セクサロイドが男を見つめる。


男が物言わなくなってから二度目の陽が昇り始め、
閉じたカーテンの向こうは微かに明るくなっている。
しかし依然として部屋の中は薄暗い。

男は今は静かに眠っている。
女の、人工筋肉とはいえ柔らかいその太股に頭を乗せられている。
呼吸は微かで、このまま消えてしまいたいという願望が現れているかのようだ。

女は目を瞑り、子どもをあやす様な緩慢な動作で彼の頭を撫で始める。

彼女は彼に何が起こったのか、彼が何をしたのかを知らない。
何故ここまで憔悴し、自分を責めているのかを知らない。
何も知らない人間からの優しさは棘にしか成りえないということも知らず、
彼が覚醒していた時にただ純粋な棘を刺し続けた。

もちろん悪意はない。
そして彼自身もその棘を甘んじて受け入れていた。
他人からの罰を望んでいた彼にとってその棘は、まさに最適の棘だった。

当の本人からの棘ではなく、似た別人の棘で満足していたのだ。

彼はどこかで二人を重ねて、そして代用しようとしていた。



 ※ ※ ※

( 'A`)】「あ、はい、ドクオです……」

( 'A`)】「すみません、……今日限りでバイト辞めさせていただきます」

( 'A`)】「すみません、すみません、……すみません、失礼します」

こうして電話口ではあるが、バイトを辞めた。
もちろん直に話しに行こうとも、これからあのコンビニを利用しようとも思わない。
少しの間とはいえお世話になったバイト先に対して
なんと適当な辞め方だろうかと苦笑いする。

俺は逃げたのだ。
しぃちゃんと合わす顔がない。
想いを伝えられないからせめて見守ろうとした存在は、
しぃちゃんにとって"ストーカー"としか認識されなかったからだ。

当然だ。


鏡で自分の顔を見る。
想像以上に酷い顔だ。
ここまで泣いたのは大学で二浪が確定した時以来だろうか。
結局半端なところに入学するくらいなら、と大学進学は諦めてフリーターになった。
あの時の判断が正しかったのかどうかは分からない。
でも心のどこかで後悔している。

俺はいつも後悔しているなぁ。

コンロに乗せられた鍋の蓋を開ける。
中のブツは色合いからしてビーフシチューだろうか。

デレが初めて来た、何年も前のような数日前のことを思い出す。
あの時の料理の腕は酷かった。
野菜は不ぞろい、肉は固い、何故か調味料を入れまくり。
ビーフシチューをここまで不味くできるとは、なんて驚いたっけ。


一昨日はこれを作って待っていてくれたのか。
そういえば嬉しそうな顔をしていた。

きっと成功したんだろう。
おいしくできたんだろう。

だろう、だろう。

それは推測の域を出ない。
その現場に俺は居合わせてやることができなかったから。
最低な行為で最低な結末を迎え、碌に相手にせず自分の殻に閉じこもったから。

流し果てたと思っていた涙がまた出そうになる。
今回の後悔はいつもより重い。
俺が言える権利などないが、重い。

蓋を閉じ、またコタツへと向かう。
腹は減ったが食欲はない。

ζ(゚ー゚*ζ「ただいまー」

玄関ドアが開き、デレが帰ってきた。



ζ(゚ー゚*ζ「おいっすー、元気でた?」

('A`)「ああ……まあまあ」

ζ(゚ー゚*ζ「そっかそっか、良かった」

('A`)「……?それは何?」

ζ(゚ー゚*ζ「あ、これ?じゃーん、プッチンプリンぶどう味ー」

ζ(゚ー゚*ζ「どっくんがお風呂上がりに食べるプリン切れてたから」

ζ(゚ー゚*ζ「補充しようと思って」

('A`)「……ありがとう」

ζ(゚ー゚*ζ「どういたしまして」

絞りだした二度目のお礼は声にならなかった。









('A`)はセクサロイドを愛するようです

  むいかめ「俺と葛藤」
 










デレがいそいそとお昼の用意をしてくれる。
不思議なことで、自然と食欲が湧いてきた。
時計を見ていなかったからわからなかったが、もう昼もいいとこだ。
それもわからないくらい俺はコタツに沈んでいた。

台所でビーフシチューを温めるデレを見る。
鼻歌混じりに鍋をかき混ぜるその姿はまるで新婚の妻みたいだ。
漂ってくる良い匂いに幸せを感じるが、
その度に打ち寄せる波のような後悔が幸せを掻き消す。

眠ってすっきりした頭で様々なことを、
俺の脳のキャパシティを超えた速度で処理する。

その結果、一つ区切りをつけようと思った。

ζ(゚ー゚*ζ「はぁいおまたせ」

湯気のたった器とご飯のよそられた茶碗をお盆に載せて
てこてこと歩いてくる。


シチューを掬い、口に運ぶ。
デレは俺の一挙一動を固唾を飲んで見守っている。
その目があまりにも真剣なものだから、思わず笑ってしまいそうになる。

ζ(゚ー゚*ζ「……どう?」

俺の動きが止まったのを見てそう尋ねてきた。

('A`)「すごいうまい」

数日前のシチューより遥かにうまい。
今の安物の鍋で作れる最大限なんじゃないだろうか。

ζ(´ー`;ζ「良かったぁ」

はふぅと息を吐き、脱力した。
短い言葉だったけど俺の本心を理解してくれたらしい。

ζ(゚ー゚*ζ「私ね、どっくんがバイト行ったり寝てる間に勉強してたんだよ」



ζ(゚ー゚*ζ「近くの図書館に行ったり、本屋で立ち読みしたり」

('A`)「そんなことしてたのか」

ζ(゚ー゚*ζ「うん。まあ暇だったし、どうせならリベンジをとね!」

まるでお手本のようなどや顔だ。

('∀`)「はは、リベンジ成功だ、デレ」

ζ(゚ー゚*ζ「ふふ!」

上機嫌にコロコロと笑った。

じゃがいもやにんじんもきちんと食べやすいサイズに切られていて、肉も柔らかい。
俺が作ったものより確実にうまい。
デレさまさまだ。



ζ(゚- ゚*ζ「―――私が頑張ったことも、言わなきゃどっくんは分からないの」

ふと真面目な顔で、テーブルに目を落してデレが呟く。
突然のことで何のことか俺には分からなかった。

ζ(゚ー゚*ζ「だから一昨日何があったのか、言えるようになったら教えてね」

そう言って少し寂しそうに微笑んだ。

少しの間の後、ごめんと言おうとした俺をデレが手で制止した。

ζ(゚ー゚*ζ「とりあえずご飯お食べ!一昨日の夜から何も食べてないでしょ!」

('A`)「……そうだな、有難くいただくでござる」

ζ(゚ー゚*ζ「うむ、苦しゅうない」

じっくり、噛みしめるようにシチューを食べる。
本当においしい。



 ※ ※ ※

俺がしぃちゃんにつけた心の傷は大きなものだろう。
しかし俺と彼女が出会うことはもうないはずだ。

だから一つ区切りをつけるために、
出来る限り誠心誠意の謝罪をこめたメールをしぃちゃんに送った。
文末には「返事はし辛いだろうからいりません」と書いた。
これも一種の"逃げ"なのは承知の上で、だ。

それでもしぃちゃんからは返事が来た。

「最後に言った通り、これ以上何もしないなら私はもう気にしません」

「これからは女の子の後をつけるようなことはしないようにしてくださいね(笑)」

「では、お元気で」

俺はしぃちゃんに甘えて、文面通りに受け取ろうと思う。
彼女の優しさを頼りにするなんて、情けないとは思うけども。


開き直った俺の頭は素直なプラス思考になった。

彼女には沢山の友達がいる。
ストーカーについて相談され、自分達でなんとかしてしまう友達が。
ひょっとすると彼氏もいるのかもしれない。
気になる人がいるのかもしれない。

対して今の俺にはデレがいる。
他にも頼りないけど、内藤やショボン、ジョルジュもいる。
……あいつらにこのことを話すと爆笑されそうだ。

そう、互いに救ってくれる誰かがいる。

だからいつまでも過去を過剰に引き摺ってはいけないのではないか。
俺が出来得る、彼女に対しての贖罪は、
これ以上しぃちゃんに迷惑をかけないこと。

都合が良すぎると笑われるかもしれない。
でも限りなくプラス思考の俺が出したのはそんな結論だ。


そしてデレの事へと思考が移る。

デレがいなかったら俺はどん底に落ちていたに違いない。
あの三馬鹿だけでは救われない自信がある。
しぃちゃんにメールも送れずぐるぐると思考の迷路に陥って、
最悪自殺していたかもしれない。

しぃちゃんと同種の優しさを持ったデレがいたからこそ、
まだ足元の地盤は頼りないが、こうやって立ち直れたんだ。
その優しさは一時期俺を傷つけたけれども、
今ではそれで良かったと思う。

デレが俺の中で特別な存在になっているのは確かだ。
しぃちゃんの存在が希薄になった今、それが浮き彫りになっている。
デレの気丈さ、明るさ、優しさが俺を助けている。

だが俺の脆弱な心がデレに依存しようとする度に、
デレの本来の役割が頭を過り、俺を鈍らせる。



 ※ ※ ※

('A`)「……」

ζ(゚ー゚*ζ「?なぁに?」

('A`)「いや、綺麗な髪だなぁと思って」

ζ(゚ー゚;ζ「うーん……褒めてくれるのは嬉しいけど」

ζ(゚ー゚;ζ「これ人工だからなぁ」

('A`)「まさか技術がここまで進歩してるとは思わなかった」

('A`)「国も何考えてるんだか」

ζ(゚ー゚*ζ「さぁ……?」

ζ(゚ー゚*ζ「全然情報入ってないからわからないんだよね」



('A`)「お前を俺の所に送って来て何をしたいんだろうな」

ζ(゚ー゚*ζ「何をしたいかはわからないけど、何をさせたいかはわかるんじゃない?」

('A`)「…………あ」

ζ(゚ー゚*ζ「えっちー」

(;'A`)「むぐ」

ζ(゚ー゚*ζ「でも私がセクサロイドなんだって、もう忘れちゃってたよ」

ζ(゚ー゚*ζ「そういう風に造られてるのに、ね」

('A`)「……」

ζ(゚ー゚*ζ「私が、」

ζ(゚- ゚*ζ「私が人間だったら―――」

ζ(^ー^*ζ「なんてねっ」



 ※ ※ ※


――― セクサロイド。



俺とデレの間にはどうしようもない壁がある。





俺がいくらデレに惹かれようと、それまでだ。
そこから先の、社会的に認められるような関係にはなれるはずがない。

いや、そもそもこれは実験なのだ。
何が目的なのか、何をどうしたら終わりなのか分からない。
もとより二人に"遠い未来"なんてものはない。

ならせめてデレに本来の役目を果たさせるか。
セクサロイドとして国に託された役目を。

だがそれでいいのか。
俺はヘタレでビビリで、どうしようもない純愛思考の男だ。
デレとは今まで実にプラトニックに、丁寧に関係を積み重ねてきたつもりだ。
いくらセクサロイドとはいえ、俺に接するデレはいつも"人間"だった。
それを突然段階をすっとばすとどうなるのだろうか。

俺はただ、"セクサロイドとしてのデレ"を求めることになる。


好きな相手とセックスするのは健康的だ。
童貞の俺でもそんなことぐらい理解している。
しかし今の俺は自業自得とはいえ傷心状態で、
おまけにデレは恋した人に似ていると来たものだ。

デレと暮らして数日、デレは一度も役目を果たそうとしなかった。
あくまで俺のペースに合わせてきてくれた。
彼女は"役目を果たすべき相手としての俺"ではなく、
妄りに意思を捻じ曲げずに"ドクオ"として俺を見てくれた。

しかし今の俺では"デレ"に惹かれているのか、
"しぃちゃんの代わりとしてのデレ"に惹かれているのか、
それとも"セクサロイドのデレ"に惹かれているのか、判断できなかった。
ヘタレここに極まる。


故に、俺は―――





 ※ ※ ※

ζ(゚ー゚*ζ「どっくん」

('A`)「んあ?」

ζ(゚ー゚*ζ「シェンロンが3つ願い事が叶えられるようになったって」

ζ(゚ー゚*ζ「すごいご都合主義だよね」

('A`)「それを言いなさんな」

('A`)「大体シェンロンの存在自体ご都合主義だろ」

ζ(゚ー゚*ζ「まあそうなんだけどさ」

ζ(゚ー゚*ζ「3つにできるんかい!って思うよねー」

('A`)「まあな」



ζ(゚ー゚*ζ「ね」

('A`)「ん?」

ζ(゚ー゚*ζ「もし、願い事が1つだけ叶うなら」

ζ(゚ー゚*ζ「どうする?」

('A`)「……」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

('A`)「…………秘密」

ζ(゚、゚*ζ「えー」

ζ(゚、゚*ζ「教えないと私の願い事使って白状させちゃうよ」

(;'A`)「な、なんという無駄使い」

ζ(゚、゚*ζ

(;'A`)「…………」



('A`)+「世界平和」

ζ(゚ー゚;ζ「うっそだー!」

('A`)「うむ、嘘である」

ζ(゚、゚*ζ「憎たらしいことを言うじゃないの」

(;'A`)「いでで、つねるなつねるな」

('A`)「デレはどうなんだよ」

ζ(゚ー゚*ζ「ん?」

ζ(゚ー゚*ζ「……」

ζ(゚ー゚*ζ「料理がうまくなりますように」

('A`)「あながち嘘じゃなさそうだ」

ζ(゚ー゚#ζ「ムキーッ!」



 ※ ※ ※

故に俺は現状維持の道を選ぶ。

俺がデレに望むこと。
それはせめてこの家に居る間は楽しんでほしいということ。

だから焦ることはない。
セックスをするという役目はあるのだろうが、
でもデレはこんな俺にペースを合わせてくれている。
その気持ちに甘えさせてもらおう。

多分俺はデレが好きなんだ。
でも、怖い。
人でない物とセックスして一線を越えるというその事実が。
女との一線を越えたことのない俺が易々と越えられるはずがない。

デレを心から愛せるようになるまでその行為は先送りにすることにした。




俺の願い。



"デレが人間になりますように"



エゴ丸出しのこの願いは、ついに外に出ることはなかった。




むいかめ「俺と葛藤」 おわり


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