そこは、太陽を隠したほの暗い海の上だった。
ワカッテマスは最初、ゆらゆらと揺れる足元に地震を疑い、
自らの住むアパートの老朽化に恐怖と、一種の諦めを覚えた。
しかし徐々に目が暗さに慣れてくると、
彼は優しい波の揺りかごの上に自分が立っている事に気付く。
何故かその足は海の中に沈んでいく事なく、水面に留まっている。

( <●><●>) 「これが夢なのはワカッテマス……」

日の入りの直前か直後であろうか。
遥か水平線では太陽の存在を予感させる弱弱しい光が、
彼が見渡せる中の、ほんの少しの空を薄紅色に染めていた。

−つひに自由は彼らのものだ
 彼ら空で恋をして
 雲を彼らの臥所とする
 つひに自由は彼らのものだ−

その時ワカッテマスは、静寂を埋める波の音の隙間に、
確かに、小さな小さなその歌声を聞いた。

('A`)「どうも…」

その貧相な男は突然現れた。
ワカッテマスが歌声の元を探すため、
ぐるりと首を巡らせて、そして戻す瞬間には、
男はワカッテマスの正面に立っていた。




( <●><●>) 「あれ…?あなた、どこかでお会いした事……」

−つひに自由は彼らのものだ
 太陽を東の壁にかけ
 海が夜明けの食堂だ
 つひに自由は彼らのものだ−

そこまで問いかけた時点で、ワカッテマスは歌声の正体に気がついた。
声をかけてきた貧相な男がその腕に抱えている、西瓜程の大きさの真っ黒な球体。
その曖昧な物体から、澄んだ女性の歌声が辺りに響いていた。

('A`)「俺は夢の案内人。この不確かで儚い世界の唯一の道しるべになりましゅぅぁ」

( <●><●>) 「噛んだのはワカッテマス」

(;'A`)「噛んでないもん!」

−つひに自由は彼らのものだ
 太陽を西の窓にかけ
 海が日暮れの舞踏室だ
 つひに自由は彼らのものだ−

男が噛もうとも歌声は続く。
そしてワカッテマスも、男が声を荒げた瞬間に、男の事を思い出す。

( <●><●>) 「あなたが弟者君と一緒にうちの店に来てたのはワカッテマス」




('A`)「早速バレた……。なんか、もういいや……」

(;<●><●>) 「え!?ちょっと!」

男は憔悴し切った様子で、足元の水を二度三度かかとで弄ぶと、
霧が、風に紛れるように、消えてしまった。
しかし、歌声が波音に紛れる事がはない。
その真っ黒い球体は、男が消えると硬い水音を立ててワカッテマスの足元に落下する。

−つひに自由は彼らのものだ
 彼ら自身が彼らの故郷
 彼ら自信が彼らの墳墓
 つひに自由は彼らのものだ−

ワカッテマスは恐る恐る、その歌声に手を伸ばす。
触れるとそれは、よくよく知った感触だった。
反射的に襲ってきた嫌悪感に、思わず体が固まる。

( <●><●>) 「髪の毛……の固まり……?」

−つひに自由は彼らのものだ 
 一つの星をすみかとし
 一つの言葉でことたりる
 つひに自由は彼らのものだ−

水面に、無様に波で遊ぶその髪の毛が、
存在を主張するように歌声を張り上げる。
その禍々しい物体は、殊更に美しい声で、
ワカッテマスを戸惑わせる。




( <●><●>) 「鴎、ですね……。三好達治ですか」

よくよく聞くとその歌は、ワカッテマスの知っている曲だった。
有名な合唱曲で、本来ならば、男声、女声合わせて4パートで歌われる曲だが、
歌声は、たった一人で旋律だけを追いかけている。

−つひに自由は彼らのものだ 
 朝やけを朝の歌とし
 夕やけを夕べの歌とす
 つひに自由は彼らのものだ −

それで歌は、終わりらしい。
髪の毛は、沈黙した。

その時になって、ワカッテマスは気がついた。
遥かな水平線から太陽が覗いている。
夜が、明けたらしい。

まどろみを醒ます朝焼けの光に、
髪の毛が徐々に小さくなっていく。
否、どうやら徐々に絡み合った髪の毛がほぐれて、
波に浚われているらしかった。

光を粒にしては空に返す波の間に、
うごめく黒い髪の毛が見える。
男に抱えられている時は、西瓜ほどあった髪の毛の塊が、
もう、ほんの魚の目玉ほどしかない。




( <●><●>) 「もう、歌わないのですか?」

ワカッテマスが問いかける間に、
髪の毛は、すっかりほどけてしまっていた。

ワカッテマスの足の周りには、
波と共に、数本の髪の毛が絡みついていた。



妙な夢を見た。
早朝。閉じた瞼の向こうに、朝の光を感じた貞子は、
夢の余韻が消えぬよう、目を開けずに暫しベッドで動かないでいた。

夢の中で、彼女は真っ黒な繭の中に居た。
耳を澄ますと大好きな波の音が聞こえる。
繭は柔らかく貞子をいたわり、揺り篭のように優しく揺れた。
この場所は、きっと貞子の全てを許すものだけで出来ている。
嬉しい。とても嬉しくなって、貞子は歌い出す。

それは、いつだって貞子の背に見えない翼を与えた自由の歌。
その脆弱な翼は、貞子を寂しさから解き放って高い高い空へと導く。
空には、寂しさなどはない。そこには、誇り高き孤独だけがあった。
真夜中に、川原へと赴いてその歌を歌ったのは、
高校時代、彼女の耳にクラスメイトにより強制的にピアスの穴が空けられたその日だった。

そうやって彼女の世界は、
彼女の現実が鈍く光を失うだに、
色鮮やかに透き通って行く。




夢の終わりは、あまりにも呆気ないモノだった。
貞子が歌い終わってしまうと、
真っ暗で、何も見えなかった繭の中に徐々に光が差し込んできた。
繭の、至るところに隙間が出来ている。

それと同時に繭の中には、明け方の空の色をした水が白い泡で飾りながら、
徐々に流れ込んでは、貞子の身体を溶かしていった。

もうすっかり繭もほぐれてしまって、
このままでは貞子も、完全に溶かされてしまう。

貞子は、
彼女の細く長い四肢が、
火のついた蝋燭のように、
溶け切ってしまった時に、
誰かの声を聞いた気がした。

その瞬間に目が覚めた。

刹那。
僅かに残った夢の香りを必死に嗅ぎ取ろうとしていた貞子を現実に戻すべく、
有名なクラシックの曲に設定された携帯のアラームが鳴る。

貞子は反射的に充電器と繋がったままの携帯を手に取りその音楽を止めると、
今日の予定を頭の中で反芻しながらベッドを降りて洗面所に向かった。




川д川「オーディション……頑張らなきゃ」

ジョルジュに買い与えられたあの日から、原作の小説は何度も何度も読み返した。
雑誌にしか掲載されていない作者のインタビューなども探し出して全て読み漁った。

そんな事をしなくても、自分が主役の座を勝ち取るだろう事は貞子は理解していたが、
彼女はその努力をせずにはいられなかった。

そもそも『経済ヴィーナスハイン様』の役が決まった時も、
彼女は同じように努力をした。経済の勉強をするためには大学にまで赴いて講義を聴いた。

歯を磨きながら、頭の中で主人公を躍らせる。
どうすれば彼女が、私の世界で魅力的に羽ばたいてくれるのだろうか――




( <●><●>) 「貞子さん。お久しぶりですね」

オーディション開始20分前。
声優数十人がひしめいている控え室で、ワカッテマスは貞子の姿を認めると迷うことなく声をかけた。

川д川「あ……ワカッテマスさん」

貞子はビクリと肩を震わせてそれに応える。
二人ともその手には、課題台詞の印刷された紙が握られていた。

( <●><●>) 「貞子さんもこのオーディションに参加されてたんですね。また、競演出来ると嬉しいです」




貞子の顔にかかっている髪の毛の所為でワカッテマスは彼女の表情を窺う事は出来ない。
声をかけたのは迷惑だったろうか、という考えが頭に浮かぶ。

川д川「私も……ワカッテマスさんと、またご一緒したいです。歯車王……素敵でした」

( <●><●>) 「ありがとうございます。私も貞子さんのハイン様は素晴らしかったと思いますよ。お互い、頑張りましょう」

川д川「はい」

( <●><●>) 「それじゃあ、また」

社交辞令の応酬のような会話だったが、それは心から思っている事であった。
ワカッテマスは自分のモチベーションが上がるのを感じて、もう何十分も前に頭に叩き込んだ課題台詞の紙に再度視線を落とす。

控え室の緊張は否が応でも高まり、誰かを蹴落とすための静かな闘争心が部屋を満たし始める。
心臓がより一層熱く血を全身に送り出すのを感じた。

自分はプロだと、落ち着かない心臓に言い聞かせる。
ふと、貞子もこのように緊張しているのだろうかと気になり、ちらと彼女を盗み見るが、
彼女の表情はやはり、厚い髪の毛に隠されており、ワカッテマスにそれを計る事が出来なかった。




( ノAヽ)「ワカッテマスさん知ってますか?あの『女子院生のラマダン』がアニメ化するらしいですよ!」

一人暮らし用の折りたたみ式の小さな卓袱台の一角に腰掛けたノーネは、
ワカッテマスが10分で作ったパスタをすすりながら嬉しげに語りかけた。




( <●><●>) 「それよりも何故私があなたの夕食を作らなくてはいけないんですか」

( ノ∀ヽ)「超美味いですよこのパスタ!それにしてもワカッテマスさんの部屋は綺麗ですね。
       自分の部屋とは大違いです」

( <●><●>) 「ノーネ君。バイト中はよく店の掃除してるじゃないですか」

( ノAヽ)「やだなぁ。あれはボサっと突っ立ってると店長がうるさいからに決まってるじゃないですか」

( <●><●>) 「体のいいサボりだったのはワカッテマス……」

ワカッテマス自身もパスタを食べながら、ノーネと会話を交わす。
オーディションを終えて帰路に着くワカッテマスにメールが届いたのがつい一時間ほど前。

曰く、今からお邪魔して良いですか。

同じ職場で何年も働き続けた友であったが、彼がワカッテマスの家に来たのが今日が始めてだった。
コンビニのアイスを片手に颯爽と現れた彼は、自分とワカッテマスさんの仲じゃないですかと、
意味不明な事を言いながら易々とワカッテマスの自室に侵入を果たしたのだ。

( ノAヽ)「それでそれで!話戻りますけどあのラマダンがアニメ化ですよアニメ化!
       作者のブログで書かれた情報なので確かですよ!」

( <●><●>) 「はぁ……。その小説のファンなのですか?」

( ノ∀ヽ)「ええ。もちろんです!ラマたんのお腹を空かせながら一生懸命お祈りするのは可愛すぎですから!
       おかげで自分、ラマダンについて色々覚えちゃいましたよ〜」

( <●><●>) 「イスラム教の友達が出来た時、役に立つのはワカッテマス……」




( ノ∀ヽ)「更にですね!!主役の声優はあのさーたんって噂があるんですよ!!
       主にネットでなんですけどね!!なんと言うかこう、作者がブログでそう匂わせるような表現がね!
       あぁー!もう楽しみ過ぎですね!!来期かなぁ。その次かなぁ。」

( <●><●>) 「え?声優はまだ決まってないんじゃ……」

( ノ∀ヽ)「あれ?!なんだワカッテマスさん、しっかりチェックしてるんじゃないですか!」

くだんのライトノベルの魅力を語り続けるノーネを他所に、
ワカッテマスは頭に浮かんだ、ある仮説を吟味する。

ジョルジュと貞子の噂。
オーディションに現れた貞子。
原作者がブログで匂わせた、貞子の主役抜擢。

( <●><●>) 「まさか、貞子さんが……」

( ノ∀ヽ)「貞子さん、だなんて随分マニアックな呼び方してるんですねぇワカッテマスさん」

パスタの乗っていたノーネの皿が空になったのを認め、ワカッテマスは言った。

( <●><●>) 「ノーネ君。アイスを食べていいからちょっと黙りなさい」

( ノAヽ)「酷い!あれ、自分が買ってきたアイスですよ!!」

文句を言いながら大人しく冷蔵庫にアイスを取りに行くノーネを尻目に、
いかがわしいホテル街の駅で降り立った貞子とジョルジュの後姿を思い出す。




『枕営業』

( <●><●>) 「………ふむ」

そして同時に浮かぶのは、今日の貞子の姿だった。
主役候補の、全ての声優の演技を聞けたわけではないが、
運良く聞く事の出来た貞子の『ラマたん』は、
他に比べ抜きん出ているように、ワカッテマスには思えた。

思うに、貞子の演技には強烈な『色』がある。
貞子がひとたび演じると、もう他の声優では考えられない、
そのキャラを、貞子の『色』で鮮やかに彩ってしまうような、
そんな魅力が、彼女には感じらた。

( <●><●>) 「あれだけの実力がありながら何故……」

( ノAヽ)「ワカッテマスさーん!バニラ味は自分食べちゃいますからねー」

( <●><●>) 「あれ?両方バニラ味じゃありませんでしたか?」

( ノAヽ)「やだなぁ。かたっぽはミルク味ですよ」

( <●><●>) 「……ほぼ一緒なのはワカッテマス」






ホテルの個室に入室するなり、ジョルジュは貞子を後ろから抱きすくめた。
貞子がされるがままになっているのを見ると、
服の上から胸を揉みしだきながら、耳元で囁く。

( ゚∀゚)「おめでとう。ラマたん、決まったよ?」

川д川「ありがとうござい…ます…」

ジョルジュの腕の中で身体をくねらせながら貞子は答える。

( ゚∀゚)「事務所に連絡行くのはまだ先だけど、今日は前祝い…ね?」

川д川「…ん…はい」

オーディションがなくとも手に入れられる役など、祝う必要があるのか。
ジョルジュの手は優しい。上手く髪の毛を掻き分け、貞子に触れる。
胸元のボタンは既に外され、彼の指先はキャミソールとブラの中に易々と進入を果たしている。
胸の突起を弄ばれながら貞子は、今日の夢を思い出していた。

彼の手は、あの海と一緒だ。
髪の毛の隙間から、光と共に進入して来て、
貞子を、炎に踊るガラスのように、
跡形もなく溶かしてしまう。

( ゚∀゚)「ベッド、行こうか」

川д川「………」








そこは、灰色の森だった。
地面は、真っ白なリノリウム。
生い茂る木々は、豊かに電線のつるを伸ばした、ねずみ色の電柱。

見上げると、縦横無尽に張り巡らされた黒い電線のために、
ここが室内なのか、屋外なのかも判然としなかった。

目の前には、男が一人。
電柱の一本に、体重を預けながらこちらを窺っている。

( <●><●>) 「また不可解な夢を……」

('A`)「どうも。また会いましたね」

( <●><●>) 「今日は、髪の毛マリモは持ってないんですか?」

('A`)「ん。その代わり、ほら。」

男は人差し指を頭上に向ける。
釣られて見上げると、髪の毛のような電線が絡まりあっている。

( <●><●>) 「なるほど……」




('A`)「これはサービス」

男に手渡されたのは真っ白の紙コップだった。
否、その紙コップには底に黒く細い糸が伸びていた。
その糸は、地面にだらりと垂れ下がっており、
糸の先端は、この灰色の森の遥かにあるようだった。

( <●><●>) 「糸電話……ですか。懐かしい」

試しに耳に当てると、驚くほどクリアな音質で、その声が聞こえた。

「こんばんは。皆様今日もお聞き頂いて有難う御座います。
 『さーたんのダウナー系ハイテンションラジオ』の時間です」

( <●><●>)「貞子さん。あなただったのは、ワカッテマス」

それは、ワカッテマスのよく知る声だった。
糸は地面に垂れ下がり、床をずるずると這っているにも関わらず、
まるで目の前で喋っているかのように、彼女の声が聞こえる。

「今日のテーマはずばり『人には言えない事』。
 あなたの秘密を今夜、さーたんにこっそり教えて下さいね。」

見渡すと、男はもう消えていた。
ワカッテマスは糸電話に繋がった糸を辿る為、灰色の森を歩き始める。

( <●><●>) 「この糸は……髪の毛ですね」




「それじゃあ、早速、番組に届いたお葉書を読んでいきましょう。
 まずは一通目。ドクオさんからのお葉書です。
 『僕は、他人の夢を繋げる事が出来ます。
  さーたんの夢も、僕が繋げました。
  どうか、さーたんが幸せになれるよう、祈ってます』」

( <●><●>) 「………」

ぺた、ぺた、ぺたと。
ワカッテマスは裸足で、リノリウムの床を進む。
糸は、そこかしこに生えている電柱によって直線である事を放棄しているため、
自分がどの方向に向かっているのかも、最早わからなくなっていた。

「あは、あは、は、あはははははははは!!
 中二病!!中二病のお便りですね!!
 この番組は、中二病の皆様も応援してますよ!
 いつか、ドクオさんの邪気眼が発動するといいですね」

ワカッテマスは、つい先ほど紙コップを渡してくれた彼を思い出す。

「ちなみにこのわたくし、さーたんの言えない事は、そうですね〜。
 ハイン様の役は枕営業で勝ち取った事かな?
 それと、今度から収録の始まるラマたんも、もちろん枕ですよ?」

耳に紙コップを当てながら、ワカッテマスは呟いた。

( <●><●>) 「ええ。そんな事はワカッテマス」




 「長岡監督には本当に感謝しなくちゃ駄目ですね。
  こんな駄目声優を主役に抜擢して頂いたんですから。」

ぺた。ぺた。ぺた。
頭上数メートルの電線が、
風に、ざわざわと揺れた気がした。

「あはははははははははは!
 ねぇ本当に全く!!酷い笑い話だと思いませんか?
 こんな駄目声優の私がですよ!!」

( <●><●>) 「貞子さん、君が、駄目声優なんかじゃないのはワカッテマス」

「あはは。はは。ははは……嘘ですね!」

( <●><●>) 「………」

「嘘!嘘!みぃんな嘘!!
 私は駄目な人間です!!
 声優としても、女としても、誰にも、誰にも…っ!
 私には、若い女の体だけがあって…」

( <●><●>) 「私は、声優としての貴女を、尊敬しています」

刹那。ワカッテマスのすぐ横に、派手な音を立てて黒い雨が叩き付けられる。
それは、切れた電線だった。バチバチと音を立てながら、電柱から垂れ下がっている。

「ジョルジュ監督も同じ事を仰いましたよ?
 オーディションでも!ベッドの上でも!!」




( <●><●>) 「監督が何を思っているかなど、知りません」

バチン!バチン!バチン!
次々とワカッテマスの周りに電線が叩きつけられる。
しかし、不思議な事に、それらは一つもワカッテマスには当たらない。
切れた電線は、彼の周りをゆらゆらと揺れる。

「あなたはいい!あなたは自分の実力で仕事を手に入れた!」

( <●><●>) 「…私がオーディションで何度落ちたと思ってるんですか?」

「それでもあなたは認められている!」

( <●><●>) 「当たり前です!私がこの世界に何年いると思ってるんですか!」

ワカッテマスが、思わず怒鳴りつけると、
先ほどから五月蝿かった頭上の電線が静まり、
そして、紙コップから聞こえた貞子の声も沈黙をする。

( #<●><●>) 「貞子さん!あなた何歳ですか?
       デビューから売れっ子一直線のあなたには分からないでしょう?
       私が月に何時間バイトしてると思ってるんですか?
       オーディション終わってからバイトに向かうあの気持ち、
       貴女わからないでしょう!?」

「………ぁぅ…」




( #<●><●>)「それでも!!そうやって!!この仕事にしがみ付いてる見苦しさの塊みたいなこの私が!
        たかだかデビュー数年の、たかだか深夜アニメが当たっただけの、たかだか枕声優のあなたを!!」

「ぅ、ぅぅぅ……」



( #<●><●>)「同じ声優として、尊敬してるっつってるんですよ!!」



「ぅぁあああん!!」


紙コップから、まるで子どものような泣き声が聞こえた。
ワカッテマスは、何度か深呼吸をすると、落ち着いた声で、紙コップに話しかける。

( <●><●>) 「ここに、いるのはワカッテマス」

そうして彼はゆっくりと、
紙コップに、口付けをする。

次の瞬間、酷く人工的な、まばゆい光があたりを支配したかと思うと、
そこに、貞子がいた。

川д川「な…な、な…」

( <●><●>) 「どうも。オーディションぶりです。貞子さん」




川д川「ぅ、ぅー、うー…」

貞子は、口を開けて、何かを必死に喋ろうとしているが、
それが言葉になる事はなく、うめき声として外に出る。

( <●><●>) 「落ち着いて下さい。貞子さん。これは、夢なのはワカッテマス」

川д川「ゆ、め……?」

( <●><●>) 「そうです。夢です。だから私は、容赦なく恥ずかしい事を言います」

川д川「………」

( <●><●>) 「貴女は、声優として誇りを持って下さい。
       私は、同じ声優として、貴女に嫉妬します」

川д川「でも…私…枕で……」

( <●><●>) 「私が尊敬したのは、『ハイン様』としての声優のあなたです」

川д川「あ、ぅ、ぅ、ぅうううう」

貞子が、ぺたりとうずくまり、身体を小刻みに震わせる。
リノリウムの床に、いくつかの雫が落ちた。

川д川「ワカッテマスさん……」

涙声で、貞子は問いかける。




( <●><●>) 「何でしょう?」

川д川「どうして、キス、したんですか……?」

( <●><●>) 「どうしてって……」

貞子は、うずくまったまま、顔だけをワカッテマスに向けた。
髪の毛に隠れた瞳が、ワカッテマスを見据える。


( <●><●>) 「お約束だから……」


ワカッテマスはその時。世界が崩れる音を聞いた。
地面は突如グラグラと揺れ始め、ワカッテマスは思わず膝をつく。
電線が再び、派手な音を立てて乱れ飛び、白い床を焦がした。
揺れに耐えられなかった電柱はゆっくりと倒れ、
リノリウムの床を容赦なくへこませる。

そしてワカッテマスは、
その混沌とした状況で、
貧相な男の飛び蹴りを顔に食らった。

(#'A`)「さーたんに……!!さーたんに謝れこの糞がぁああ!!」

 ) <●><●>) 「ぶふぉっ!!」

完璧に不意打ちだったその飛び蹴りに、
ワカッテマスは受身も取れずにその場に転がる。




ワカッテマスが白い床を醜く、のた打ち回るだに、
地震が止まり、この空間が落ち着くのがわかった。

(#'A`)「お前…!お前っ!お前っ!!言うに事欠いてお約束とか…っ!!」

川д川「あぁっ!!やめっ!!やめて下さい!!」

(#'A`)「このっ!!このっ!!さーたんに謝れ!!さーたんに謝れ!!
     さーたんはこんなに可愛いのに!!さーたんはこんなに可愛くて健気なのに!!」

転がったワカッテマスは、男に手の平でわき腹をぺちぺちと叩かれる。
見かねた貞子が立ち上がり男をなだめた。

川д川「あ、あの…やめて下さい……私……私は……」

(;'A`)「さーたん!だってこの男がっ!!俺の大好きなさーたんに……」

川д川「えっと、えっと……」

( <●><●>) 「ドクオさん……」

(#'A`)「なんだよ」

( <●><●>) 「あなたは多分、ちょっと黙った方がいい」

ワカッテマスは転がったまま、身体を回転させてドクオに足払いをかける。
その勢いを利用したまま立ち上がり、貞子を前にして彼女を見下ろす。

(;'A`)「おぶふぅっ!」




川д川「あ。あの…えっと…」

( <●><●>) 「貞子さん」

川д川「はい」

( <●><●>) 「あなたには、才能がある」

川д川「………」

( <●><●>) 「声を、出しましょう。私たちには、それしかありません」

川д川「私は…」

( <●><●>) 「例え、枕営業で勝ち得た役だとしても、実力と、誇りを持ってやり遂げるのなら、
       私はこれからもあなたを尊敬します」

その時ワカッテマスは、そこらじゅうに垂れ下がった電線が、
再びぱちぱちと不快な音を立てるのを聞いた。

川д川「ちが…私は……そんなんじゃ……」

( <●><●>) 「どんな形であっても、また競演出来るのを待っています」

瞬間。切れた電線の先から、一際大きな音を立てて、
青い電気がほとばしった。

川;д川「違う!!
     私は枕営業なんかしていない!!」




貞子は、髪を振り乱して、叫んだ。

( <●><●>) 「貞子……さん?」

川;д川「私はっ!!私は彼が好きだったんだ!
     私は彼が好きだったんだ!!
     私は彼が好きなんだ!!
     こんな私に、触れてくれた彼が!!
     こんな私を、可愛いと言ってくれた彼が!!
     こんな、私に……」

('A`)「俺も俺も貞子さんがへぶらぁっ!!」

何か言いかけたドクオをワカッテマスが回し蹴りで黙らせる。

川;д川「こんな私に、好きだと言ってくれたんだ!!」

( <●><●>) 「貞子さん」

川д川「………」

貞子は、吼えるだけ吼えると、その場に座り込んで俯いてしまった。
ワカッテマスは顎に手をやり、少し考えてから、彼女に声をかける。

( <●><●>) 「あなたは監督が、『こんな私を』好きだと言ってくれたから、好きなんですか?」

貞子が勢い良く顔を上げる。
その動きに髪の毛がついて来れずに、彼女の顔が露になった。




川;д;川「違う!!私はっ!!」

貞子は、彼が飲み会の席で初めて肩に触れてくれた時の事を、今でも覚えている。
疎まれるばかりだった自分にも、そんな風に触れてくれる人間がいたのが、嬉しかった。

だけど、貞子が心底、彼を愛しく思ったのは、
彼が、作品を作り出す、その姿だった。

−オモシロクスルヨ?シゴトダモン−

川;д;川「う、ぁ、あ、ああぁあああああ!!」

彼女が酷く悲しかった。のは、彼が貞子を好いてくれなかったからではない。

彼に、貞子の声を、認めてもらえなかった、気がしたからだ。

( <●><●>) 「謝罪します。無神経な事を言いました。
       君が、ちゃんと人を好きになったのは、ワカッテマス」

川д川「ぅ…う…うぅ…」

( <●><●>) 「だけど貞子さん。我々は、声を出しましょう。
       残念ながら、それしかありません」

川д川「一生、誰にも、愛されなくても……?」




('A`)「俺は愛してます!!さーたんを死ぬほどあいくぇるぶっ!!」

再び何か言いかけたドクオをワカッテマスがドロップキックで黙らせる。

( <●><●>) 「そんな事を考えるのはおよしなさい。虚しいですよ?」

川д川「虚しい……」

( <●><●>) 「ええ。そしてあなたは素敵です。貞子さん。だから大丈夫」

川д川「素敵……ですか?」

( <●><●>) 「私は、人間として尊敬出来ない人を、声優として尊敬出来ませんから」

川д川「えっと、えっと………」

( <●><●>) 「また、現場でお会い出来るといいですね」

その時、ワカッテマスは、たくさんの電線が切れたおかげで、
最初には見えなかった、頭上の様子が見て取れる事に気がついた。

この灰色の森の空には、
真っ青な満月が、白々と顔を出していた。






( ゚∀゚)「えっと、辞退したいって、ラマたんを?何で?」

川д川「私が、声優だからです」

そこは、カラオケボックスの個室だった。
貞子がジョルジュをメールで呼び出したのだ。
貞子がジョルジュに対して何かを要求するのはこれが始めてで、
ジョルジュがすんなりとそれに応じて現れた事は、彼女にとっては意外だった。

( ゚∀゚)「それは参ったなぁ……」

川д川「事務所にはまだオーディションの結果を通知してないんですよね?
    でしたら、本来のオーディションの結果を反映させて下さい」

( ゚∀゚)「え、あ、ちょっとちょっと待って!
     オーディションでもぶっち切りで貞子に決まったんだって!!
     それを今更、変更となると俺も相当骨が折れるよ?」

川д川「だけど、私は!!」

( ゚∀゚)「あのね。勘違いして貰っちゃ困るけど」

言いかけた貞子をジョルジュが制する。

( ゚∀゚)「俺は、俺の仕事にね。誇り持ってるの」

川д川「………。」




( ゚∀゚)「だから、高々寝たくらいの事で、いくらなんでも主役には抜擢しないよ?
     そりゃ、貞子は胸がでかくって、反応が可愛くって、俺のお気に入りには違いないけど。
     俺はね、貞子の仕事を信頼してるから、この役を任せたいと思ったの」

貞子は、自分の体が熱くなるのを感じた。
あの不思議な夢の事を思い出す。

( ゚∀゚)「だから、とりあえずラマたんは辞退なんかしないでよ?ね。お願い?」

川д川「……でも」

ジョルジュは、煙草に火をつけると罰の悪そうな顔で煙を吐き出した。

( ゚∀゚)「あーあーあー……。もしかして貞子。俺のこと好きだった?」

貞子は答えない。
しかし、その沈黙が答えとなった。

( ゚∀゚)「あー……。それは、ごめんね?
     もう、その、やめよっか?」

川д川「はい……」

貞子の小刻みに震える肩に、煙草を消したジョルジュは手を伸ばすか否かを迷ったが、
結局彼は、二本目の煙草に火をつけた。

( ゚∀゚)「うん。貞子は、いいおっぱいだし、いい女だよ。
     だから、そんな髪の毛に隠れてないで、もっと前に出ておいで」




川д川「……ジョルジュさん」

( ゚∀゚)「ん?」

川д川「ありがとう、ございました……」

( ゚∀゚)「ん。こちらこそ。
     いい仕事、期待してるから」

川д川「全力を、尽くします……」

そうしてジョルジュがそのカラオケの個室から出て行った後、
貞子は、苦しくて、嬉しくて、寂しくて、人を好きになった自分が愛しくて、
俯いたまま、静かに涙を流した。

滲んだ視界の中で彼女が思ったのは、
歯車王の彼と、もう一度競演したい、と言う事だった。

彼女の視界の隅で、彼が乱暴に消した煙草から、
細く白い煙が上がっていた。



('A`)ドクオが夢を紡ぐようです 第六話 了




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