('A`)ドクオが夢を紡ぐようです 6話



オープニングテーマ:改革がない!

マルクスとマルサスは違う人 どうか気をつけて
マルクスの親父 資本論でマルサス叩き
存外君ら仲悪い
名前だけ格好良い ビルトインスタビライザー
ホワイトカラーエグゼンプションと並ぶ格好良さ

発動せよ神の見えざる手 ケインジアンよ立ち上がれ
スポイルズシステムにより集え 我が思想を共にする者よ
レスリスバーガーレタス抜きで あとスマイル下さい




第6話『ニートじゃないもん!ぎりぎり大学生だもん!』

从 ゚∀从 「ついに追い詰めたぜ歯車王。まさか日本銀行で印刷機に変型しているとはな!」

|::━◎┥「ふふふ。やっと私を探り出しましたかハイン。遅すぎですよ。印刷機としての快感を覚え始めちゃったじゃないですか」

从 ゚∀从 「そのまま印刷機として減価償却されまくって一生を過ごせばいいじゃねーか」

|::━◎┥「いや、それはちょっと……。職業的に使い捨てみたいなところありますし……」

从 ゚∀从 「怪人の分際で何真面目に将来設計考えてんだよ。そう言うのは社会に貢献してからにしろ」

|::━◎┥「怪人だって生きているのです。出来れば失業保険のある仕事につきたいのです」

从 ゚∀从 「失業保険より世界征服を気にしろよ。お前らのアイデンティティそれしかねーじゃんかよ」

|::━◎┥「……今時、世界征服とか……」

从#゚∀从 「なんだよ世界征服悪いかよ!!こっちはなぁ!!こつこつ目指してるんだよ!!地道に株とか買ってんだよ!!
      中国株に手を出して痛い目見たよ!!悪いか!?悪いか!?あぁ!?」

|::━◎┥「あなたが世界征服を目指してどうするんですか」

从 ゚∀从 「目標はでっかく!!エンゲル係数はちっちゃくだ!!」

|::━◎┥「ヒロインがエンゲル係数を気にするとかどーなんですか?それ」

从 ゚∀从 「うるせぇ!どいつもこいつもバカバカ値上げしやがって!!ヒーローだって腹が減るんだよ!!
     内容量減らされるとムカつくんだよ!!」




|::━◎┥「ヒロインだって消費者、ですか……そうなのです」
     投資家のエサにされる原油!小麦!格差は広がり、底辺はより底辺へ!」

从;゚∀从 「まぁ……なぁ」

|::━◎┥「私は、ここで本当の好景気を作り出します」

从 ゚∀从 「はぁ?」

|::━◎┥「いくら景気が上向いたと言っても、内需が拡大しなければ意味がないんですよ?わかりますか?」

从 ゚∀从 「はん。だからって日本銀行で印刷機になってどうするつもりだ?」

|::━◎┥「決まってるでしょう!作るんですよ!お金を!現金を!紙幣を!
      作って、作って、作りまくるんです!
      そしてばら撒くのです!
      ニートに!
      フリーターに!
      低学歴に!
      ワーキングプアに!
      後期高齢者医療制度で切り捨てられた老人に!
      この国の内需を拡大させて、本当の好景気を作り出すのですよ!」





从 ゚∀从 「この馬鹿が!!」

|::━◎┥「馬鹿はどちらですか!
      派遣規制を緩めたのはどなたですか!?
      後期高齢者医療制度を作ったのはどなたですか!?
      暫定税率がなくならないのは何故ですか!?
      最早、我々が動くしか国民の生活の安定はあり得ないのです!」

从 ゚∀从 「黙れ」

ジャババババババババババ!!!

|::━◎┥「ちょ!!!やめろ!!ガソリンはやめろ!!まくな!!まくなぁああああ!!
      うぉぃ!?何だそのジッポ!!やめろ!!やめっ!!ちょ!!ちょぉおーー!!」

从 ゚∀从 「はん。歯車王!!お前はハンガリーの兄弟の話を知っているか!?」

|::━◎┥「いや、知ってるけど……」

从#゚∀从 「知ってんじゃねーよ!」


('(゚∀゚∩『視聴者!もとい読者の皆様には解説するよ!!
      特別ゲストは五話で大活躍の流石兄弟だよ!!』





(兄 ´_ゝ`)「と言うわけで、父者の遺産がここにあるわけだが。俺はこの遺産をよりニーソックスが好きな方が受け継ぐべきだと思う」

(´<_` 弟)「常識的に考えて山分けだろう。それか一分でも遅く生まれた方が総取りでいいと思う」

(兄#´_ゝ`)「ふざけんな。山分けで行くぞ」

(´<_` 弟)「おk把握した」



(兄 ´_ゝ`)「そんなわけで金が手に入ったわけだが。これはもう酒を買うしかないに決まっているな」

(´<_` 弟)「さてどうしたものか……。この国の将来も不安だしとりあえず貯めておくか」

(兄*´_ゝ`)「酒うめぇwww 頑張れめっちゃ頑張れ俺の肝臓www」

(´<_` 弟)「兄者はちゃんと働いているかな……。心配だ。
        ずさんな性格だから部屋の掃除もまともにしていないんじゃないだろうか……」

(兄 ´_ゝ`)「むぅ……。部屋が酒瓶だらけだ……汚いな……。よし」

(´<_` 弟)「遺産も合わせて蓄えも大分多くなってきたな。これで俺の将来も安泰だな」

(兄*´_ゝ`)「中に水を入れて叩いて遊ぶか。これだけあれば何か一曲くらい演奏出来るだろう」





('(゚∀゚∩『そんな事してる間にハイパーインフレが来たよ!!
      インフレって言うのはお金の価値が駄々下がりしちゃう事だよ!!
      ベビーカーいっぱいのお金でパンを買うとかそんなわけのわからないレベルのインフレだよ!!』

(´<_`;弟)「俺の蓄え全部合わせて買えるのが……たったこれっぽっちのパンだと……?」

(兄*´_ゝ`)「なんだか酒瓶がとんでもない値段で売れるな。うむ。頑張って笑点のテーマを演奏出来るようになっただけある」

('(゚∀゚∩『そんな感じで真面目な弟の蓄えは紙くず同然の価値になり、
      反対に酒飲みの兄の酒瓶が高値で売れて左団扇になったって言う、
      救いも糞もない話だよ!!』

从 ゚∀从 「そんなわけでなぁ!!貨幣の量を増やしたところでインフレが起こるだけで別に国民生活は豊かにならねーんだよ!!
      それどころか金の価値が変わる事によって世の中大混乱だぜ!!」

|::━◎┥「っく……。しかし今我が組織は酷い資金難!ここで私が紙幣を印刷しなければ……!」

从#゚∀从 「結局それが目的じゃねーか!こうしてやる!!食らえ!!」

|::━◎┥「だからライターはやめろぉお!!!」

ドカーン!!

从 ゚∀从 「今日も悪を討ち取ったぜ!!流石美しい私!!」





('(゚∀゚∩『ニュースを読むよ!!本日未明、日本銀行が世界征服を企む悪の組織、有限会社【アンニュイ】と
      世界秩序を重んじる正義の組織、株式会社【血祭り】の戦闘行為により大破した模様だよ!!
      復旧費用はおおよそ2000億円が見込まれているよ!!』

从;゚∀从「2000億円て……お前……」


('(゚∀゚∩『次回予告だよ!!』

从 ゚∀从 「世の中にはなぁ!!二種類の人間がいるんだよ!!私と、私以外だ!!」

从 ゚∀从 「……え、私人間か……?」

从#゚∀从「焼き払えぇええ!!」

从 ゚∀从 「大きくなったら、幼女になりたい」





貞子は、繰り返し何度も見たその映像を、豪奢なベッドで無表情に見つめていた。
彼女の冷め切った瞳とは反対に、壁にかけられた大きな液晶テレビは鮮やかにそれを映し出す。
その鮮やかさが、今、自分のいる、赤と黒で統一されたセンスの悪いホテルの部屋に、妙に浮いて感じられて、
なんだか、とてもとても、いかがわしいモノに感じられた。





だから彼女は、自分の肩が次回予告が終わる頃にはすっかり冷えてしまった事も、
一緒のベッドで、本をめくっている筈のジョルジュの腕が自分に伸びて、そして触れる直前でひたと止まり、
再び本をめくる作業に戻ったことも、気がつかなかった。

川д川「この回……地味」

やっとテレビから視線を離した時に、呟いたその言葉は、
けしてベッドの彼に向けて言った言葉ではなかった。
彼はコトが終わったあとは、あまり彼女に構う事のない人間であったし、
彼女もそれを十分に受け入れていたからだ。

( ゚∀゚)「確かにね。でも、この回は脚本家の先生がオリテキタ回らしいから、
     外ではそーゆー事言わないでね」

しかし、彼はごく自然なトーンで彼女の呟きに応えた。
貞子は驚きに一瞬身体を震わせたが、それを悟らせぬように彼に向き直る。
不自然に長い髪が彼女の首筋をはらはらと伝いシーツと彼女の間に新しい道を作る。




川д川「オリテキタ……?」

( ゚∀゚)「よーするに自信作って事よ。でもその先生オリテキタ回ほどこける事で有名だから」

川д川「そうなんですか……。確かに、ハインの派手なアクションを期待している視聴者には、受けないかもしれませんね……」

( ゚∀゚)「そーねー。このオチなんかは俺好きだけどね。貞子はどうなの?このハインはやり辛かった?」

川д川「えっと、内容……と言うよりは、歯車王の方が上手だったので、引っ張って貰えてやりやすかったですね」

( ゚∀゚)「なるほどねー。歯車王かぁ。ああ、ワカッテマス君ね。彼、いいよね。声も評判も。また何かで使いたいなぁ」

川д川「はい。私も是非、ご一緒したいです……」

( ゚∀゚)「え?何。妬けちゃうなぁ。俺みたいなオジサンにはもう興味ないですか?」

川д川「いえ…っ!そう言う意味じゃなくって……」

( ゚∀゚)「っはは。冗談だよ。貞子も、こんなところでまでオベッカ使わなくてもいいのに。
     何?他の相手にもそーやって健気にしてるの?」

川д川「他の……相手?」

( ゚∀゚)「いるんでしょ?こーゆー営業してる相手他にも。全く声優さんは大変だねぇ」

川д川「営業……?」




テレビは既に天気と波の高さを全国に伝える番組になっていた。
美人のアナウンサーが無表情に日本地図を背に淡々と雲を操っている。
貞子は、残念ながら賢かったので、アナウンサーの声に紛れた彼のその言葉も、
疑問符をつけて投げ返す頃には、すっかり何もかも納得してしまっていた。

だからその疑問符は、彼女の精一杯の抵抗であったと言える。

( ゚∀゚)「え、何々?別にそこまでとぼけなくてもいいよ。こっちも分かってるんだし」

川д川「ジョルジュさんだけです……。私」

( ゚∀゚)「何それ?事務所の方針?」

彼の声に若干嘲笑うようなトーンが混じる。
二人の男女が裸でベッドの中にいる。
しかしこの男は今、世界中で誰よりも貞子の近くに居るが、ぴったりとくっついている訳じゃない。
冷たく、ざらりとした感触の丈夫な壁が、二人の間には確かに存在していた。
それはジョルジュが望んだ壁であり、貞子の作る不自然な沈黙の分だけ、より強固になる。

絶望が、貞子の喉元から腹にかけて、黒い大きな渦となって、
彼女の内部から、彼女を冷たく硬くしていくのが分かった。

川д川「………。」




( ゚∀゚)「まあいいや。ところでさ。『女子院生のラマダン』って知ってる?ラノベなんだけど」

川д川「知りません……」

( ゚∀゚)「ああ、そう。まあ、そんなもんだよね。今度さ。アニメ化するんだよ」

川д川「そうですか……それなら原作読んでみます」

( ゚∀゚)「ん。あとで買ってあげるよ。そんなに冊数出てないからすぐ読み終わると思うよ」

川д川「ありがとうございます……」

また、買い与えられるらしい。
ジョルジュは貞子に買い与えるのが面白いらしく、
今までも、画集や漫画や小説、あるいは下着やアダルトグッズまで、
それほど高価ではないが様々なものを、貞子に施していた。

( ゚∀゚)「面白いっちゃ面白いけど、まあ駄作だね。売れ方もそこそこだし。
     変なファンがついてるらしいからアニメ化だって」

川д川「でもそこからメジャーになるかもしれませんし……。アニメが面白かったら」

( ゚∀゚)「面白くするよ。仕事だもん」

さらりと言いのけるジョルジュに、貞子は不覚にも頬が紅潮するのが自覚できた。
彼は確かに有能だった。アニメ監督として失敗した仕事は今まで一つもなかったし、
今回の『経済ヴィーナスハイン様』のヒットで、狭い業界でその地位は更に確かなものとなった。




( ゚∀゚)「んで、超面白くするからさ。ラマたんやらない?」

川д川「もしかして主役ですか?」

( ゚∀゚)「そう。一応オーディションやるけどね。
     でも、原作者もさーたんでGOサイン出してるから問題ないと思う」

珍しい事ではない。
彼女が彼にこのような申し出を受けるのは二度目だった。
一度目は、もちろんハイン様の事で、その時はオーディションに是非にと誘われた。
そして彼女はそれを、単なるきっかけとして認識し、主役の座は自分の実力で勝ち取ったものだと、
ほんの数分前までは確かに信じていた。

川д川「オーディションで私より良い人が現れたらどうするつもりですか?」

( ゚∀゚)「現れないよ。視聴者もさーたんのラマたん望んでるっしょ。
     貞子のハイン様、相当評判良いよ?あーゆーざっくざく言う役は嵌ってるかもね。
     ラマたんもそんな感じだから多分良い感じだと思う」

川д川「ありがとうございます……」

しかしその褒め言葉は、彼女の心には届かない。
毎日のように番組名で検索をかけてチェックしている、ネットで彼女を褒め称える言葉も、
今は色を失い形を失い、破片だけが彼女の頭の片隅にバラバラと広がっている。




『枕営業』

彼女が、互いの好意を擦り合ったと信じた儀式が、
下賎な価値に汚されて、憧憬の道端に放り投げられるのを感じた。

放り投げたのは貞子自身で、
汚くなったそれを再び抱きしめて、慈しんでやる気はない。

( ゚∀゚)「どうしたの?テンション低いね?」

仕事を与えてやったのだから感謝しろ、と言外に彼が要求している。
しかし、貞子はあえてそれに逆らい、ベッドから降りると何も身に纏わぬまま身体を伸ばした。

( ゚∀゚)「貞子さぁ。身体の線綺麗だよね。特に胸」

川д川「ありがとうございます」

学生時代、男子生徒からはジロジロと不躾な視線を浴びせられ、
女子生徒からは生意気だと言われ押しのけられ蹴られた胸だ。

( ゚∀゚)「顔も可愛いのに。どーしてそんな髪してんの?
     綺麗にしてもっと前に出てったらファンも増えるよ?」

艶の少ない、あまり手入れをされていない髪の毛に隠された貞子の顔は、
確かに決して不細工ではなかった。




しかし、その豊か過ぎる黒髪が彼女の全てを隠していた。
幼い頃、彼女の親は彼女の外見には頓着しなかった。
だから、幼い頃彼女は、伸びてきた髪を自分の手で切っていた。
髪が散らかって怒られる事がないように、
また他の人に咎められる事のないように、
人気のない夜に、近所の公園に赴き、
街灯の光を頼りに、小さな小さな文房具の鋏で、
自分の髪を切り裂いていく。

だが、その髪型を、ある日小学校で男のようだと笑われた。
それ以来、髪の毛は切っていない。

順調に伸びた髪は、彼女の顔を隠していった。
髪の毛が彼女を世界から隠したように、
世界もまた彼女から隠された。
髪の毛の隙間から窺うおぼろな視界では、
人の目をまともに見ずに済んだ。

その所為で学生時代はろくに友達も出来なかった。
更にその髪の毛でも隠しきれなかった胸で、周りの不況を買った。

その後高校を卒業し、養成所に進むと貞子は埋没した。
彼女の髪型を問題としない、個性の強い人間が多かったからだ。
しかし今まで人付き合いの経験のない貞子は、そこでも孤立した。
それは彼女の、突出した才能の所為もあったかもしれない。
実力重視で、極めて門の狭い世界だ。
皆、彼女を遠巻きにした。




川д川「私、人前に出られません……。
    自信、ありませんから……」

( ゚∀゚)「ふぅん。勿体無いなぁ。事務所からは何も言われないの?」

散々言われている。
マネージャーに美容院に連れて行かれたことは一度や二度ではない。
その度に店の前で大泣きをして駄々を捏ね、散々周りに迷惑をかけ、どうにか長い髪を守っている。
ならばせめて前髪を分けてくれと、可愛らしい髪留めやらピンやらを買ってきた事もあったが、
今更、世界と自分を遮断する大事な壁を、取っ払う事など彼女には考えられなかった。

川д川「別に……。それよりもここ、防音のホテルでしたよね?歌ってもいいですか?」

( ゚∀゚)「え?」

彼の答えを待つ事なく、彼女はアカペラで歌い始めた。

−夢見たものは
 ひとつの幸福−

( ゚∀゚)「何それ?裏声?合唱の曲?」

貞子は続ける。

−ねがつたものは
 ひとつの愛−




ジョルジュは、歌い続ける貞子に尋ねるのを諦め、
彼女の歌を聴くためにベッドに座り直した。

−山なみのあちらにも しづかな村がある
 明るい日曜日の 青い空がある
 日傘をさした 田舎の娘らが 
 着飾って 唄をうたつてゐる−

彼女が歌うのをやめたのを確認すると、ジョルジュは軽い拍手を送った。
恐縮したように貞子は会釈を返す。

( ゚∀゚)「何の歌?」

川д川「合唱曲です。高校時代にクラスで歌った事があって……。
    本当は4パート必要なんですけど……」

( ゚∀゚)「ふぅん。綺麗だね。貞子、普通に歌うのも上手いけど裏声も上手なんだね。知らなかった」

川д川「そんな……。歌は自信ありません」

それどころか、
演技も自信ありません。
顔も自信ありません。
声も自信ありません。

頭の中に自分を卑下する言葉が次々と浮かぶ。




それなのに、
声を出す事に、
こんなにも飢えていて、
ごめんなさい。

皮肉な笑いが、彼女の内側から沸きあがって来た。
彼女はそれを喉元に押し留めて彼に言う。

川д川「ジョルジュさん……」

( ゚∀゚)「ん?」

川д川「ラマたんのオーディション、私、全力を尽くしますから」

真面目だねぇ、と。
呆れた声でジョルジュは言った。

昔は、自分の心をどこか遠くに運んでくれる、読書が好きだった。
やがてその文字を口に出してみると、その感覚はますます強まった。

人と、情愛を上手く重ねる事は出来なかったけれど、
声を出して何かを紡ぐと、そこに新しい世界が生まれた。

とても幸福な事に、その世界に今、他人を引っ張り込む仕事をしている。
彼に感じた、恋慕も、飢えも、その快楽に比べたら何て事はない。





そう、何て事はないのだと、
賢い彼女は、思うことにした。


だって、カーテンすら締め切った部屋で歌った愛は、
思いの他、心地よかったのだ。




( <●><●>) 「すいません。お話はありがたいんですが」

( ゚∋゚)「これ言うの何度目かわかんないけどさ。考えてみる気にもならない?」

そこはファミリーレストランの事務所だった。
ウェイターの制服に身を包んだワカッテマスは、
スーツをラフに着崩したクックルと和やかではない雰囲気で言葉を交わしている。
クックルはこのファミリーレストランの店長で、
ワカッテマスよりは年下だがこの店の最高責任者であった。

( <●><●>) 「申し訳ないです。他にも仕事があるので、シフト希望出せないのはきついです」

( ゚∋゚)「なんだっけ?役者だっけ?君もいい年なんだしさぁ。
     いつまでも夢見てないで、親御さん安心させてあげる気はないの?」

( <●><●>) 「店長、休憩終わるんで失礼します」

( ゚∋゚)「あ、ちょっと……っ!」




ワカッテマスはくるりと背を向けると、レストランのホールに向かった。
クックルは話し足りない様子で彼の背中を見送り、そしてため息を一つ吐いた。
一方ワカッテマスは、自分にしか聞こえない声で、ぼそりと悪態をつく。

( <●><●>) 「人手が足りないのはワカッテマス……」

ほんの昨年入社したばかりの正社員が一人、激務に根を上げて退職したのが先月。
更に数日前、恋愛関係のイザコザでベテランを含めたバイト3人に同時に辞められた。

絶望的に人手が足りないのだ。

バイト経験が長く、最早社員の仕事もある程度把握しているワカッテマスを正社員に迎え入れられれば、
店の都合でシフトを決める事が出来る人数が一人増える上、社員として一から教育する手間も省ける。

別にクックルは、ワカッテマスの両親を安心させるために申し出ているわけではない。
もっとも、ワカッテマスは高校卒業時に声優を目指すと言って上京したきり、実家とは一度も連絡を取っていなかった。

( <●><●>) 「休憩終わりました」

( ノAヽ)「お帰りなさい。ああ、ワカッテマスさん午後からはホールなんですね。助かります。
       今日の語尾は『もふ』でお願いします」

( <●><●>) 「私がヤバい方に回されてるのはワカッテマス。語尾把握しました。また言い辛いのが来ましたね」

( ノAヽ)「ええ。新人が多い時は『にゃ』か『にょ』にしとけってあれだけ店長に言ってるんですけどね。
       どうしても『もふ』の気分だって聞かなくて……」

バイト仲間が大げさに顔をしかめた時に、呼び出しチャイムがキッチン内に響いた。




( <●><●>) 「行って来ますもふ」

( ノAヽ)「お願いしますもふ」

ワカッテマスはベテランバイト同士でしか分かり合えない憂鬱を感じながら、
チャイムを鳴らしたテーブルに向かった。
彼のシフトは、今日はあと6時間ほど残っていた。

( <●><●>) 「失礼しますもふ。大変お待たせいたしましたもふ」

('A`)「じゃあ、これ約束の……。ハイン様6話のデータ入ってるから」

( ´_ゝ`)「おぉおおお!!ありがとうソウルブラザー!!6話はどうだ?いつも通り面白いか?」

('A`)「うーん……。それが正直地味なんだよね。敵役の声優も無名だし……」

(´<_` )「歯車王か?俺は良いと思うぞ?」

客は雑談に夢中でこちらに気付いている様子がない。
その会話の内容にワカッテマスの鼓動は一瞬跳ね上がるが、
顔には全く出すことなく、ワカッテマスは再度声をかける。

( <●><●>) 「お客様。失礼致しますもふ」

(´<_`;)「あ、すいません。今日の語尾は『もふ』なんですね。シフト入ってなくて良かった……」

( <●><●>) 「弟者君。来てたのはワカッテマスもふ。今からシフトに入ってくれるんですねもふ。」




(´<_` )「嫌です。今日炎上シフトじゃないですか。ホールに新人三人同時に入ってるの知ってるんですよ」

('A`)「あれ?弟者ここでバイトしてるの?」

(´<_` )「ああ、学校から近いからな。時給も悪くない」

( ´_ゝ`)「弟者がバイトしてるお陰で安く食えるんだ。感謝しろよ」

(´<_`#)「黙れただ飯食らい。兄者もいい加減バイトしろ」

( <●><●>) 「ご注文はお決まりでしょうかもふ」

(´<_` )「ワカッテマスさん。今日キッチンに店長入ってます?」

( <●><●>) 「店長は裏ですもふ。キッチンに入ってないのはワカッテマスもふ」

(´<_` )「ふむ。なら『餓死したくない気持ちで作ったハンバーグセット』で」

( <●><●>) 「店長がいない時は2割り増しで大きくなるのはワカッテマスもふ」

('A`)「あ、じゃあ俺もそれで」

( ´_ゝ`)「俺は『マンゴーとカスタネット夢の競演パフェ』で」

(´<_` )「飯を食え兄者」

(;´_ゝ`)「だってマンゴーとカスタネットが……っ!!」

(´<_` )「ワカッテマスさん、こいつのは適当で良いです。なんか余ってるやつで」




( <●><●>) 「畏まりましたもふ。少々お待ち下さいもふ。メニューお下げしてよろしいですかもふ」

(´<_` )「はい。大丈夫です。頑張って下さいね」

( <●><●>) 「ありがとう。あと私は6話、悪くないと思いますよ」

(´<_`;)「え。アニメとか見てるんですか」

( <●><●>) 「意外なのはワカッテマス」

('A`)「うーん……。そう言えば歯車王の声になんとなく似てません?」

( <●><●>) 「……気のせいですよ」

ワカッテマスのシフトはあと、5時間と55分ほど残っていた。

それから『気まぐれ牝牛の生殺しハンバーグ』を運ぶ途中にふと、
今月はまだ、声優としての仕事を一度もしていない事に彼は気がついたが、
それは忙しくなるにつれ、段々とどうでも良くなっていった。

とにかくホールを回さなくては。
お客様を、お待たせしてはいけない。




( ノAヽ)「ワカッテマスさん。お疲れ様でした」

( <●><●>)「ノーネ君。お疲れ様でした。何とか乗り切る事が出来ましたね」




( ノAヽ)「ええ。クレーム2つ同時に入った時はどうしようかと思いましたが、無事終わって何よりです」

( <●><●>) 「はい。それじゃあ、私は帰らせて頂くのです」

( ノAヽ)「あの!!ワカッテマスさん?」

( <●><●>) 「何ですか?」

( ノAヽ)「その…えっと、これから一緒に、カラオケ行きませんか?」

( <●><●>) 「え?」

( ノAヽ)「なんか、今ね。自分、歌わないと死にそうなんです」

もし暇があれば、とノーネは続けて。こちらをじっと見つめている。
ワカッテマスは、今月は一度も声の仕事をしていない事を、再度思い出す。

( <●><●>) 「いいですね。行きましょう」

( ノ∀ヽ)「本当ですか!?良かった。実は駄目元で誘ったんですよ。ワカッテマスさんいつも忙しそうだから」

( <●><●>) 「忙しそうな振りをしているだけですよ」

どんなに忙しくオーディションに出向いても、
役を勝ち取る事が出来なければそれは徒労に過ぎない。

( ノ∀ヽ)「あはは。面白いこと言いますね。
       それじゃあ、早速行きましょう?
       自分、割引券持ってるんで」




( <●><●>) 「ええ」

ノーネが嬉しげに鞄を背負いなおしてワカッテマスを急かす。
ワカッテマスは、誰かと一緒にカラオケに行くのは実に数ヶ月ぶりだった。



個室に案内された途端、ノーネは曲を入れる事なくじっと自分の膝を見つめていたから、
ワカッテマスはその時点で、歌う事をおおよそ8割程あきらめた。

( <●><●>) 「歌わないんですか?」

せめてもの足掻きにそう尋ねるが、ノーネはワカッテマスが予想した通りの返事を返す。

( ノAヽ)「実は……ワカッテマスさんに相談があるんです」

( <●><●>) 「あなたがそう言うのはワカッテマス……」

( ノAヽ)「話を聞いてもらえますか?」

逃げられない個室に連れ込んでおいてその理屈はないだろう、と。
フードメニューを眺めながらワカッテマスは思う。

( <●><●>) 「私でよければ……」

( ノ∀ヽ)「良かった!ごめんなさい。自分、他に相談出来そうな人思いつかなくって…」




この時、ワカッテマスが心の底から感じたのは、
お願いだからバイトを辞めるとは言い出さないでくれ、と、ただそれだけだった。

( ノAヽ)「あの……自分、実は声優の養成所に行こうと思ってるんですよ」

( ;<●><●>)「ぶほぉ!?」

彼は噴出す。
まだ飲み物が来ていなくて良かった。むやみに汚さずに済んだ。
しかし何故ばれたのだ。誰にも言っていないはずなのに。
と、そこまで考えた時点で、ノーネが、ずいと迫ってくる。

( ノAヽ)「それで……あの、一緒に声優目指しませんか!?」

( ;<●><●>) 「そう来るのはワカッテマス!!!!」

大嘘だった。

そして彼の大声に誘われたのか、店員がドリンクを持って入室して来る。
オレンジジュースとウーロン茶を置いて爽やかな笑顔を残して部屋を去る店員。
残された気まずい沈黙と手付かずのリモコンとマイク。

(;<●><●>) 「歌っても、いいですか?」

( ノAヽ)「え?」

( <●><●>) 「カラオケなので、歌いますよ?私」

( ノAヽ)「あの……相談……」




( <●><●>) 「声優を目指すなど死んでもやめなさい」

タッチパネル式のリモコンで曲を選びながら屹然とした声で言い放つ。
今まで28年生きてきて、初めて自分の経験が人様の役に立ったと思った瞬間だった。

( <●><●>) 「ろくな事になりませんよ?」

(;ノAヽ)「厳しいってわかってます!!でも!!」

1曲、2曲、3曲。ワカッテマスは次々に曲を入れる。
それらは全て、女性ボーカルのアニメソングだった。
空気を読まない前奏が大音量で始まる。
もちろんそれは原曲キーだった。

( <●><●>) 「私、マイク使わない主義なんです」

( ノAヽ)「はぁ……」

( <●><●>) 「どうして声優になりたいんですか?」

( ノAヽ)「えっと…その……憧れで」

( <●><●>) 「甘い!!」

曲はもう歌パートに入っていた。
画面に流れ続ける歌詞を無視して会話は進む。

否、進んでいない。




( <●><●>) 「拙者親方と申すは御立会の内に御存知の御方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町を御過ぎなされて、青物町を上りへ御出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今では剃髪致して圓斎と名乗りまする。
元朝より大晦日まで御手に入れまする此の薬は、昔、珍の国の唐人外郎と云う人、我が朝へ来たり。
帝へ参内の折から此の薬を深く込め置き、用ゆる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。依ってその名を帝より「透頂香」と賜る。
即ち文字には頂き・透く・香と書いて透頂香と申す。
只今では此の薬、殊の外、世上に広まり、方々に偽看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと色々に申せども、平仮名を以って「ういろう」と記せしは親方圓斎ばかり。
もしや御立会の内に、熱海か塔ノ沢へ湯治に御出でなさるるか、又は伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。
御上りなれば右の方、御下りなれば左側、八方が八つ棟、面が三つ棟、玉堂造、破風には菊に桐の薹の御紋を御赦免あって、系図正しき薬で御座る。
イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み、白河夜船、されば一粒食べ掛けて、その気味合いを御目に掛けましょう。
先ず此の薬を斯様に一粒舌の上に乗せまして、腹内へ納めますると、イヤどうも言えぬわ、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。
魚・鳥・茸・麺類の食い合わせ、その他万病即効在る事神の如し。
さて此の薬、第一の奇妙には、舌の廻る事が銭ごまが裸足で逃げる。ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ。
そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。
アワヤ喉、サタラナ舌にカ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重。
開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。
一つへぎへぎ、へぎ干し・はじかみ、盆豆・盆米・盆牛蒡、摘蓼・摘豆・摘山椒。 書写山の社僧正、小米の生噛み、小米の生噛み、こん小米のこ生噛み。 繻子・緋繻子、繻子・繻珍。
親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親嘉兵衛・子嘉兵衛、子嘉兵衛・親嘉兵衛。
古栗の木の古切り口。 雨合羽か番合羽か。
貴様が脚絆も革脚絆、我等が脚絆も革脚絆。
尻革袴のしっ綻びを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ。
河原撫子・野石竹。 野良如来、野良如来、三野良如来に六野良如来。 一寸先の御小仏に御蹴躓きゃるな、細溝にどじょにょろり。
京の生鱈、奈良生真名鰹、ちょと四五貫目。
御茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ。茶立ちょ、青竹茶筅で御茶ちゃっと立ちゃ。
来るは来るは何が来る、高野の山の御柿小僧、狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。
武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。
菊、栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。 麦、塵、麦塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。
あの長押の長薙刀は誰が長薙刀ぞ。
向こうの胡麻殻は荏の胡麻殻か真胡麻殻か、あれこそ本の真胡麻殻。
がらぴぃがらぴぃ風車。
起きゃがれ子法師、起きゃがれ小法師、昨夜も溢してまた溢した。




たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ一丁蛸。
落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳・鉄灸、金熊童子に、石熊・石持・虎熊・虎鱚。
中でも東寺の羅生門には、茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる、彼の頼光の膝元去らず。
鮒・金柑・椎茸・定めて後段な、蕎麦切り・素麺、饂飩か愚鈍な小新発知。
小棚の小下の小桶に小味噌が小有るぞ、小杓子小持って小掬って小寄こせ。
おっと合点だ、心得田圃の川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行けば、灸を擦り剥く三里ばかりか、藤沢・平塚・大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原、透頂香。
隠れ御座らぬ貴賎群衆の、花の御江戸の花ういろう。
アレあの花を見て、御心を御和らぎやと言う、産子・這子に至るまで、此の外郎の御評判、御存じ無いとは申されまいまいつぶり、
角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼杵擂鉢ばちばちぐわらぐわらぐわらと、羽目を外して今日御出での何れも様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っ張り、東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って外郎はいらっしゃいませぬか」

(;ノAヽ)「ワカッテマスさん!?」

( <●><●>) 「外郎売りです。声優を目指すなら一度は口に出す事になるのはワカッテマス。
       ……ほら、虚しいでしょう?」

(;ノAヽ)「はい?」

( <●><●>) 「夢とは、虚しいものなのです」

(;ノAヽ)「………」

BGMと化していた空オーケストラがサビへと突入する。
ワカッテマスは、ハイトーンで歌いだした。

( <●><●>) 「一万年と二千年前から愛してるぅうううう♪」




(;ノAヽ)「自分……声優、諦めます……」

( <●><●>) 「一億とぉおお二千年経っても愛してるぅううう♪」

( ノAヽ)「自分も、曲入れますね……」

( <●><●>) 「そうです。カラオケは歌うところなのはワカッテマス」

ノーネもタッチパネル式のリモコンを手に取る。
重ねて予約される曲は全てオタク向けの選曲だった。
ワカッテマスも歌うのを中断すると、
内戦電話を手に取って、酒とつまみを注文する。

( ノAヽ)「自分ね。さーたんに会いたかったんですよ」

( <●><●>) 「もしかして貞子さんですか?ハイン様の」

(*ノAヽ)「やっぱり分かりますか?そうなんですよぅ。ハイン様ですっかりファンになっちゃって……。
       彼女、絶対表には出てこないじゃないですか。それで、自分もいつまでもフリーターなんかやってないでですね。
       こう、声優として一花咲かせればさーたんに会えるかなって……」

ワカッテマスは収録の時に顔を合わせた貞子の事を思い出す。
鬱陶しく髪を伸ばした彼女は、終始自信がなさそうに、おどおどとしていたが、
マイクの前に立つ時だけは、背筋が伸び、驚くほど澄んだ声を出すのだ。

横に立つワカッテマスは、そんな貞子に大いに刺激される事となった。
自然と気合が入り、おかげで歯車王は自分でも満足のいく出来となった事には素直に感謝している。




しかし、彼女に関する不名誉な噂も同時に頭をもたげた。
曰く、『ハイン様』はアニメ監督との枕営業により勝ち得た仕事だと。

正直、声優の仕事は枕をしてまで手に入れる程、ギャラを貰えるわけではない。
リスクに対してリターンが少なすぎる、と言うのがワカッテマスの認識だったが、
単なる噂に過ぎないと一笑に付すには、信憑性の高すぎる話でもあった。

何故なら、他ならぬワカッテマス自身が、
収録の後に連れ立って、ホテル街の駅に降りる二人を見てしまったからである。

電車の中でまず貞子を見かけ、声をかけようと思った瞬間に隣に居た監督にも気がついた。
これはどうしたものかと思案しているうちに二人はその駅で降りてしまった。

この事は誰にも言っていない。きっと誰かに漏らした瞬間に業界中に広まるだろう。

また、こうも考える。成人した男女だ。
口さがない人間の噂など関係なく、純粋な気持ちで肉体関係を結んでいるに過ぎないのかもしれない。

あるいは、その駅で降りたのは全く別の理由であり、
噂されているような事実は何一つない可能性だってもちろんあるし、
あれはワカッテマスの見間違いではない、とは証明出来ない事柄でもある。

( <●><●>) 「さーたん……ですか」

疑惑が、ワカッテマスの頭の中で渦巻いている。
だがこのような話は、人気の出てきた女性声優になら、多かれ少なかれ誰にでも付きまとう事である。
それがどうしてこんなにも気になってしまうのだろう。
自分で疑惑の現場を目撃したから?




いや、違う。

それ以上に、彼女に声優としての才能と、
強烈な嫉妬を、感じているからだった。

( ノAヽ)「あの、もしかして、ワカッテマスさんも声優を目指したこと、あるんですか…?」

( <●><●>) 「はい。一度や二度じゃありませんよ」

ノーネが、何ともいえない気の毒そうな顔でワカッテマスを見る。

( ノAヽ)「そうですか。結局声優になれなくて、フリーターを続けているんですね」

( <●><●>) 「そう思われるのはワカッテマス……」

実は明日、新たなオーディションを控えている事を、ワカッテマスはノーネに伝える事はなかった。
自分が声優と呼ばれる立場である事を、声優と言う仕事に夢を見ているノーネに教える事はないだろうと判断したためだ。

その日は二度の延長を重ねておおよそ五時間、男二人のオタ曲カラオケ大会は続いた。




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