スーツを着た女は大きく伸びをした。



「お疲れ様です」

眼鏡をかけた真面目そうな風貌の男が女に声をかけた。

「うん、お疲れ」

キーボードを打つ手を止めず、目もよこさず返事をする。
最近の女性らしく、しっかりメイクをしたその顔からは少々の疲れが窺える。
男は少し溜息をついて神経質気味に眼鏡の位置を調節する。

「明日、D-19エリアの定期検査の日ですよ」

「わーってるわよんなこと」

女が口をとがらせてイライラしながら少し激しくタイピングする。
また溜息を、今度は深くつき、また眼鏡の調節をして問いかける。

「今度は前みたいなこと、しないでくださいね?」


「わーってるわ、よ!」

タンっと乱暴にエンターキーを押した。

「ほーらこれで始末書完成」

年甲斐もなく得意げな笑みを浮かべる女を見て、また男は溜息をついた。

「キュートさんのせいで僕まで始末書書かないといけないんですから」

「あら、あんたと運命共同体?嫌だわー」

「僕だって嫌ですよ、仕事上パートナーになってんですから、ちゃんとやってください」

男が苦々しく口元を歪ませる。

「だーってさー、あーいう奴見てたらイッライラしてくんのよねー」

眼鏡に手をかけながら軽口を諫めようと口を開きかけた男に言葉を被せる。


「そーいえばさ、セクサロイド、新型できたらしいのよ」

「ええ、らしいですね」

マウスを操作し、該当するメールを開く。
画面に表示された5世代α型セクサロイドの情報を見つけ、
指でなぞって男に読ませた。

「へぇ、より人間らしく、ねぇ」

「そうよー。アサピーもハマんないようにしなさいね」

ハマりませんと男が即座に答えた。

「だから今の4世代系は役目を終えたら回収・廃棄らしいのよ」

「廃棄、ですか」

「欲しい?」

要りませんと男が即座に答えた。






「第一僕、彼女いるんですから」

「知ってる」

男が女を睨みつける。
彼にとってこの弄び方は禁止らしい。

「あんた本当にこの手のジョーク駄目ねー」

「キュートさんは軽すぎるんですよ」

また眼鏡の位置を調節する。
女は男がその動作をした後は必ずお小言を言うことを理解していた。

「国家に仕える人間なんだから、もっと発言には気をつけて―――」

「はーーーーーい」

そう適当に返事をする女を見て、男はまた溜息をついた。



 ※ ※ ※

ζ(- -*ζ「おはゅ……」

('A`)「どんな発音だよ」

謎の言葉を呟きながらデレがスリープモードから戻る。
テレビからは朝のニュースが始まった音が聞こえてくる。
時間にはルーズではないらしい。

ζ(- -*ζ「ねむねむ」

ζ(- -*ζ「むー……」

もぞもぞとコタツへ沈んでいく。
そう言えば俺が買ったパジャマを着ている。
……普段は照れくさくて言えないが、寝ぼけてる今なら言える。

('A`)「……パジャマ可愛いな」

ぼそり。



Σζ(゚ー゚*ζ

言い終わると同時にガバっと起き上がってきた。
コタツの机が跳ねる。

ζ(゚ー゚*ζ「今!」

(;'A`)「ふ、ふぇ?」

どこの萌えキャラだ俺は。

ζ(゚ー゚*ζ「今なんて言った!!」

思い切り顔を近づけてきた。
パジャマの首元が緩み、中が見えそうになり顔を背ける。

(;'A`)「……」

ζ(゚ー゚*ζ「ワンモア!」


顔が近い。
荒い鼻息が頬にかかる。
というか息も実装か。
ひょっとすると空気清浄機の代わりも……。

ζ(゚ー゚*ζ「…………」

無言の圧力である。

(;'A`)「……パジャマかわいいね」

数秒の空白の後、ついに俺が折れた。
恥ずかしいやらなんやらで顔が赤くなるのがわかる。
言葉を待ち構えてる相手にこんなにストレートに言ったんだ、当然だ。

ζ(´ー`*ζ「ぬっふふふふ……」

ゴキゲンな含み笑いを残してまたコタツに沈んでいった。

そして顔を真っ赤にした俺は、ただその場に硬直するしかなかった。










('A`)はセクサロイドを愛するようです

  なのかめ「俺と理想」
 











 ※ ※ ※

まだ俺は外に出るのが怖い。

しぃちゃんと出会ってしまったら、俺はどんな顔をすればいい?
いくらしぃちゃん相手とはいえこればっかりは反応を予想できない。
酷く気まずい雰囲気が流れるのは確かだろう。

それに俺はストーカーをしていた男だ。
そのことは周知じゃないだろうけど、罪の意識からか
部屋に居る時ですら常に誰かに後ろ指をさされている気分になる。
外に出たら俺はどうなってしまうのだろうか。

でも、そうも言ってられない。

俺は何をするべきか。

デレに楽しく過ごしてもらうために行動するしかないのだ。

なけなしの""を振り絞り、行動するしかないのだ。



('A`)「デレ」

ζ(゚ー゚*ζ「なに、どっくん?」

('A`)「デートしよう」


ζ(゚ー゚*ζ






ζ(゚ー゚*ζ「……え」




デレとは話したいことがある。
こういう形式をとってみるのも良いかもしれない、なんて考えたわけだ。

朝に一度恥ずかしい思いをした。
だからこんなセリフぐらいなんてことはない。
事前練習をさせてくれたデレにお礼を言いたいくらいだ。


でも

肝心のデレが、

何故


顔を真っ赤にしている?


('A`)「お、」

(;'A`)「俺まで恥ずかしくなるだろうがあああああああああ!!!」




 ※ ※ ※

先の雨以来外に出なかったからわからなかったが、もはや冬の様相だ。
冬はこれより寒くなるっていうんだから四季は侮れない。
まあ元々俺が寒さに弱いというのも関係しているかもしれないが。

服に覆われていない顔を刺す冷気が微かに痛い。
少しでも軽減しようと、他人の目から自分を守るよう首を縮めて
マフラーに隠れるが、やはり寒いもんは寒い。
でも他人の視線は少し気にならなずに内心落ち着く。

ζ(゚ー゚*ζ

デレはいつもと変わらず悠々と歩いている。
こんな時ばかりはアンドロイドであることが羨ましい。

ζ(゚ー゚*ζ「ねね、どこ行くの?」

明るい表情でデレが話しかけてくる。
子どもみたいだなぁ。


こういう時、どこに行くのが正解なのだろうか?
先にデートコースを考えずにデートに行こう、なんて
駄目男丸出しの先走った行動を少し後悔した。

しかしデレはアンドロイド、女性的な思考を持ってはいるが、
普通の女性の願望がそのまま通じるとは思えない。
いや、普通の女性とのお付き合いがないから全ては推測なんだけど……。

ええい、丸投げだ。

('A`)「デレはどこに行きたい?」

ζ(゚ー゚*ζ「私?そうだねー…………」

デレが視線を宙に泳がせて考える。
今日はデートという名目もあり、あの日買ってあげた服を着ている。
やはりよく似合っていて可愛い。
こうして見ると本当にただの女の子だ。



ζ(゚ー゚*ζ「行きたい所多すぎて、どこでもいいや!って気分かな!」

('A`)「そうなの?」

ζ(゚ー゚*ζ「うん。だからどっくんとその辺ブラブラしてるだけでもいいかなーって」

('A`)「あらまあ安上がりなこと」

えへへと笑う。
俺とその辺をブラブラしても何も楽しいことはないだろうに。

ζ(゚ー゚*ζ「部屋の中はもう飽きちゃった、だからもっと外の世界を広げたいかなぁ」

言ってからデレがハッとした顔になった。
恐らく俺に対して遠回しながら不満を言ってしまった、とでも考えたか。

俺がバイトやらなんやらで留守番ばっかりさせていたから、
必然的にデレはあまり外に出られなかった。
そのことに関しては俺に全て非があると言うのに、
デレは一言も不満を漏らさなかった。



ζ(゚ー゚;ζ「あああ、いや、どっくんが悪いわけじゃないんだよ!」

ぶんぶん手を振って否定の意を示してくる。
その必死さがなんだか可愛くて、思わず笑ってしまった。

ζ(゚ー゚#ζ「も、もー!何さ何さ!人が気を遣ったのに!」

('∀`)「あっはっは、ごめんごめん、そうだな、その辺歩こうか」

ζ(゚ー゚#ζ「ふーんだ!」

プリプリ怒って大げさな歩き方で先に行ってしまった。
確かに、せっかく俺を気遣ってくれたのに、
それを笑い飛ばしたのは失礼だったな、と反省した。

足早に去っていくデレの後を追う。
……人の背中を追うのが上手になったなぁ、なんて思ってしまい、
かさぶたになった心の傷が少し自己主張した。


いくつか角を曲がって通りを抜ける。
そして人の密度の薄い川の近くの土手を行く。
デレはこの辺りの地理に明るいのだろうか。

変わらずドシドシ歩いていくデレの後を黙ってついて行っていたが、
唐突にデレがぴたりと歩くのを止め、振り返った。

ζ(゚ー゚*ζ「嘘でしたー!怒ってないよー!」

色を失いつつある世界で、唯一色を持った、満面の笑み。
ドッキリ大成功!と書かれたプラカードでも出しそうな勢いだ。
多分俺が心配して、悲愴な顔で後を追っていると思っていたのだろう。

でも、俺が簡単に追いつけるように歩く速度を落としていたことや、
角を曲がる時にデレがイイコトを思いついたようにニヤニヤしていたことを、
俺は知っていた。


だから。




ζ(゚- ゚*ζ「えっ?」

袖からちょこんと覗くデレの手を握る。

('A`)「気遣ってくれてありがとう、デレ」

('∀`)「行こう」

柔らかいが、熱は伝わってこない。

その代わりに何かが伝わってくるような、そんな手。

ζ(^ー^*ζ「――― うん!」

手を繋ぎながら歩く。

デレには俺のことを知ってほしかった。

予定は前倒しだけど、歩きながら話すことはたくさんあるんだ。




 ※ ※ ※

幼稚園、小学校、中学校、高校生、大学浪人、フリーター。
母さんと二人で人生が始まったこととか、
幼稚園の時に保母さんに恋をしたこととか、
小学生の時はクラスの中心的存在だったこととか、
中学生の時はテニス部に入って勉強も頑張ってみたこととか、
母さんの事情で実家に帰ったこととか、
高校生の時はそのせいで友達がうまくつくれず塞ぎこみがちになったこととか、
勉強にも力が入らず浪人したこととか、
母さんが亡くなって家を飛び出したこととか、
結局諦めてフリーターになったこととか。

こうしてまとめると墜落人生のように思えるが、
俺の歩んできた経歴は実に、面白いぐらいに普通だ。
当事者が言うんだから間違いない。

そんな普通の話をデレは楽しそうに、時に悲しい顔をして聞いてくれた。
普通ということは楽があれば苦もあったということだから。


陽が落ちそうな頃、俺達は公園のベンチに落ち着いた。
寒空の下でも子ども達は風の子のように元気に遊んでいたが、
母親に言いつけられた時間が近くなったのか、風のように去っていった。
そして公園は静寂を取り戻した。

('A`)「……そんで、ちょっと前まで働いてたバイト先で、ある女の子と出会った」

話はついに最近まで近づいた。

('A`)「あー……ここから先は言い辛い」

ζ(゚ー゚*ζ「なら無理しなくても」

いや、とデレの言葉を遮る。

('A`)「デレには聞いてほしいんだ、俺が」

そう言うときゅっと口を結んだ。

('A`)「俺はその子が大好きで、そんでストーカーになった」



('A`)「無意識に後をつけまわしてた」

('A`)「好きだと言えないならせめて見守ろう」

('A`)「……なんて思ってたんだぜ、俺」

('A`)「本当、馬鹿みたいだ」

('A`)「その子にとっては気味の悪いただの変質者でしかないのに」

('A`)「……その子とその友達に思い知らされて、初めて気づかされたんだ」

('A`)「俺のやってることはストーカーなんだって」

('A`)「そっからはデレの知ってるあの時の俺だ」

ζ(゚ー゚*ζ「…………どっくんは優しいけど臆病で、ヘタレ」

('A`)「なんとでも言ってくれ」


俺はもう後悔したくなかった。
デレが知りたがった""を話さなかったら、きっと俺はまた後悔していた。
俺のためにもデレのためにも、
彼女がどんな反応を示そうとこれだけは話しておきたかった。

そしてデレとの関係にも後悔したくなかった。
だから洗いざらい話したのだ。

ζ(゚ー゚*ζ「でもね、私に話してくれてありがとう」

柔らかな笑みを浮かべてそう続けた。

ζ(゚ー゚*ζ「どっくんは、頑張ってきたんだよ、今まで」

('A`)「……俺が?」

ζ(゚ー゚*ζ「そう!ずっと、ずぅ〜〜〜っと!」

顔は真剣だ。
俺を茶化す時の子どもっぽさは消えている。



ζ(゚ー゚*ζ「お願い!」

突然デレが大きな声を出して驚く。

ζ(゚ー゚*ζ「もし、一つだけ願い事が叶うなら」

俺が話してる間中、ずっと握ってくれていた手を今度は両手でぎゅうと包んだ。


ζ(゚ー゚*ζ「どっくんが幸せになりますように」


子ども達が秋の気配を連れ去った、澄んだ空気の公園に、
デレの声が一際綺麗に響いた。
鼻の奥がつんとした。
でも嫌な感覚ではなかった。

('A`)「……デレ」

ζ(゚ー゚*ζ「どう、叶うかな?」

優しい笑顔のこの女の子は、アンドロイドのこの子は、俺のために願ってくれた。





( ;A;)「――― ああ、叶ったよ」



自然と俺達の顔の距離が近くなる。


無機質だけど、意志を秘めた瞳。

人工だけど、綺麗な肌。

偽物だけど、輝く金色の髪。

作りものだけど、柔らかな唇。


セクサロイドだけど、本物のデレ。


その時、俺は確かに幸せだった。




 ※ ※ ※

('A`)「ただいまっと」

ζ(゚ー゚*ζ「おかえりっ」

家の鍵を開けた俺より先にデレが入って言葉を返す。
そして俺の言葉を待つように耳に手を当てる。
しょうがない、付き合ってやるか。

('A`)「おかえり」

ζ(゚ー゚*ζ「ただいまっ」

そんな小さなやり取りだけで今は満足だ。

今日はまるで理想を現実に反映したかのような一日だった。
一日夢でも見ていたんじゃないかと疑ってしまうほどに。


今日は大きな一歩を踏み出した。
流れというか、雰囲気というのは人の手助けをしてくれるらしい。
今思い出したら赤面してしまうような、普段の俺からは考えられない行動だった。

だがしかし。
過去に二次元をオカズにオナニーをするという一線を越えた俺だが、
未だオナホを使ってオナニーをするという一線を越えられていない。
そのこともあってか、デレとはまだ一線を越えられそうにない。

これは俺の気持ちの問題だ。
でもいずれは彼女と"セクサロイド"として、ではなく
"デレ"としてセックスをする日が来るかもしれない。
ヘタレでもその辺を考えてしまうのは下半身で物を考える、男の性だ。

でもいずれ、だ。
ゆっくりでいいんだ。
ゆっくり、デレへの気持ちを""から""に変えていこうと、そう思った。




なのかめ おわり さいしゅうびへ つづく


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