1-3
モララーの言葉はショボンやデレを越え、ヒッキーに向っていた。
『何をやっている』という言葉は、『なぜここにいる』という意味にもとれる。
してみると、ヒッキーの行動はモララーの指示によるものではない、ということだろうか。
モララーの顔にいつもの笑みはなかった。冷たい眼差しで、ヒッキーを見下ろしている。
ヒッキーはすっかり萎縮してしまい、理由を説明することはおろか、
まともに話すこともできなくなっていた。モララーがヒッキーに向って歩きだした。
ζ(゚、゚*ζ「なによ」
モララーの視線がデレの方へ向いた。それはすぐに方向を変え、ショボンの方へと向った。
体が硬直する。しかしそのときは何事もなく、モララーはふたりの間を通り過ぎた。
そしてそのまま、ヒッキーの目の前へとたどり着いた。
( ・A・)「行くぞ」
モララーは去っていった。ヒッキーも、何も言わずに付き従っていった。
ζ(゚、゚*ζ「なんだったのかしら」
(´・ω・`)「なんだったんだろうね」
ふたりは別れた。
秘密を告白するだのしないだの考えていたのがバカらしくなって、結局何もいわずに帰った。
六時限目の授業が終わり、第二音楽室へと向う。
途中清掃当番の人とぶつかりそうになった。階段を踏み外しそうになった。
その場に倒れこみそうになったりした。
交通事故からすでに二週間近く経過していた。
Aは、未だに存在した。相変わらず好き勝手に行動しているようで、
その反動がすべてショボンに返ってきている。
メッセージは相変わらず取り留めのないことが書かれていた。
お気楽な内容を読んでいると、寝不足なのも相まって、異様に苛々としてきた。
ぶつける場所のないことが、より一層拍車をかけた。
最近はメッセージを読む前に携帯を閉じるようになった。
いくら怒ったところでAは消えないと、いまさらながらに気がついたのだ。
それならばいっそ、いないものとして扱ったほうが賢い。
Aのことを考えるのは、他の問題を解決してからにしようと決めた。
いまは、Aにかかずらっている暇などない。他にやるべきことが、山ほどある。
『だから、……なんですよ』
『でもさ、……だからね』
部室の中から話し声が聴こえた。どうやらショボンより先に、
だれかがやってきているようだった。声質から、デレとペニサスだとわかる。
別におかしなことはない。HR次第で来れる順番は変わる。
だから、すぐに入ってしまえばよかった。
だがショボンは、ふたりの会話に不穏な気配が漂っているのを嗅ぎ取ってしまった。
張り詰めた空気を割って、入っていいものか悩む。
ショボンはドアの取っ手を掴んだまま、硬直してしまった。部屋内の会話が聴こえる。
『臨時部員なんて必要ないです! まともに練習もしない、まじめに参加する気もない。
今からでも遅くないです。切るべきですよ!』
『そうはいうけどな……。現実的に考えると、私たちだけじゃどうしたって無理があるよ』
『それじゃ、このままでいいっていうんですか?
どっちにしたって、今のままじゃ無理ですよ』
『やっぱり、先生に相談するしかないだろう』
『シブ先に相談したって、どうせ『音楽以外の話を俺のところに
持ち込むんじゃぬぇえ』っていわれるだけですよぅ……』
ふたりの会話は、臨時部員の扱いについてだった。
デレの方は革新的で、ペニサスは保守的な意見を述べている。
どちらの思想にも納得できるところがある。しかしどちらともに、問題を残していた。
ここ数日、モララーの妨害は露骨に激しさを増していた。
歌わせない、練習させない。微妙にテンポをずらして、感覚をあやふやにしてくる。
何かいわれるとそれを逆手に取り、部員を引き連れて早退する。
『もし歌えなくなっても、困るのは俺達じゃないんだぜ?』
デレが噛み付いたときの、モララーの台詞だ。
モララーはこちらの急所を完全に見抜いている。
こちらは、モララーに対する有効な武器をひとつも持っていない。
ノハ*゚听)「先輩、おはようございますっ!」
从'ー'从「ショボくんおはよ。どうかした〜?」
ショボンが立ち止まっている間に、ヒートと渡辺がやってきていた。
部屋の中は静かになっている。一段落着いたのかもしれない。
ショボンはなんでもないと誤魔化して、扉を開けた。
('、`*川「それじゃ、通しで歌ってみようか」
ペニサスが号令を出した。その声には、いつもの張りがない。
疲弊しているのは、なにもショボンだけではなかった。部長という役に加え、
ただひとりの三年という立場は、とてつもない重圧となっているに違いない。
ζ(゚、゚*ζ「なんだかさ、こっちまでやる気なくなっちゃうよ……」
デレが愚痴っている。何と答えればいいのだろう。
このままでいいわけがない。しかし、解決する手立てがない。
そんな都合の良い方法を知っていたら、とっくの昔に実践している。
……うそだ、ぼくは知っている。
ひとつだけ、モララーとの問題を完全に解決する手段を知っている。
そして、それこそがモララーの本当の狙いだった。だがショボンは、
その方法を実行するわけにはいかなかった。それだけは許されなかった。
歌が始まる。きっと妨害されるであろう“徒労”が――。
ζ(゚、゚*ζ「……あらま」
デレの言葉が的確に今の心情を言い表していた。あらま。
意外なことに、合唱中一度の邪魔もなかった。
音程を外す者も、故意に遅く歌う者もいない。声を出さない者はいたが、
それを補って余りある人数が、力強く歌い上げていた。下手をすると、
いままでで一番うまくいった練習だったかもしれなかった。
モララーの新たな策だろうか。ショボンはモララーを見た。
目をつむり、腕を組んでいる。何を考えているのか、外側からでは判断がつかなかった。
その代わり、他に気になるものが見つかった。
いつぞやショボンの前へ現れたヒッキーが、真剣な眼差しでこちら側に視線を向けていた。
視線はショボンから少し外れ、ヒートへと向けられているように見えた。
ショボンの知らないところで、なにやら変化が起き始めているようだった。
目覚ましの音で起きた。ほとんど眠った気がしない。
実際、まともに寝れていないのだろう。枕元に寝そべっているアラマキくんも、
いちいち戻したりせず放置している。ぼくの分まで惰眠をむさぼればいいさと、ショボンは思った。
時間はぎりぎりに設定している。体は重いが、悠長にはしていられない。
開きっぱなしの携帯を無視して、さっさと支度をした。朝食は抜き。
どうせ食べられやしない。急いで靴を履き、玄関を出た。
目の前に人が立っていた。
( ・∀・)「よう」
(;´・ω・`)「モララー……!」
モララーは気安い様子で手を上げてきたが、ショボンはそうはいかない。
なぜここにモララーが。頭の中が混乱した。家の住所はたしかに知られている。
しかしもう、何年も寄り付かなかったのだ。なぜいま、このタイミングで。
( ・∀・)「なに呆けてんだ。いくぞ」
モララーはショボンの動揺などお構いなしに歩きだした。
知らん顔もできない。仕方がないので、ショボンはモララーの後を追った。
( ・∀・)「なんだ、不思議な感じがするな」
モララーが何か話しかけてきた。友人に話しかけるような、軽い口調だ。
しかしショボンは、返事もできなかった。それどころではなかった。
どういうつもりかは知らないが、絶対に何か企んでいる。気は抜けなかった。
いつの間にか、通学路から外れていた。馴染みの薄い道が続く。
辺りには登校者の姿が見られない。そもそも人の姿自体が希薄な場所だった。
このままモララーに付いて行っていいのだろうか。不安になる。
それでも、ショボンは付いていった。
ここまで来て引き返すわけにもいかない。それに、これはいい機会かもしれない。
腹を割って話し合えば、モララーだってきっとわかってくれる。
ショボンは朦朧とする意識の中で、無理矢理そう結論付けた。
頭がうまく働かなかった。そうこうしているうちに、
ふたりの歩く道は一層寂しくなっていた。鬱蒼と茂った木々が、陽の光を遮っている。
(;´・ω・`)「なんの、ようなの?」
( ・∀・)「わかってんだろ?」
にべもなく返されてしまった。わかってはいたが、だからこそ違う答を期待した。
しかし、直接やってくるのはモララーらしくない気もする。
思考がそこまで及んだとき、モララーが止まった。
( ・∀・)「こっちも事情が変わってきてな。そろそろはっきりさせておきたいんだ」
塀に挟まれた、陰鬱な場所だった。悲鳴を上げても、だれも気づきそうにない。
( ・A・)「おまえ、いつまで歌を続ける気だ」
モララーの顔から笑みが消え去った。本気だ。
いままでとは違う。あのときと同じだ。直視できない。
( ・A・)「おまえが歌うのをやめれば、俺はもう合唱部に手出ししない。
あいつらにも真面目に取り組むよう指示する。ヒートっていったか。
あの子には、これからも続けてほしいだろう? 三人いる二年と、たったひとりの一年。
ひとりだけ抜けるとしたら――どちらがいいか、わからないわけじゃあるまい」
モララーの声は高圧的でもなければ、やわらかでもない。
淡々と、事実を朗読しているように聴こえる。理屈は理解できる。
ショボンとて、何度も考えたことだ。部のことを思えば、一番丸く収まる方法は、
ショボンが辞めることだった。
だが――だが、ショボンは、それを受け入れるわけにはいかない。
(;´ ω `)「ぼくは……歌を、やめるわけにはいかない」
( A )「……そうか、残念だな」
モララーは背を向けた。風が吹いている。
木々の先で重なった葉が、こすれあって音を立てていた。
都会の喧騒よりも騒がしいざわめきに、頭がおかしくなってしまいそうだった。
それが、一斉に、弾けた。
(;´・ω・`)「うわあっ!」
塀の上の茂みから、白い何かが飛び出してきた。
ショボンが飛び退くとそいつは、ぶぅんぶぅんと異様な音を鳴らして威嚇してきた。
そいつは犬だった。体のがっしりした中型犬で、鼻が不自然な形に潰れていた。
( ・A・)「こいつはこの辺りでブーンと呼ばれている野良犬だ。
保健所の狩りからも逃れ続けた、生粋の武闘派だ。
人間の指くらい、簡単に噛み千切るだろうな。今は、俺に従うように躾けてある」
モララーが近づくたびに、ブーンもにじり寄ってきた。
大きく開いた鼻の穴から、不気味な音が響き渡っている。
( ・A・)「もう一度訊くぞ。合唱を辞めるな?」
逃げ出すことも考えた。しかしブーンの視線が、それを許さなかった。
おそらくショボンが駆け出すよりも早く、ブーンは飛びついてくることだろう。
下手な動きをすれば、問答無用でやられる。
( ・A・)「いいから辞めておけばいいんだ。俺の言葉を聴かなかった結果、
おまえが何を引き起こしたか。忘れたわけじゃないだろうが」
忘れるわけがない。だからこそ、ショボンは歌をやめるわけにはいかなかった。
しかしだからこそ、モララーは歌うことを許さなかった。
この場しのぎの嘘が通じるほど、モララーは甘くない。
ならば、答えはひとつしかない。
だが、この状況に、モララー相手では、言葉がでない。
勇気が、足りない。
( A )「……そうかい。それじゃ、痛い目見てからもう一度考えるんだな。……行け!」
ブーンが牙を剥き出しにして跳ね飛んできた。
ショボンは反射的に目をつぶった。防御も何もなかった。
手か、腕か、脚か、のどか、予想される痛みが、瞬時に体の隅々へ浮かび上がってきた。
だが、痛みは空想に留まったまま、いつまで経っても現実の衝撃は訪れてこなかった。
ショボンはまぶたを開いた。
そこには、なぜかデレがいた。
( ・A・)「おまえ、なんでここに」
ζ(゚、゚#ζ「なんでって、ショボンにメールしても全然でないし、
ショボンの家に寄っていこうと思ったら、あんたと歩いてるし、
なんかよくわかんないけどなんか怪しいなんかいたし――要はつけてきたのよ! 尾行よ悪い!?」
デレは早口に捲くし立てた。かばんを両手に持って、前方へ突き出している。
ブーンがかばんに噛み付いているため、引っ張り合いの形になっているのだ。
鼻息荒く噛み付いているために、咥えた箇所からよだれが止め処なく溢れていた。
突然、モララーが笑い出した。笑い声が木々の触れ合う音に重なり、
一層狂気的な雰囲気を醸し出していた。嫌がらせをするときの余裕綽々な感じとも、
先程までの無機質な気配とも違う。表出した怒気が、真っ直ぐにショボンを捉えていた。
(# ∀ )「おいショボン、またか? また守ってもらうのか? そうやってまた、守られるだけか!」
モララーの叫びと同時に、デレのかばんが真中から裂け飛んだ。
ブーンの口の中に、破れた繊維や紙が詰まっている。
ブーンは顎を動かし、それらすべてを噛み砕いていた。
鋭いというよりは太く、破壊力のありそうな犬歯。
零れ落ちそうな眼球は白目の割合が多く、血走っている。
ブーンは紛れもなく、おそろしい野良犬だった。
だがそれよりも、モララーの方がおそろしかった。
ショボンは逃げ出した。無我夢中で走って逃げた。
酸素供給も何もなく、すべてを振り切って逃げ出してしまいたかった。
しかし辿り着いたのは、生活圏内である自宅でしかなかった。
自室へ戻ると、すぐさまベッドに潜り込んだ。
A、モララー、それに声変わり。複数の問題が同時に、なぜ自分の下へやってくるのか。
どうしてぼくなのか。わかりっこなかった。
モララーは言っていた、いつまで歌を続ける気かと。
ショボンにも見当がつかなかった。いつまで歌えば、いいのだろう。
歌を捨てることができれば、すべての苦しみも捨てることができる気がした。
モララーも自分を敵視しなくなるだろう。声変わりだって、歌わないのなら関係ない。
Aは――Aはわからないが、きっとどうにかなる。すべての苦しみは、歌からきていた。
それでも、それでも捨てるわけにはいかなかった。
それらの苦しみを背負ってでも、歌い続けなければならなかった。
それらの苦しみこそが、罰だった。歌を、歌わなければならない――。
物音で眼が覚めた。考えているうちに眠ってしまっていた。
窓から差し込む陽は、焼けて赤い。また、音が聴こえた。
音は居間の方から響いているようだった。
家の中にだれかがいる。真っ先に、泥棒という単語が思い浮かんだ。
しかし深夜の人が寝静まる時間ならともかく、こんな夕方に空き巣を
働こうと思うものだろうか。猫や、あるいは犬などが迷い込んできたと考える方が、
まだ理に適っている気がする。
犬か――。
今朝の出来事が思い起こされた。モララーがブーンを連れてやってきた、
ということはないだろうか。逃げ場をなくして、今度こそ本当に決着をつけるために。
いくらなんでも突飛すぎる思い付きだ。あるわけがない。
それにモララーらしくない。やるならもっとスマートな行動を取るだろう。
しかし今朝の行動も、とてもモララーらしいとはいえなかった。
モララーは事情が変わったと言っていた。何か急ぐ必要ができたのではないだろうか。
あるいは、本当に、モララーが来ているのではないか。
考えても仕方なかった。相変わらず音は聴こえてくる。
泥棒だろうと犬だろうと、何かが侵入していることはたしかだ。
ショボンは部屋の中にある一番重く分厚い辞典を持ち、忍び足で近づいていった。
音の主人は壁の向こうにいる。聴こえてくる位置、間隔的に、動物ではなさそうだ。
人間だろう。ならばやはり、泥棒という線が濃い。ショボンは一度大きく息を吸い、
辞典を高く掲げ、意を決して飛び出した。
そこにいた人物が、驚いた様子でこちらへ振り向いた。
(;´・ω・`)「……おかえりなさい」
(;`・ω・´)「……うん」
とりあえず、辞典は背中に隠した――。
(´・ω・`)「今日はずいぶん、早いね」
シャキンは曖昧な声で返事をしてきた。
シャキンと顔を合わせるのは久しぶりだった。Aが来てからは、一度も会っていない。
しかしAが来る以前はよく一緒にいたかというと、そういうわけでもない。
シャキンは夜遅く、ほとんどはショボンが眠ってから帰ってきていた。
そしてショボンが起きるよりも早く、会社へと出かけていった。
生活している跡だけが、家の中に残っていた。Aと同じだった。
どちらともなく椅子に座った。テーブルを挟んで、向かい合わせになる。
気まずい。ショボンは視線を別の場所へ向けた。
台所が視界に入る。そういえば何も食べてなかったと、ショボンは思い出した。
思い出した途端に、お腹が減ってきた。しかし、自分の分だけ作るのも気が引ける。
(´・ω・`)「あの、夕飯は?」
(`・ω・´)「いや、いい」
(´・ω・`)「そう……」
シャキンがリモコンでテレビを点けた。
チャンネルが切り替わる。一往復して、情報番組のところで止まった。
老舗の和菓子店を取材している様子が、映し出されている。
商品はすべて手作りされているらしい。
八十は越えているであろう老婆が、煮詰まったあずきを掻き混ぜながら答えていた。
家族それぞれが自分の役割を担っている。
老婆は家庭が円満だからこそ成り立っているのだといって、わらった。
アナウンサーも、わざとらしく調子を合わせていた。
(`・ω・´)「……ショボン」
(´・ω・`)「なに?」
(`・ω・´)「その……勉強は、どうだ?」
(´・ω・`)「……うん、まあ、それなりに」
(`・ω・´)「そうか……」
会話が続かない。
テレビは和菓子店の取材から、今日一日のニュースをダイジェストでまとめた
放送に変わっていた。次第に暗くなり始めた室内に、テレビの明かりだけが
煌々と輝いている。ふたりともテレビを見た格好のまま、動こうとしない。
(´・ω・`)「父さん、来週の日曜日、暇、ない?」
シャキンは無言のまま、胸ポケットから手帳を取り出した。
紙をめくる小気味いい音が響き渡る。止まった。
(`・ω・´)「いや……」
シャキンが手帳を閉じ、しまうのを目で追った。
この話は、今ので打ち切られたようだった。忙しいのなら仕方ない。
仕事なのだから、仕方ない。
来週の日曜は、合唱の発表日だった。どうせ、うまくいくかもわからない。
(´・ω・`)「部屋、戻るね」
いいかげん暗さの増してきた部屋に、明かりを灯した。
テレビの光が、周囲の光量に溶け込んだ。シャキンはテレビを見続けている。
ショボンは部屋から出ようとした。
(`・ω・´)「ショボン」
呼び止められた。何事かとショボンは振り返る。
だがシャキンは、同じ姿勢のまま、長いこと沈黙していた。
シャキンはテレビから視線を動かさない。
(`・ω・´)「……体は、大丈夫か?」
ようやく吐き出された声からは、特に表立った感情を感じられなかった。
おそらく事故のことを聴いているのだろう。
シャキンは、ショボンの身の回りで起っていることを、何も知らない。
父はぼくが寝不足だったことも、Aに悩まされていることも、知らない、気づいてもいない。
直隠しにしているのだから、当り前だった。
(´・ω・`)「うん、特に、なんとも」
部屋に戻った。開きっぱなしの携帯が目に入った。
ショボンはそのときになってようやく、デレのことを思い出した。
デレは無事に帰れただろうか。モララーなら滅多矢鱈に乱暴を働くことはないと思う。
しかしあのブーンは、目の血走った野良犬は、その限りではない。
モララーが躾けたといっても、はずみというものがある。
ショボンは携帯を手に取った。デレは今朝、メールを送ったといっていた。
何事もなければ、連絡が来ていてもおかしくない。
Aのメッセージを消し、受信ボックスを開いた。
『勝手に欠席するなんて、次期部長として許せません。明日は必ず来なさい。たっぷり叱ったげるからね。
PS:変に気にすることなんてないよ。悪いのは全部、モララーなんだから』
新着欄の一番上に、デレからのメールが表示されていた。
ショボンは返信の為の文章を書きかけ、やめた。携帯を閉じる。
ベッドで寝そべっているアラマキくんを、見当付けずに放り投げた。
そろそろ、本当に気が狂いそうだった。
朝、眼が覚めると共に、アラマキくんが視界に映った。
投げ捨ててやる。ショボンは腕を伸ばした。
しかし、その手はアラマキくんへと届く前に中空で止まった。
(;´・ω・`)「ういぃっ! いっっつぅっ!」
激痛が走った。始めはそれが、どこからきた痛みなのかわからなかった。
全身の至る所が、神経を通じて悲鳴を上げているようだった。
振り上げた左腕に巻かれた包帯を見て、どこが原因だったのか気づけた。
へたくそによれて巻かれた包帯は、所々赤く滲んでいる。
隙間から、黒ずみへこんだ傷口が覗いていた。意識が遠のきそうになった。
今度は何なんだ。何をしてくれたんだ。
ショボンは起き上がった。携帯はすでに開いている。Aが開けたのだ。
今日ばかりは見過ごせない。何が書かれているか、確認しなければ気が済まなかった。
ショボンは乱暴にボタンを押した。
『退治した』
書かれていたのは、それだけだった。
授業中も休み時間も、気が気ではなかった。
突然に扉が開き、モララーがブーンを連れてやってくるのではないか。
隣の教室から、虎視眈々とこちらを狙っているのではないか。
モララーとはクラスが違う。確認できないという事実が、想像を逞しくした。
モララーの手下の臨時部員は、ショボンのクラスにもいる。彼らの存在も気になった。
普段は表立って対立することはない。お互いに干渉しないようにしている。
しかし今日に限って、彼らの視線がこちらへ向けられていた。
神経過敏になっている、というわけではなさそうだった。
ショボンの方から視線をよこすと、一瞬だけ視線が合い、
すぐさま逸らされた。それが三回ほど続いた。
見張られているようで、気味が悪かった。
モララーに言いつけられているのかもしれない。
逃げないように監視し、携帯で連絡を取り合っているのだ。
想像は悪い方向へ際限なく膨らんでいった。
だが、放課後まで何事もなく時間は過ぎていった。
ζ(゚、゚*ζ「――最低限、メールくらいは返しなさい。いいわね?」
(;´・ω・`)「はい、すいませんでした」
部室へ入るやいなや、本当に説教されてしまった。
デレは一頻り怒ったらすっきりしたのか、ぐちぐちと話題をひきずることなく、
笑顔ですっぱりと打ち切った。ペニサスが苦笑いしているのが見えた。
渡辺とヒートもやってきた。ふたりとも、昨日ショボンが来なかったことについて、
とやかく尋ねてきたりはしなかった。ヒートは何か訊きたそうにしていたが、
どこかで踏みとどまっているようだった。
いつも通りの練習が始まる。何も事件は起らない。ショボンはときどき扉の方を見た。
廊下から足音が聴こえてくると、否応なく意識はそちらへ向った。
何事もなかった。不自然なまでに。
それにしても――。
从'ー'从「臨時部員の人たち、来ないね〜」
臨時部員の姿は、ひとりとしていなかった。
いつも事件を起す者がいないのだから、何か起るわけがなかった。不思議に思った。
モララーが何かを企んでいるにしても、ひとりやふたりは向わせると思うのだが。
ζ(゚、゚*ζ「来ないでいいよ。こっちのがのびのびできるもん」
デレは胸を張りながら答えた。
矮小な胸を突き出したその姿は、強がっているようにも見える。
しばらく五人で練習を続けた。円滑に、何の支障もなく練習できたのは久しぶりだった。
それでも五人では、どんなに声を出しても広い部屋内に空虚な隙間ができてしまった。
だからこそ、遠くから迫る異質な音すらも耳まで届いた。
古い掃除機がノズルよりも大きなゴミを無理矢理吸い取ろうとしているかのような、
耳障りな音。硬いものが床とぶつかって響く、甲高い音。どちらも、よく、聴き覚えがある。
それらが人の足音と歩調を合わせ、徐々に、徐々に近づいてきた。
不協和音が巨大化する。そして――第二音楽室の扉が開いた。
確かめるまでもなかった。目を背けたかった。
そこには、モララーとブーンがいた。
( ・A・)「最後通告だ」
ブーンの曲がった鼻から、ぶぅんぶぅんという例の鼻息が漏れている。
垂れた涎が点々と、ショボンとの間隔を狭めてきた。
( ・A・)「合唱を、やめろ」
モララーは抑揚なく敵意を突きつけてきた。
雰囲気に圧倒されてか、だれも、デレでさえも口を挟めないでいる。
昨日のような展開はありえない。今度こそ、自分で解決しなければならないのだ。
(;´ ω `)「ぼくは――」
歌をやめる。そういえるものなら、迷わずそういっていた。
痛い思いはしたくない。肉体的にも、精神的にも。人に嫌われるのは、苦痛だ。
それが友達なら、なおさらだった。それでも、答えは決まっていた。もう、何年も前から。
(´ ω `)「――歌い続けるよ」
モララーの顔が歪んだ。怒りのためではなかった。視界が、かつての光景と被った。
( A )「……残念だ。残念だな、本当に。……行けぇ!」
叫び声がブーンの枷を取り払った。ブーンを止めるものは、もはやない。
ショボンは覚悟した。
これからあの牙が、ぼくの肉を突き破るのだろう。
それは左腕にある怪我よりも痛いに違いない。
だからといって逃げるわけにはいかなかった。これは当然の報いなのだ。罰だ――。
だが。
ブーンは鼻を鳴らすだけで、元の位置から一歩も動かなかった。耳と尻尾が垂れ下がり、
怪物じみていた表情はすっかり情けないものに変貌してしまっている。
( ・A・)「なにをやってる。さあ行け」
モララーに圧され、ブーンはようやく動き出した。
それもゆっくりとした動作で、とても襲い掛かってくるような気配はない。
ブーンがショボンの前までやってきた。
するとそのまま、転がった。ショボンでも知っている。
腹を丸出しにした、完全服従のポーズだった。
あまりのことに、だれも、何もしゃべらなかった。
しかし、これで終わりではなかった。
扉が勢いよく開いたかと思うと、ぞろぞろと臨時部員が入室してきた。
広々としていた教室が、みるみる人で埋まっていく。
臨時部員はショボンたち、そしてモララーを取り囲んだ。
そして、一斉に頭を下げた。
(;-_-)「すいませんモララーさん! ぼくたちに、合唱をさせてください!」
そういったのは、いつかショボンの前へやってきたヒッキーという一年生だった。
ヒッキーを先頭に、綺麗に並んだお辞儀が扇形に拡がっていた。
モララーはその様子を一瞥すると、天井に顔を向けて溜息をついた。
( ・A・)「……勝手にしろ」
モララーがお辞儀の列を抜け、去っていく。
その間も、臨時部員たちは微動だにせず頭を下げたままだった。
モララーが人の列を抜け切った。そこで一旦止まり、こちらへ振り返ってきた。
( ・∀・)「おい、お嬢様」
ζ(゚、゚;ζ「な、なによ」
デレも急展開の連続に思考がついていっていないのだろう。
お嬢様と呼ばれても、つっこもうともしなかった。
( ・∀・)「かばん、悪かったな。そのうち弁償するからな」
それだけいうと、モララーは今度こそ去っていった。
廊下に響く足音が、段々と遠ざかっていく。
(-_-)「ショボンさん、ぼく、あなたには負けませんから」
いつの間にか頭を上げていたヒッキーが、唐突に宣戦布告してきた。
何に負けないのか、何で勝とうというのか、さっぱりわからない。
足元では、ブーンが仰向けに転がっていた。
入り口は左腕の怪我だった。ショボンは家に帰ってから、
ずれて意味をなくした包帯を完全にほどいた。黒く乾いた傷跡は、
四つのくぼんだ形をしていた。まるで、犬に噛まれた痕のように。
『退治した』。Aはそう書いていた。ブーンはショボンに服従して、
従順な飼い犬のように成り代わっていた。つい昨日までは、
鼻を鳴らし凶暴な面で襲い掛かってきたというのに。
昨日と今日の間に、何かがあったことは明白だった。
そしてそれは、“ブーンがショボンに懐く”という結果を
もたらす行動でなければならなかった。可能な人物は、限られていた。
臨時部員の変容も、異常だといえた。彼らはモララーに忠誠を誓っている。
事実、先の出来事のときも反旗を翻したわけではなく、歌わせてほしいと懇願しただけだ。
今にして思えば、今日、教室でショボンを見ていたのも、
先の出来事を気にしてのことだったのだろう。冷静になって思い出すと、
彼らの視線は監視という強気なものではなかった。もっと戸惑いを含んだ、
それこそ、ショボンと同じ表情をしていた。
ではなぜ、彼らは急に歌いたいなどと言い出したのだろうか。
合唱を続けているうち、たのしさに気づいたのか。ひとりふたりならありえるかもしれない。
だが、全員が全員そんな理由だとは思えない。
それに、たのしいという理由だけで、あのモララーを裏切れるとは思えない。
何か、彼らにとってとてつもなく魅力的な条件を提示されたか、
あるいは破滅的な状況を回避する手段になるぐらいでないと、納得できそうにない。
つまり、だれかが臨時部員を懐柔したのだ。ショボンでは当然ない。
デレやペニサスといった、正規部員でもないだろう。
仮に彼女たちなら、もっと早くに行動していたはずだ。
他に合唱部の内情を知っている人物を探る。渋澤の名前が思い浮かぶが、
すぐに否定する。絶対にありえない。仮定する必要も感じないが、これも正規部員同様、
介入するならもっとはやく介入していただろう。
それに、こんな回りくどい方法を取る必要もない。
渡辺やヒートが友人に頼んだという可能性を考えてみる。
ありえなくはないが、そこまで暇な人物がそういるだろうか。
臨時部員全員を懐柔するとなると、相当な時間が必要になる。
それこそ、夜通し行動しなければならないくらいに。
ショボンは携帯を開いた。方法や理由など、不可解な点は残っている。
しかしショボンには、他に思い当たる人物がいなかった。
すべての条件が、彼、あるいは彼女に向かっていた。
(´・ω・`)「きみがやったことなの? きみは、いったいだれなの?」
九時を回り、視界が赤い、生命力のある色に覆われた。
ショボンは起き上がると、すぐさま携帯を確認した。
『ぼくは朝焼けのアラマキくん! きみの味方さ!』
思わず、ベッドに転がったアラマキくんを見てしまった。
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