(´・ω・`)ようこそバーボンハウスヘ、のようです 2話
薄暗くもどこか柔らかい灯りと、重厚感に溢れる木製のカウンター。
その向こう側に、僕はいる。
背後には酒棚を。
お世辞にも広いとは言えない空間で、ただ黙々と、グラスを磨く。
ここはバー、バーボンハウス。
多くの――とは言えないかも知れないが、それでも日々疲れたお客様がやってくる。
僕の仕事はそんなお客様に、癒しを感じるお酒を提供する事だ。
さて、そろそろ開店時間だ。
今日はどんなお客様が来るのだろう。
……おや、珍しい。
こんな早くから来て頂けるとは、一体どんなお客様なのだろうか。
(´・ω・`)「……いらっしゃいませ。ようこそバーボンハウスへ」
ドアを潜って入って来られたのは、くたびれたスーツに身を包んだ中年の男性だった。
いや、中年と言うよりは、最早初老と言うべきか。
(´・ω・`)「何に、致しましょうか」
( ´ー`)「……ジンベースの物で適当に。アルコールは程々でお願いします」
(´・ω・`)「かしこまりました」
ジンベースでアルコールが強くない。
となると、アースクエイクやギムレットは除外される。
女性ならばオレンジ・ブロッサム辺りを出すところだが、
初老の男性にはどこか不似合いな気がしないでもない。
ここは、ゴールデンデイズで行ってみよう。
ジンと桃のリキュール、そこにオレンジジュースを加える。
まろやかな味の中にも辛味と酸味があり、爽やかな甘さのカクテルだ。
(´・ω・`)「どうぞ……。ゴールデンデイズです」
( ´ー`)「ありがとう」
お客様はグラスを受け取ると、そっと口に運ぶ。
静かな飲み姿が、とても様になる方だと思った。
くたびれた感じのスーツでさえ、どことなく気風を帯びて感じる。
( ´ー`)「ゴールデンデイズ……、黄金の日々ですか」
グラスの中の液体が半分ほどに減った頃、お客様が呟いた。
( ´ー`)「……実は私、今日で定年退職なのですよ」
(´・ω・`)「それは……よろしいのですか? 送別会などは……」
( ´ー`)「私はそう言う賑やかな物が苦手でして……簡単に済ませて終わりにしてもらいました」
お客様は目を閉ざし、小さく息を吐く。
その様子はまるで、何か心に憂いを抱えているようだった。
( ´ー`)「……少し、愚痴のような物を吐いてもよろしいでしょうか」
(´・ω・`)「勿論です。そうして少しでも気分よく帰っていただくのが、バーの存在意義なのですから」
ありがとうございます、と。
初老のお客様は恭しく言った。
それが僕の仕事なのだから、礼を言う必要などないと言うのに。
( ´ー`)「私は……自分で言うのもなんですが、とても真面目に仕事をしてきました。
42年間働いて部長にまで上り詰めて、そこそこ会社に貢献出来たと思っています」
ですが、とお客様は言葉を繋いだ。
( ´ー`)「送別会でね、こう言われたんですよ。『これからも、第二の人生頑張ってくださいね』って。
そこで私は思ったんです。一体何を頑張ればいいのか、と」
誰だか知らないが、全く出来てない社員だ。
仕事だけがライフワークだと言う人は、サラリーマンなら少なからずいる。
だから頑張ってください等の、自分の与り知らない所にまで踏み込んだ発言は、送別会ではしてはいけないのだ。
( ´ー`)「……バーテンダーさん。貴方には、何か趣味がありますか?」
(´・ω・`)「趣味ですか。……いえ、今は仕事で頭がいっぱい、と言った所ですね」
( ´ー`)「そうですか。バーテンダーには、定年もありませんしね」
少しだけ羨ましそうに、お客様が仰った。
(´・ω・`)「えぇ、『バーテンダーは仕事ではなく生き方だ』と、そんな言葉もあるくらいですから」
( ´ー`)「羨ましいですね。……私はこれから、どのように生きればいいんでしょうか」
お客様の言葉に、僕は答えかねて口を閉ざしてしまった。
――カウンターを隔てて、客席――
( ´ー`)「羨ましいですね。……私はこれから、どのように生きればいいんでしょうか」
私の言葉に、若いバーテンダーは言葉に詰まり、黙り込んでしまった。
まったく、大人気ない事だ。
何を今更、ペシミズムに浸っているのか。
悲観になる理由が、どこにある。
私は人生を後悔しているのか?
そんな筈はない。
辛いと思った事など、一度も無かったのだ。
ならば何故。
『第二の人生、頑張ってくださいね!』
不意に、部下から言われた言葉が、リフレインした。
同時に、頭の中でかちりと、音が鳴った気がした。
あぁ、そうか。
全てが、合致した。
私はもう、別人となっていたのだ。
仕事だけを生き甲斐としてきた人生は終わり、別人として、今その人生を眺めているのだ。
私の人生は、他人から見れば、それはもうつまらない物だったのだろう。
昔ながらの友人がいる訳でもなし。
結婚もしていない。
本当に、仕事だけしかない人生だ。
なるほど、これは確かにつまらない。
思わず蔑笑がこみ上げてきてしまう程だ。
私はその笑いを誤魔化す為に、再び目の前のグラスを口に運んだ。
( ´ー`)「……?」
しかし口内に広がったのは、調和の取れた爽快な味ではなく、違和感だけだった。
確かに美味しかった筈のカクテルは、ひどくばらばらで、薄っぺらい味に変容していた。
(´・ω・`)「あ……、お時間が経ち過ぎたようですね。もしよければ、作り直しましょうか?」
どうやら私は、思ったよりも長い時間、考え事をしていたようだ。
私の微かな表情の変化を読み取ったのか、若いバーテンダーがそう提案してきた。
あるいは、私は自分が思っている以上に酷い顔をしていたのかもしれないが。
( ´ー`)「いえ、結構です。これはこれで、私にお似合いですしね」
彼の申し出を断ると、私はグラスに残った液体を全て飲み干した。
そう、これがお似合いなのだ。
色あせてしまった、つまらない味。
私が最も輝いていたであろう黄金の日々は、少し時間が経ってしまえば、この程度の物なのだ。
(´・ω・`)「……そんな事、ありませんよ」
不意に、バーテンダーが小さく呟いた。
何の事だろうか。
考えて、すぐに気がついた。
彼は、私を気遣ってくれているのだ。
私の人生を、無価値なものにしまいとしてくれている。
( ´ー`)「……そう言ってもらえると、嬉しいですね」
飲み下した酒のせいか、それともさっきの言葉のおかげか。
少しだけお腹の辺りが、暖かくなった気がした。
(´・ω・`)「42年間仕事と会社に尽くし続けた……。凄い事じゃないですか。尊敬しますよ。
それに、生まれた時から全てを持っている人なんて、どこにもいません。
今からでも、何かを始める事に遅すぎるなんて事はありませんよ?」
本当に、ありがたいと思った。
彼は私の事を思って、真摯な言葉を掛けてくれている。
だが、私には。
年老いて枯れてしまった、その枯れを自覚してしまった私には。
あと一歩、その言葉は届かない。
自分でも届いて欲しいと思っているのに。
少し勇気を出して手を伸ばし、口を開けば、届くのに。
( ´ー`)「……それは、若い者だからこそ言える言葉なのですよ」
口から出てくるのは、意図とは反したひねくれた言葉のみだった。
本当に、申し訳なく感じる。
彼の誠意を、私は下らないプライドでむげにしてしまった。
彼のバーテンダーとしての矜持にも、傷をつけてしまったかも知れない。
(´・ω・`)「……お客様に、飲んで頂きたいカクテルがございます。よろしいですか?」
不意に、バーテンダーが口を開いた。
私は面を喰らいながらも、小さく頷いた。
(´・ω・`)「ありがとうございます」
バーテンダーはそう言うと、にやりと笑った。
そして、カウンターの上に幾つかのボトルを並べ始めた。
――再びカウンターを隔てて――
(´・ω・`)「……お客様に、飲んで頂きたいカクテルがございます。よろしいですか?」
お客様は、とても疲れている。
疲れや迷いのせいで、魂の輝きを失ってしまっている。
自分の本当の声が聞こえているのに、聞こえないふりをしてしまっている。
ならば、グラス一杯のお酒で、輝きを無くした魂を濯いで差し上げるのは、やっぱりバーテンダーの仕事じゃないか。
(´・ω・`)「……今からお出しするお酒の名は、『イエスタディ』と言います」
( ´ー`)「昨日……ですか」
(´・ω・`)「えぇ、少し拡大解釈して、『過去』とも取れますが。……どうぞ」
差し出されたグラスを、お客様は手に取った。
一瞬だけ迷ったようにグラスの液面を見て、それから一口カクテルを口に含んだ。
(´・ω・`)「いかがですか?」
( ´ー`)「……辛くて、少しキツいですね。でも、色合いも綺麗で美味しいですよ」
(´・ω・`)「でしょう? 私は過去と言うのは、このカクテルと同じだと思っています。
少し口当たりはキツいかもしれないけど、それでも綺麗で、美味しくて、
何よりその味のように、確かに存在するものなんだと」
顔を上げたお客様と、目が合った。
その目には、少しだけ輝きが戻ったようにも感じられる。
( ´ー`)「……ですが、それも今だけでしょう? 少し時間が経てば、先ほどのグラスのように、褪せた味に……」
だが、まだ足りなかったようだ。
もう一押し、必要らしい。
(´・ω・`)「……本当に、そうでしょうか?」
( ´ー`)「と……言いますと?」
勿論、その一押しにも抜かりは無い。
(´・ω・`)「本当ならお勧め出来た飲み方ではありませんが……
少し時間を置いてから、もう一度そのグラスを飲んでみてください」
お客様は訝しみながらも、了承してくれた。
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(´・ω・`)ようこそバーボンハウスヘ、のようです
暫くの間、奇妙な沈黙がバーに流れた。
(´・ω・`)「……大体、先ほどと同じ位の時間が経ちましたね」
( ´ー`)「……そうですか」
お客様が、再びグラスを手に取る。
その目はやはり力なく、しかし小さな期待も、垣間見えた。
お客様自身、期待しているのだ。
このカクテルに。
昨日を、過去を意味するこのグラスに、自分が救われるだけの力を。
答えられるだろうか。
一瞬だけ、心に不安が過ぎる。
偉そうな事を言って、本当にミスは無かったか。
氷選びは適切だったか。
またその積み方は正しかったか。
シェイクは失敗していなかっただろうか。
時間は長すぎなかったか、短すぎなかったか。
お客様を救い得る完璧な味を、僕は作れただろうか。
お客様が、グラスを一気に傾けた。
( ´ー`)「……」
(´・ω・`)「……」
静寂が訪れる。
心臓が早鐘のように高鳴っていく。
だが、表情には億尾にも見せてはいけない。
川の奥底を流れる静かな水のように、ただ笑顔だけを浮かべている。
( ´ー`)「……不思議なカクテルですね。時が経っても色褪せない過去。一体どんな魔法を使ったんですか?」
成功していたようだ。
僕は心中で、ほっと胸を撫で下ろした。
(´・ω・`)「不思議ですよね。……お酒は、ただの液体じゃありません。
どんなお酒にも、それぞれに魂が篭められているのです。
だからこの『イエスタディ』は、時が経っても味が褪せないんじゃないでしょうか」
にこりと笑いながら、僕はお客様にそう申し上げた。
( ´ー`)「……なるほど。ありがとう、バーテンダーさん。
君のおかげで、私の過去が少しだけ良い物になった気がするよ」
(´・ω・`)「いえ、貴方の人生は元から、素晴らしいものだったのですよ。
私はただ、そこに付いてしまった微かな曇りを、洗い流しただけです」
僕の言葉に、お客様は小さく微笑んだ。
その目には、優しい煌きが灯っている。
( ´ー`)「そうかな。……そうなのかもしれないね」
(´・ω・`)「そうですよ。そうなんですよ、お客様」
僕が小さく微笑みかける。
お客様も、小さく笑い返す。
この時僕は、本当にバーテンダーをしていて良かったと、思えるんだ。
( ´ー`)「ありがとう、また来させてもらうよ。……遅れたけど、私はこう言う者……だったんだ」
古ぼけた名刺入れから一枚の名刺を取り出し、お客様はカウンターに置いた。
丁寧に礼を言い、両手で拾い上げる。
(´・ω・`)「シラネーヨ様ですか。分かりました、お待ちしております」
シラネーヨさんはドアの近くで小さく頭を下げて、それから店を出て行った。
シラネーヨさんが帰ってから、僕はまたいつものようにグラスやボトルを磨き始めた。
イエスタディのグラス。
氷のチョイスと、シェイクの仕方、回数に細心の注意を払う。
またグラスの淵に直接、微かにライムの皮をピールしておく。
こうする事で、少しの時間が経ったくらいでは香りや味の褪せないグラスが出来る。
誰かに知られたら、お前のした事は詭弁だと謗られるだろうか。
(´・ω・`)「でも……嘘も方便って言うしね」
だけど、そもそもバーとはそう言う所なのではないだろうか。
バーのカウンターは舞台なのだと言う言葉がある。
このカウンターの上では、精一杯のカッコつけが許される。
ほんの少しの嘘も、許されるのだ。
事実、シラネーヨさんは来た時よりも晴れやかな気持ちで、
お帰りして頂けただろうと、僕は思う。
翌日。
またも開店時刻直後に、ドアが軋みを立てた。
( ´ー`)「やぁ」
(´・ω・`)「いらっしゃいませ。……シラネーヨ様」
少しだけ面を喰らってしまった僕に、彼は笑いながら言う。
( ´ー`)「第二の人生って事でね、暫くはこの店でお酒を飲む事を、趣味にさせてもらうよ。
……構わないよね?」
僕は笑顔で答える。
(´・ω・`)「えぇ、勿論です。今日は何にいたしましょう」
今日、ここバーボンハウスには、また一人常連さんが増えた。
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