
声をかけるにしろ、それはショボンの役目ではなかった。
半円形の頭が、建物の影から現れた。
遠くからでも確認できる。高階市民会館がそこまで来ていた。
('、`*川「よっし、一回あそこで並ぶよ!」
会館前の広場では、子どもから大人まで、様々な年代の参加者でごった返していた。
このまま一斉になだれ込んでしまっては、混乱が起きるのは目に見えている。
そのためそれぞれの集まりで整列し、順番に入館していくのが習わしとなっていた。
ショボンたち文等中学校合唱部も、例に倣って入館できるまでの間待機する。
周囲には年も性別も違う、しかし合唱という共通目的を持つ人々で人垣ができている。
こうして彼らに囲まれながら待っていると、
いよいよ発表のときが近づいているのだと実感することができた。
ショボンは胸を押さえた。あるいは頭の方がよかったかもしれない。
心の棲家がどこにあるかはわからないが、そこへ宿るものに触れたくなった。
歌うだけ。ショボンにできることは、たったひとつしか残されていなかった。
ショボンが歌い、ミルナに伝え、ハインに恩を返す。
何も間違っていない、はずだ。なのになぜ、こんなにも腑に落ちないのだろう。
ハインが伝えたかったこと。表現すること。そして、表現をする自分自身。
時と共に不安が募る。何か、重大な勘違いをしているのではないかと。
ノハ*゚听)「なんだか騒がしくないですかっ?」
ヒートがショボンの手をつかんできた。なにやら不安そうにしている。
ヒートが言うとおり、広場の端の方が騒がしかった。悲鳴なども聴こえる。
何事か起こっているのかもしれない。しかし状況を確かめようにも、
人の壁に阻まれてどうにもならなかった。
そうこうしているうちに、騒ぎは次第に大きく、そして段々と
ショボンたちの方へと近づいていた。ショボンの手を握るヒートの手が、
痛いほどに力を増した。なにが起こっているのかと考えるよりも先に、
ショボンの前の壁がふたつに割れた。
ひとつの大きな影が、古い掃除機がノズルよりも大きなゴミを
無理矢理吸い取ろうとしているかのような、耳障りな音を鳴らして飛び出した。
そいつはショボンの前に立つと、特徴的な鼻を誇るようにして、前へ突き出してきた。
ζ(゚、゚;ζ「ブーンじゃない! なんでこんなところに!」
デレが叫んだ。そいつはたしかにブーンだった。
なぜこんなところにいるのかはわからないが、不自然に潰れた鼻も、
ぶぅんぶぅんという唸り声も、ブーンのものに間違いなかった。
そう、ブーンはなぜか唸っていた。牙を剥き出しにして、威嚇している。
ショボンのことを忘れてしまったのだろうか。
それにしても、意味もなく敵意を向けてくるとは思えない。
ブーンは頭を低くして、ショボンを睨んでいた。悠長に考えている暇はない。
敵意をあらわにしているのは明らかなのだから、対処しなければならなかった。
ブーンの涎が垂れた。
(;´・ω・`)「あっ!」
ブーンが飛び掛ってきた。飛び掛った先にはショボンと、
ショボンにくっついていたヒートがいた。ヒートは萎縮してしまっているのか、
まるで動く気配がない。ショボンは咄嗟に、持っていたかばんを
盾にして防ごうとした。ヒートの手が離れた。
ブーンはかばんを弾いて、ショボンの後方に着地した。左右に振った
尻尾が目に入る。ショボンから離れたヒートは、いつの間にか
ヒッキーが抱きかかえていた。一撃目はなんとか事なしに済んだようだった。
しかし予断は許さない。ショボンはブーンの動向を注意深くうかがった。
(´・ω・`)「……あれ?」
振り向いたブーンの口から、アラマキくんのぬいぐるみが垂れ下がっていた。
弾かれたかばんを見ると、そこにあったはずのものがない。ブーンが咥えているのは、
ショボンのアラマキくんだった。ブーンは見せ付けるようにして一度、
アラマキくんを振り回した。その後急に踵を返し、走り出した。
(;´・ω・`)「す、すいません! すぐにもどります!」
ショボンは一団から離れ、ブーンの後を追った。ブーンが走るとだれもが道を開いた。
そのため、ショボンもだれかと衝突するようなことはなかった。
ショボンは全力でブーンを追った。だが、それも長くは続かなかった。
ブーンの足は速い。引き離されてしまうのは目に見えていた。
しかしそうはならなかった。ショボンが休んでいる間、ブーンは走るのを
やめてショボンを見ていた。ショボンがまた追いかけだすと、速度を合わせて
走り出した。おちょくっているのだろうか。腹が立ったが、だからといって
諦めることはできない。アラマキくんは、取り返さなければならなかった。
どれだけ走っただろうか。ショボンは汗だくになったころ、
歩道橋のすぐそばで、ようやくブーンに追いつけた。ブーンは何食わぬ顔で
アラマキくんを放り出し、左右に尻尾を振っていた。怒る気力もでない。
ショボンが涎まみれになったアラマキくんを持ち上げようとすると、
歩道橋からだれかが降りてくる足音が聴こえた。
ショボンは邪魔にならないよう体をどけようとした。
そのとき、視界の端で、その人物の顔が見えた。ショボンは反射的に顔を上げた。
(´・ω・`)「……父さん?」
出張に行っているはずのシャキンが、そこにいた。
(´・ω・`)「あ、ありがとう……」
シャキンが自販機で買ったポカリスエットを受け取り、タブを開けた。
ブーンとの追いかけっこで熱くなった体に、冷えた感触が染み渡った。
おいしい。ブーンが鼻を近づけてきた。開いた鼻腔をゆびで塞ぐ。
嫌がる素振りは見せたが、それ以上の行動にはでてこなかった。
いまはそれより、シャキンだった。ショボンとシャキンは、公園のベンチに
並んで座っていた。シャキンは相変わらず押し黙ったままで、公園の中央を見ていた。
視線の先には小学生らしき少年たちが、サッカーの真似事をやっていた。
(´・ω・`)「出張は、どうしたの?」
聴きたいことはいろいろとあった。けれどどれも、言葉に表すのは
むつかしいように感じた。結局、わかりやすい質問だけを投げかけることになった。
しかしシャキンは、それすらも答えはしなかった。
手持ち無沙汰に、ふたりで少年たちのサッカーを見ていた。
時間が気になったが、このままこの場を去る勇気は、ショボンにはなかった。
シャキンはどう思っているのだろう。よくわからなかった。
サッカーについての知識はなかったが、少年たちのボール捌きは
中々どうして、大したものなのではないかと思えた。中でもキャップを
反対に被った少年は卓越していて、自由自在にボールを操っていた。
きっと、日頃からサッカーのことばかり考えているのだろう。
ボールがあっちへこっちへ飛んでいく。
それを目で追っていると、見当外れに飛んでいったボールが、
ショボンたちの下までやってきた。
「すいませーん!」
逆キャップの少年が、トレードマークのキャップを外して、大きくこちらに
手を振っていた。ショボンは投げ返してあげようと、立ち上がりかけた。
しかしそれより早く、シャキンがボールをつかみ、少年に向って放り投げていた。
(´・ω・`)「ハンドだよ」
自然と、嫌味がでてきた。
(`・ω・´)「スローインだから、いいんだ」
意外にも、シャキンは軽口で応じてきた。ショボンはシャキンの顔を
覗き込んだが、シャキンは応じず、またベンチに座りなおした。
キャップの少年は器用に足でボールをキャッチすると、元気な動作で
頭を下げてきた。それだけで、後はなにごともなく再開された。
(`・ω・´)「説教をされた」
平生と変わらない淡々とした話し方で、シャキンはそう切り出した。
だれに。ショボンがそう尋ねるよりも早く、シャキンは話を続けた。
(`・ω・´)「モララーくんは――彼は、すごい男だな」
モララーの名前が、唐突に現れた。シャキンはつーが健在だったころ、
モララーとは何度か会っている。モララーの破天荒な性格は知っているはずだった。
だがいまの台詞は、そのような過去の話をしているわけではなさそうだ。
モララーがずっと消息を絶っていたわけは、父を探していたから
だったのではないか。モララーならやりかねなかった。
シャキンは説教されたといっていた。おのずから、目的も明らかになった。
(`・ω・´)「私は、おまえに――」
(´・ω・`)「待って」
ショボンはシャキンの言葉を遮った。モララーが何をいったのか、
だいたいのところはわかる。そしてそれが、ショボンのためを
思ってやったのだということも。
シャキンが何をいおうとしていたかは、正直なところ、
ショボンには判然としない。しかしそれがどんな内容であろうと、
いま、この場で聴いていいものではなかった。
(´・ω・`)「ぼくもいわなきゃいけないことがある。……謝りたい、こともある。
けどそれは、全部、大会の後にしてほしいんだ」
シャキンがいま、何をいおうと、それは“現在のショボン”に
向けられたものにはならない。シャキンの中ではきっと、ショボンは
小さな子どものままだろう。ミルナが、そうであったように。
(´・ω・`)「だから、ぼくは、歌いにいくよ。だから父さんも、
ぼくから逃げないで。ぼくも、逃げないから」
ショボンは立ち上がった。足は震えていたが、歩くのに支障を
きたすほどではなかった。ショボンが立ち上がると、
ブーンも大きな伸びをして、それから付き従った。
(`・ω・´)「ショボン」
シャキンに呼び止められた。
(`・ω・´)「おまえ、犬、平気だったか」
(´・ω・`)「……いつまでも、昔のままじゃないよ。……父さん」
ショボンはブーンの頭をなでた。
ブーンはうれしそうに、ショボンの足に絡み付いてきた。
(´・ω・`)「ポカリ、ごちそうさま」
ショボンは公園をでた。
サッカボールの白と黒が、空の青の中で混ざり合っているのが見えた。
菱朋大学合唱団の合唱を聴き終え、ショボンは拍手をした。
人数は十人と少なめだったが、ひとりひとりの力量が高く、
威圧的とすら思える凄まじい迫力があった。いまだ身体が
完成しきっていないショボンたちとは、やはり決定的な違いがあった。
壇上から菱朋大学合唱団のメンバーが去っていくにつれて、
拍手はまばらになっていった。それと同時に、観客席の中から
何十人かの固まりが一斉に立ち上がった。
彼らは席の隙間を縫って歩き、そのままホールから姿を消した。
発表をスムーズに行うため、舞台袖にて待機するのだ。
発表する団体も、自分たちの順番がくるまでは観客席に座っていることになる。
当然ショボンも、観客席に座っていた。ショボンは辺りを見回した。
どこかにミルナやシャキンがいるのではないかと、目を凝らした。
しかし人数が人数だけに、そう簡単に見つけることはできなかった。
そうこうしているうちに、舞台袖から次の発表者が入場してきた。
ホールの天井に明かりが灯った。文等中学校の出番は、午後を過ぎてから
ということになっている。そのため一度、昼休みを挟む段取りになっていた。
ショボンたちはホールを抜け、会館内の適当な場所で昼食を取ることにした。
ノハ*゚听)「先輩っ、先輩っ! から揚げすきですかっ?
おかあさんの作ったから揚げ、おいしいんですっ! たべてみてくださいっ!」
先程のお礼のつもりなのだろう。ヒートは自分の弁当のおかずを
食べるよう、しきりに勧めてきた。ブーンの狙いがショボンだった
ことを考慮すると、むしろショボンの方が詫びなければならないのだが、
説明するのも面倒なので素直にいただくことにした。
言葉通り、たしかにおいしい。冷めてもおいしいから揚げというのは、
案外珍しいのではないか。ショボンは飲み込んで、おいしかったとうなづいてみせた。
ヒートはうれしそうにわらってから、別の一個をつまみ、また差し出そうとしてきた。
(´・ω・`)「ぼくはもういいから、よければヒッキーにも分けてあげてね」
ショボンの言葉に一番強い反応を示したのは、当然の如くヒッキーだった。
手に持った弁当箱を、ひっくり返しそうになっている。
ヒートはしばらくの間ショボンの顔を見つめていたが、
ショボンがもう一度促すとようやく、ヒッキーの前へと向った。
ヒートはヒッキーの目前に、先程つまんでいたおかずを突きつけた。
ノハ*゚听)「卵焼き、あげるっ」
甘くてやわらかそうな卵焼きが、ヒッキーの眼前で静止した。
ヒッキーは口を半開きにして何かを逡巡しているようだったが、
業を煮やしたヒートの行動によって、その目論見は潰えてしまった。
ノハ*゚听)「おいしいんだよっ」
ヒートはヒッキーの弁当箱に、自分の卵焼きをねじ込んだ。
ヒッキーは箸を彷徨わせ、つかんだ。それはヒートからもらった卵焼きではなく、
元々自分の弁当箱に入っていたおかずだった。
(;-_-)「そ、それならぼくは、このこんぶの佃煮をくれてやる!」
ヒッキーは何を思ったのか、ひとつまみしたこんぶの佃煮を、
ヒートの弁当箱にねじ込んだ。よくわからない混乱の仕方をしている。
だがヒートも、負けてはいなかった。
ノハ;゚听)「そ、それならあたしはっ――」
どういうわけか、熾烈なおかず交換バトルが始まってしまった。
ショボンがふたりの様子を呆れつつ見守っていると、どこからともなく、
見知らぬ中年男性が走ってくるのが視界に入った。男性は走りながら、何か叫んでいた。
(;´_ゝ`)「ペニちゃーん、パパだよー! パパがきたよー!」
('、`;川「げっ、親父――」
ペニサスは慌てて口を押さえて顔を隠したが、手遅れだった。
男性はペニサスの声が聴こえたのだろう、先程よりも俊敏な動きでこちらへ迫ってきた。
男性は額に汗を浮かばせながら、腰を低くして挨拶をしてきた。
(* ´_ゝ`)「どうもみなさんこんにちわ、ペニサスの父でございます。
娘がいつもお世話になっております」
('、`;川「お世話になっておりますじゃないよ、何しに来たんだよ、早くお袋の所に戻ってよ」
ペニサスは渋面をつくりながら追い払おうと手首を返したが、
ペニサスの父親は意に介した様子もなく、あれやこれやと話しかけてきた。
話の内容は、全部が全部、ペニサスに関するものだった。得意満面といった笑みで、
すがすがしいまでの親ばかっぷりを発揮している。
ペニサスのものとよく似た眼が、恵比寿様のように垂れ下がっていた。
対してペニサスは――ペニサスのこんな表情を見るのは、初めてのことだった。
(* ´_ゝ`)「そうだペニちゃん。パパ一眼レフ持ってきたの、一眼レフ。
ペニちゃんのかっこいいところ、バッチシ撮っちゃうからね!」
そういってペニサスの父は、首から下げたカメラを掲げた。
ごつごつとしていて、高価そうだ。お金で気持を量れるわけではないが、
娘のためにわざわざ用意したのだとしたら、やはり偽らざる
愛情があるのだろうなと、ショボンは思った。
('、`;川「ホール内は撮影禁止だよ。ほんともう、なんでもいいから戻ってちょうだい……」
(* ´_ゝ`)「そうなんだ……。そっか、それじゃここで撮っちゃおう。
どうです、みなさんも一緒に――」
('、`#川「あーもーうるさい! このバカ親父!」
ついに激昂したペニサスが、父親を引きずり去っていった。
去り際に、「いつもみたいにパパって呼んでほしいな〜」とか、
「死ね!」とかいった声が漏れ聴こえてきた。
これはこれで大変なのだろうなと、ショボンは勝手に同情していた。
从'ー'从「それじゃ、私もちょっと出掛けてくるね〜」
食事も取らずに携帯を弄っていた渡辺が、立ち上がってそういった。
ショボンがどこにいくのかと尋ねると、ファンサービスを怠らないのも
人気の秘訣だと、意味深な答が帰ってきた。
ヒートとヒッキーはやかましく騒ぎながら、いまだにおかずの交換を繰り返していた。
義理なのか、意地なのか、本人達にもわからなくなっているのではないかと思えた。
何やら儀式的な行為に見えてきた。
ショボンはふたりを尻目に、弁当箱を片付けた。中には半分以上残っていたが、
これ以上食べる気がしなかった。そうして片付けを済ませると、まだ弁当を
食べている最中のデレに声をかけた。
(´・ω・`)「デレ、ぼくもちょっと席を外すね」
デレはヒートとヒッキーに視線を向けたまま、反応しなかった。
(´・ω・`)「デレ?」
ζ(゚ー゚*ζ「……え? あ、うん、わかった。いってらっしゃい」
デレの顔は、もういつもの明るい表情に戻っていた。
その笑顔に思わず、考えていたことを吐露してしまいそうになった。
しかし結局は、飲み込んで話さないことにした。
ショボンは三人を残して、ミルナを探しにでかけた。
デレには知らせたほうがよかったかもしれない。
会館内を練り歩きながら、ショボンは思い返していた。
シャキンが帰ってきているのだ、とうぜんモララーも戻ってきているに違いない。
おそらくは、高階市民会館にもやってきていることだろう。
だが確証がない。それは、ミルナが来ているのかどうかわからないのと同様だった。
モララーがいない場合を考えると、軽々に口を滑らせるわけにはいかなかった。
ぬか喜びさせてしまうような状況は、避けたかった。
かといってこのまま放置しておくのが正解かと自問すると、どうにも答えに窮した。
モララーが無事だったことだけでも伝えておくべきだったのではないか。
だがこれも、変に期待を持たせることになりはしないか。
頭の中がこんがらがって、よくわからなくなっていた。
昼休みの時間が、そろそろ終わろうとしていた。
結局モララーもミルナも、どこにも見当たらなかった。
ショボンは胸を押さえた。てのひらに伝わったのは、心臓の鼓動だけだった。
いくつかの合唱を聴き終え、ついに、ショボンたち文等中学校合唱部の番が迫ってきた。
いままでの団体がそうしてきたように、ショボンたちも席の合間を縫い歩き、
ホールの端伝いに廊下へ出て行こうとした。
列をなして歩いていく。本番直前になってさすがに緊張しているのか、
だれも、なにもしゃべらなかった。足音にまみれた無言の行に従っていると、
やがて廊下の明かりが漏れた扉前まで到達した。
ショボンは最後の確認のつもりで、観客席を見渡した。
それは、確率でいうとどの程度の低さになるのだろう。
壇上を眺めている観客の中でひとり、こちらに視線を寄こしている男性と目が合った。
あれだけ探し回っても見つからなかった、ハインの父、ミルナがそこにいた。
ミルナが軽く会釈しているのが見えた。ショボンは胸を押さえた。
かろうじて、ミルナと同じような動作を返した。それ以上は何もできず、
ただ、列の流れに任せて、廊下へと抜け出ていった。
廊下から出て、舞台袖で待機するときになっても、ショボンは
胸を押さえ続けていた。動悸が治まらない。得体の知れない焦燥感が、
手から何から蝕んで、ふとすると泣き出してしまいかねなかった。
ハインは――アラマキくんは、今朝、現れなかった。
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