『第四話』




 窓の外を流れる景色をぼんやり眺めていると、
他の乗客たちの話し声が僕の耳に入ってきた。

「今日の試合は勝てるかな」
「そうだなー、相手がラウンジだからなぁ。
 ぽっぽも怪我しちゃってるし、引き分けてくれたら良いけどなー」
「馬鹿、そんな弱気でどうするんだよ。
 あいつらには勝たねーと意味ねーよ」
「結局ぽっぽの穴はどうやって埋めるわけ?
 ブーンだっけ、あのユース上がりの小僧を使うのかな」
「いやー、それはないだろ。ワントップにするんじゃないの?」
「ビロードワントップねぇ、俺は嫌いだな。
 どうせならプギャーをセカンドトップ的に置けば良いんだよ」
「それってトップ下に置いた4231と何か違うの?」
「うーん、そうだな。うーん、あんまり」
「違わないよねー」
「馬鹿、こーゆーのは気持ちの問題だろーが。
 ビロードワントップっていうと点が入る気しねーんだよ」

 ま、勝ってくれれば何でも良いんだけどね、と話している。
彼らの会話は僕の知識の範疇にない単語に溢れていて
意味がほとんどわからない。
わかったことといえば、彼らの目的地はおそらく
僕の行き先と同じなのだろうということくらいだ。

 僕は地元チーム、ユナイテッドヴィッパーズのホームグラウンド、
VIPスタジアム前に向かうバスに乗っていた。



 金曜日の昼休み、僕は学校の屋上で弁当を広げていた。
午前中の授業を空を眺めて過ごしたところ、その青さが素晴らしく、
学校を卒業してしまう前に一度は『学校の屋上で昼休みを過ごす』という
イベントをこなしておこうと思い立ったのだ。
9月になったところで太陽の凶暴性は少しの陰りも見せないが、
立地が良いのか絶え間なく風の吹く屋上は思いのほか快適だった。

('A`)「良いところだな。誰もいないのが不思議なくらいだ」

 弁当を食べ終わった僕は、手すりに背中をあずけると、
流れる雲の動きを目で追っていた。
空が青く、雲が白い。
運動場や階下の教室から漏れる音が風に混じって聞こえて
とても心地よかった。

 気づかないうちに眠っていたらしい。
立て付けの悪いドアの開けられる音が僕を起こした。
誰かが入ってくる。

( ^ω^)「おいすー。探したお」

 ブーンだった。



('A`)「よくここがわかったな。何か用?」

( ^ω^)「そうじゃないとこんなに探さないお。
      教室行って、トイレ行って、食堂行って、売店行ったお」

('A`)「ごくろーさん」

( ^ω^)「学のないドクオに教えてあげるけど、
      お疲れ様は目上の相手にいうねぎらいの言葉、
      ご苦労様は目下の相手にいうねぎらいの言葉だお」

('A`)「うん、知ってる。ごくろーさん」

( ^ω^)



('A`)「で、何?」

( ^ω^)「ああそうそう。明日暇?」

('A`)「親が倒れでもしなけりゃな」

( ^ω^)「じゃあ、サッカー観るお」

('A`)「は?」

 サッカーだお、とブーンは僕に封筒を手渡してきた。
開けるとチケットがはいっていた。
今週の土曜、つまり明日のサッカーの試合のチケットだ。

('A`)「なにこれ。どうしたの?」

( ^ω^)「もらったお」



('A`)「誰に」

( ^ω^)「クラブの人に」

('A`)「一応訊くけど、それは、女の人のいる種類のクラブじゃないよね」

( ^ω^)「UVだお」

('A`)「ユナイテッドヴィッパーズ?」

( ^ω^)「そうそう。ベンチ入りさせてもらえるらしくて、
      知り合いにでも晴れ舞台を見てもらえって2枚くれたお」

('A`)「へー。で、くれるの?」

( ^ω^)「うん」

('A`)「へー、ありがとう。じゃあせっかくだし行くよ」

( ^ω^)「ありがとう。3000円でいいお」

 金取るのかよ。



('A`)「確認していいかな」

( ^ω^)「どうぞ」

('A`)「ブーン、お前はプロのサッカー選手だよな。
   クラブの好意で学校には通わせてもらってはいるけれど、
   すでに契約もしていて給料も発生している。
   UVの選手と言えば誰もが憧れる職業だ。当然実入りも良い。
   お前は立派だ。若くして両親を亡くしたのは不幸だったが、
   お前には輝ける未来が待っている」

( ^ω^)「あまり言うと照れるお」

('A`)「それに対して僕はというと、現在しがない高校生だ。
   半年後には靴屋見習い、
   おそらくその後死ぬまで金槌をふるい続けるのだろう。
   職業に貴賎はないとはいえ、収入には歴然とした違いがある。
   自虐的に聞こえるかもしれないが、これは事実だ。な?」

( ^ω^)「それはそうかもしれないお」

('A`)「そこで、だ。チケットを、ここが重要なんだけど、
   もともとタダでもらったチケットを、
   僕にいくらで売ってくれるって?」

( ^ω^)「3000円」



 僕は大きく息を吐き、頬杖をついてしばらくこの男の顔を眺めた。
仮に僕が愛煙家であったならば、
ゆっくりと煙草の一本でもくゆらせているところである。

 彼が僕の視線に動じることはなく、まっすぐに僕を見据えていた。

( ^ω^)「3000円」

('A`)「何か僕に自ら進んでそんな大金を払わせるような、
   そんな特典でもあるのかな」

( ^ω^)「あるお」

 意外な答えが返ってきた。
仮に僕が愛煙家であったならば、
ゆっくりとくゆらせていた煙草を取り落としてしまっていただろう。

('A`)「何だって?」

( ^ω^)「当日ドクオの座る隣の席には、変態さんじゃない限り
      誰が見ても納得いくような、そんな美少女が座っているお」

('A`)「買った」



 ブーンは僕から3枚の千円札をむしりとり、
「気が変わらないうちに退散するお」と背を向けた。
ブーンの腕がドアを軋ませ、
小太りの体が青い空と白い雲の世界から去っていく。

( ^ω^)「ああそうそう。
      ドクオの隣の美少女は僕の彼女だから、
      お触り厳禁口説くの禁止、
      失礼なことでもしたら地獄を見ることになるお」

('A`)「なにー! 詐欺だ!」

 だいたいお前彼女居たのかよ!
僕の叫びは後ろ手に閉じられたドアに阻まれる。
近くの木にでもいるのだろう、蝉の鳴き声がうるさかった。



 エル・クラシコ、英語でいうところのザ・クラシック、
要するに伝統の一戦というやつだ。
ユナイテッドヴィッパーズとFCラウンジは長年のライバル関係にあり、
この両者のぶつかり合いはそう呼ばれている。らしい。
もともとサッカーに対してろくな知識をもっていない僕の情報は、
行きのバスに乗る前に本屋で買ったサッカー雑誌によるものが
大半を占めている。

 どうせ金を払って観るなら少しでもわけがわかった方が良いだろうと
買って読んではみたものの、
「それ外国語で書かれてるよ」と親切なおじさんに指摘されたら
「ですよねー。やけにわけわかんないと思いましたよ」と
信じ込んでしまいそうなほど僕には意味がわからなかった。
僕にわかったことといえば、
これから観るUV対ラウンジが世間に注目されているということと、
どこぞのサッカーファン達はこんなもののために
2週に1回590円を納めているということくらいだった。



 VIPスタジアムに入るのは2度目だった。
初めて来たのはまだ小学校低学年の頃だろう、
何歳だったのかはっきりと思えていない程度に昔のことだ。
僕の記憶の中のスタジアムの雰囲気とはだいぶ違って感じられたが、
それが僕の変化によるものなのか、
それともこの試合がクラシコと呼ばれる一戦だからなのかはわからない。

 ブーンにもらったチケットを頼りに座席を探した。
幾度となく人の流れにさらわれそうになりながらも
なんとか指定のブロックにたどり着く。
細かく座席を探す必要はなかった。
おそらく満席なのだろう人に溢れたブロックの中で
やけに目がつく一角があるのだ。
金髪をツインテールにまとめた少女が座っていて、その隣は空席だ。

('A`)「まさか…」

 はたしてその席はチケットに指定された座席であり、
僕の席の隣にはツンが座っていた。



ξ゚听)ξ「こんにちは。あなたがドクオ君?」

 僕が席につくと、ツンが話しかけてきた。
頭が軽いパニックを起こしていて考えがよくまとまらない。
僕はアホみたいに何度も首を縦に振った。

ξ゚听)ξ「あたしは津出麗羅。ツンでいいよ、よろしくね」

 まとまらない頭で何か話さなければと思った。
緊張しているのか、喉がカラカラに渇いていてうまく言葉がでてこない。

('A`)「ドクオです。よろしくお願いします」

 やっと出てきた台詞はやけにかしこまったものだった。

ξ゚听)ξ「です、はいらない。ます、もいらない。
     タメ口で話してよ。そしたら距離が縮まるでしょ。
     内藤の友達ってことはあたしの友達なわけだから、
     仲良くしてね、ドクオ」

('A`)「は、はい…」



 なんだこのうだつのあがらない受け答えは。
落ち着け、落ち着け、と僕は自分に言い聞かせた。
素数を数えるんだ、1・2・3・5・7・11…。
ちょっと待て、そもそも1は素数に入るんだっけ?

 数回深呼吸をする間に考えを整理した。
まず『樹海』について訊かなければならない。
あの赤いワンピースの女の子と、
ここに座る黒いジーンズにレモン色のシャツの女の子が
同一人物なのかを訊かなければならない。
別人であった場合、
おそらく僕はこの美少女に変人と思われることだろうが、
どうせこの娘はブーンの彼女なのだ、フラグなんて発生しない。

('A`)「ツン!」

 僕が彼女に向かい合うと同時に試合開始のホイッスルが吹かれ、
僕の試みは歓声にかき消された。



 ろくにサッカーを観たことのない僕に試合の流れがわかるはずもなく、
僕が形式的に、ツンが熱狂的に応援しているUVはあれよあれよと
2失点した。

 1点目は立ち上がり、おそらく開始5分ほどのことだった。
ラウンジの選手が左サイドをスルスルとドリブルで切れ込むと、
ペナルティエリア付近でファウルが犯された。
フリーキックを頭で叩き込まれて簡単に失点すると
スタジアム内に8万のブーイングが巻き起こり、
うなりとなってスタジアムを揺さぶった。

 2点目はそれから15分ほど経った頃だろうか。
失点後UVは躍起になって攻め続けていたが、
ラウンジはそれを冷静にいなしているという様子だった。
UVは中盤でボールをまわしながらラウンジゴールに迫るわけだが
なかなかシュートする形までもっていけない。
そのうちボールを奪取されると、
ラウンジはすっかり過疎化が進んでいるUVゴールにまっしぐら。
2・3人で効率よくシュートまで持っていかれては
キーパーが横っ飛びに防いだり
ボールがゴールを外れたりとしていたのだが、
そうした幸運も長くは続かず、
ついにUVゴールにボールが吸い込まれるときがやってきたわけである。

 さきほどとは対照的にスラジアム内は水を打ったように静まりかえり、
やがてそこら中から「まじかよ」「勘弁してよ」とため息が聞こえてくる。
ツンの様子を覗いてみると、宙を仰いで脱力していた。



 前半戦終了のホイッスルが鳴り響き、
選手たちがピッチから去っていく。
観客席はお通夜のような重い空気に満ちていて、
いたたまれなくなった僕は尿意を理由に逃亡を図ることにした。

('A`)「えーと、トイレ行ってくるよ。
   ついでに飲み物でも買ってくるけど、何か欲しいものはある?」

ξ゚听)ξ「コーヒー。アイス。ブラックで」

 それはコーヒーとアイスなのか? アイスコーヒーなのか?
後者だろうな、と僕は察した。
確認を取るべきなのだろうとは思ったが、
今のツンは不機嫌オーラに包まれていて、
気に障りかねない質問はしたくなかった。

 僕が蓋のついた紙コップを両手に持って席へ帰ると、
ツンはピッチ上で繰り広げられている控え選手の練習風景に
見入っていた。
きっとこの娘はサッカーが大好きなのだろう。
ブーンとも話が合うに違いない。
観客たちは一息ついて気持ちの切り替えができたのか、
先ほどまでの重い空気は消えていた。



('A`)「アイスコーヒーで良かったっけ?」

 右手の紙コップをツンに渡す。
少し緊張したが、
どうやらコーヒーとアイスを要求されたのではなかったようだ。

ξ゚听)ξ「ありがとう。ドクオは何買ったの?」

('A`)「紅茶だよ。砂糖とミルクがたっぷりのミルクティー」

ξ゚听)ξ「へー、甘いのが好きなの?」

('A`)「いいや、コーヒーや紅茶にまぜものするのは好きじゃないな」

 じゃあなんでそんなの飲んでるの、とツンは僕に訊いてくる。
僕は答えず一口飲むと、口の中に懐かしい甘味が広がった。
この甘味を味わうのは2度目なので、
それが前回と同じなのかはわからない。
初めて味わったのはまだ小学校低学年の頃だったと思う。



('A`)「僕の実家は靴屋でさ、
   ほとんど親父に遊んでもらうことのない幼少期だった。
   親父は土日も働いてるからね。
   だけど、何の拍子にかは知らないけれど、
   一回だけここに連れてきてもらったことがあるんだ」

ξ゚听)ξ「サッカー観に?」

('A`)「うん。どこ対どことか覚えてないけどね。
   そのとき買ったチケットはこんな指定席じゃなくて、
   僕と親父は自由席にも座れず最上段で立ち見をした。
   背の小さかった僕はうまいこと試合が見られなくて、
   それに気づいた親父は僕を肩車して見せてくれたんだ」

ξ゚听)ξ「へー、良い話じゃない」

('A`)「それで、ハーフタイムになると親父は、
   僕をかついだまま歩いて行って、
   僕に砂糖とミルクたっぷりのミルクティーを買ってくれた。
   トイレ行ってる最中にそんなことを思い出して、
   それで買ってみたんだ」

ξ゚听)ξ「美味しい?」

('A`)「甘すぎて、紅茶の味なんかどこにもないな。不味いよ」

 あのときは旨かったんだけどね、と僕が笑うと、
ツンは僕に白い歯を見せてくれた。



ξ゚听)ξ「あ、内藤だ」

 ツンに言われてピッチに目を向けると、
1人の選手がボールに触りながらピッチ内を走っていた。
背番号20、内藤ホライゾン。ブーンだ。

 ブーンはドリブルしながら右サイドを走りあがる。
イメージトレーニングをしているのか、
時折フェイントを混ぜ進んでいく。
ペナルティエリアにさしかかるところで方向転換し内へ切れ込むと、
まだ距離のあるところからボールをゴールへ蹴りこんだ。

 ピッチサイドにはもう1人立っていて、
彼はブーンに向かって次々とボールを供給する。
ブーンはそれらを1つ1つ違った蹴り方でゴールへと叩き込んでいく。

('A`)「上手いな…」

 僕が呟くと、

ξ゚听)ξ「当たり前よ」

 何故かツンが誇らしげに胸を張った。



 ひょっとしたら後半からブーンが出場するのではないだろうか、と
期待を胸に待っていたのだが、あいにく選手交代はされなかった。
UVは2点ビハインドで後半を開始し、

「お前ら2点入れんと家帰れると思うなよッ!」

 観客席から野次が飛ぶ。
UVサポーターにとってFCラウンジに負けるのはよっぽどのことらしく、
ゴール裏で合唱される応援歌は鬼気迫って聞こえた。

 後半なかばを過ぎたあたりだろうか。UVが1点返すことに成功した。
前半と変わらずパス回しからゴールを狙うのかと思いきや
中央からドリブルで突っかけると、
ペナルティエリア内で倒されPKゲット。
取った選手がこれを決め、スタジアムは熱気に包まれた。

「もう1点取れ! もう1点取れ!」

 そこら中から叫び声があがる。

 FCラウンジが選手を交代し守備固めに走ると
UVもすかさず選手を変えて応戦する。
後半30分、ついにブーンがピッチに立った。



 結論からいうと、ブーンの公式戦デビューは鮮烈なものとなった。

 投入されて10分後、ブーンはペナルティエリア手前でボールを受けると
簡単にディフェンダーをかわし、ハーフタイムでの練習と同じように
ゴール隅にボールを蹴りこんだ。
ブーンは僕からのボールでゴールを奪ったときと同じように
両手を広げて走り回り、スタジアムは爆発したような騒ぎになる。
ある者は「救世主の到来だ」と歓声をあげ、
ある者は「私はユースチームにいるときから彼には注目してました」と
耳を大きくした。

 隣の席に目をやると、ツンが隠しもせずに泣いていた。
大きな目を真っ赤にして大粒の涙を流している。
それを見た瞬間、僕の興奮は消え去った。



('A`)「僕は馬鹿だ」

 ツンから目をそらすと僕は自分を罵った。
彼女はブーンのために泣いている。
昔話をして過去を共有してもらった気になって、
僕が勝手に親しみを感じたところでそれが何だというのだろう。

 試合はそのまま終了し、客席は勝ったような喜びようだった。
スタンドに挨拶してまわる選手たちに惜しみない拍手を贈り、
指笛で賛意を表明する。
前が見えないほどの紙ふぶきが舞っていた。



 翌朝僕はコンビニでスポーツ新聞を1部買った。
表紙がブーンのものだった。
デスノートを持って電車に乗ると、いつも通りそこにはツンがいる。
赤いワンピースを着ていた。

 僕は彼女にスポーツ新聞を手渡した。

('A`)「あんたに会ったよ。VIPスタジアムでだ」

ξ゚听)ξ「そう。これはありがたくもらっておくけど、
     あまりこういうことはしないでね。
     はい、大きなうまい棒と足踏みスイッチ。がんばってね」

 僕は引き下がらない。
疑問に思ったことをそのままにしておいてはいけないのだ。

('A`)「あんたはなんでここにいるんだ?」

 だから訊いた。



 しばらく沈黙が流れた後、ツンは答えた。

ξ゚听)ξ「神様の使いっ走りをするためよ」

('A`)「それは目的だな。僕の知りたいのは原因理由だ。
   何のためにではなく、何故ここにいるのかが知りたい」

ξ゚听)ξ「まだ解放されてないからよ」

('A`)「それは答えになってない」

ξ゚听)ξ「それはあんたがそう感じるだけでしょ。
     理由はまだ解放されてないから。
     あんたは1+1の答えが2になる理由を答えられるの?」

('A`)「すりかえるなよ。
   僕はあんたに会ったけど、あんたは僕を知らないようだった。
   あんたの時間は僕と同じように流れているようなのに、
   これはどうなっているんだ?」



ξ゚听)ξ「だから、あたしも正確にはわからないわ。
     あたしにわかっていることは、
     誰かに解放されるまであたしはここにいるってことと、
     解放された後あたしは来た日に帰されるということよ。
     ここでの記憶は消えるらしいから、
     それであたしはあんたのことを知らないんじゃないかしら」

 違う、と僕は思った。
僕が訊きたいことはこんなことではない。
訊きたいことは山ほどあるにもかかわらず、
頭の中が霞がかっていて、僕は何も思いつかなかった。

('A`)「あんたはブーンの恋人なのか?」

 ようやく口をついたのはこんな質問だった。
くだらない。
違ったらどうだというのだろう。

ξ゚听)ξ「そうよ。だからこれは本当にありがとう」

 僕は奥歯を噛みしめ階段を下りた。
仮に僕がツンを解放せしめたとして、
彼女はそのことも忘れてしまうのだろうか。



 地下一階。僕の両手は空いている。

 ギコ猫がいた。殴る。
ちんぽっぽがいた。殴る。殴られ、殴る。
ファンファーレがどこかで鳴る。
ちんぽっぽがいた。殴る。
ギコ猫がいた。殴る。
ちんぽっぽがいた。殴る。
心がささくれ立っていた。

 ナマクラソードを拾った。
何も考えずに装備する。

『ドクオはナマクラソード−1を装備した!
 なんと! ナマクラソードは呪われていた!』

 僕はその場で大きく息を吐いた。

('A`)「こんな進み方してたら絶対死ぬな」

 死にたいのか? と問いかける。

('A`)「死にたいのかもしれないな」

 自分の口の端に歪んだ笑みが貼りついていることがわかる。
死なないけどな、と僕は呟いた。



 地下一階ではナマクラソードの他にソコソコソード、
火ー吹き草、500チャンネルと17本の木の矢を拾った。

 木の矢は弓のようなものがなければ撃てないわけではないらしく、
投げれば撃つとのことだった。
ちょうどちんぽっぽがやってきたので、
もったいなさを感じながらも早速撃ってみることにした。

('A`)「ドラァッ!」

 空気抵抗による浮き上がりを考え、5cm下を狙い撃つ。
僕の投げた木の矢はあさっての方向に飛んでいった。
問題は高さではないようだ。

('A`)「おかしい。僕は野球部なんかじゃないにせよ、
   これほどノーコンではないはずだ」

『ドクオの攻撃! ちんぽっぽに7ポイントのダメージ!
 ちんぽっぽをやっつけた!』

 とりあえずちんぽっぽを殴り殺し、僕は実験を開始した。
ひょっとして、ものを投げるのにもルールがあるのかもしれない。



 僕は17本の木の矢をもっている。
部屋の中央に立ち、その場で回転しながら適当に15本撃ってみたところ、
僕は部屋や通路の壁を基準として、縦横ななめの8方向にしか
投げ分けられないらしいということがわかった。

('A`)「このルールは敵側にも適応されることだろう。
   ショボンヌに対してこの8方向に対さないようにしていれば、
   おそらくションボリ草を投げられることもなかったんだ」

 学習した。

 だいぶ頭が冷えてきたようで、
それに伴い右手から離れないナマクラソードが憎たらしく思えてきた。
僕はなんだってこんなものを装備してしまったのだろう。
せめて地下一階の探索が終わるまで待っていれば
ソコソコソードを拾えていたのに。

 愚痴っていてもしかたがない。僕は階段を下りた。



 地下二階。僕の右手にはナマクラソード−1が握られている。

 ギコ猫もちんぽっぽも一撃でやっつけられるため、
間合いの取り方を学習した僕にとって
出会い頭以外にダメージを負うことはもはやない。

『毒矢のワナを踏んだ! ドクオに5ポイントのダメージ!
 ドクオのちからが1ポイント下がった!』

('A`)「…わけでもないらしいな」

 胸板が薄くなる感触は心地よいものではなかった。

 僕は地下二階で600チャンネル、目ー潰し草、
大きなうまい棒(めんたい味)とわかってますの巻物を拾った。
殴り倒して進んでいく。

('A`)「鬼門は地下四階。今回こそ抜けなければ」

 右手のナマクラソードが恨めしかった。



 地下三階。僕の右手にはナマクラソード−1が握られている。

『モンスターハウスだ!』

('A`)「モンスターハウスとはなんぞや?」

 答えは言葉では返ってこなかった。
壁の見えないほどの巨大な部屋の中、
僕は尋常じゃない量の敵に囲まれている。

 僕の視界内にはビコーズ3匹とギコ猫1匹、ちんぽっぽが2匹いた。
脳内マップからこの他にもわんさか敵がいることがわかる。

('A`)「落ち着け。落ち着いて考えればなんとかなるはずだ。
   幸いここは地下三階、ビコーズはどうか知らないけれど
   ギコ猫とちんぽっぽは一撃でやっつけられる。
   うまいことさばけば死なないはずだ」

『ドクオの攻撃! ビコーズに10ポイントのダメージ!
 ビコーズをやっつけた!』

 どこかでファンファーレが鳴っている。
ビコーズを一撃でやっつけられたことで気を良くした僕は、
すっかり安心しきっていた。



 どんどん敵が襲いかかってくるけれど、
一度に相手取るのはせいぜい2・3匹。
そのどれもが一撃で倒せるという状況下である。

('A`)「やれやれだぜ。一度は終わりかと思ったけれど、
   なんとか切り抜けられそうだ。
   これはアイテム使うのももったいないな」

 そう思った。

 『行動』2回分ほどの距離にいるビコーズを倒すべく、
僕はそいつに近づいた。
そいつも僕に近づいてくるわけで、僕の先制攻撃の形となる。
筈だった。

 僕が剣を振り上げようとした次の瞬間、
ビコーズは跡形もなく消え去った。



『大きな地雷を踏んだ! ドクオに33ポイントのダメージ!』

 とんでもない衝撃が僕の体を襲ったが、
僕はその場から吹っ飛ばさたりはしなかった。
体中が痛い。それよりやばい。
そうなるようにデザインされているのだろうか、
僕のHPは残り1ポイントとなっている。
加えて周りには敵がいる。
誰でも殴れば僕を殺せる。

('A`)「落ち着け、落ち着くんだドクオ。
   きっとまだ活路はどこかにある筈だ」

 僕は激痛に耐えながら考えた。
幸い僕は17本の木の矢と火ー吹き草をもっている。
遠距離攻撃でしばらく時間を稼ぎ、数ポイント回復した後
まだ残っている敵は1匹1匹倒していけば、まだ詰みではない筈だ。

('A`)「僕はやれる。やってやる」

 本気で死にたいわけがない。
口の端が上がっていることを自覚した。



 木の矢が尽きるまで撃ち続けた。

途中ファンファーレが鳴ったこともあって
僕のHPは6ポイントになっており、
2・3回なら殴られようが耐えられる。

('A`)「僕は危機を切り抜けたのだ!」

 そう思った。

 勝利をより確実なものにするため僕はしばらく敵から逃げ回り、
さらに数ポイントの回復を試みた。

 僕は壁の見えないほど広い部屋の中、3匹の敵に追われている。
『行動』数回分の距離を保っているので追いつかれる心配はない。

 やがて壁が見えてきた。



('A`)「壁についたらそれ以上逃げられないが、
   壁を背にすれば死角がなくなる。
   僕の勝利はより確実性を増すのだ」

 そう考え、僕は壁へと向かっていた。
その壁まで残り『行動』4回分。僕は足の裏に異物を感じた。

『眠りガスのワナを踏んだ! ドクオは眠ってしまった!』

('A`)「なにー!」

 体が鉛のように重くなり、僕は何もできなくなった。
それでも僕の意識ははっきりしていて、
僕が何かしらの『行動』をしない限り何もできない筈の敵どもが
ゆっくり近づいてくるのがわかる。

('A`)「眠りガスじゃねぇじゃん!」

 叫びは声にならなかった。



 ビコーズが、ちんぽっぽが、ギコ猫が近づいてくる。

('A`)「僕のHPは7ポイント。
   盲目状態が『行動』10回で回復したことを考えるに、
   これも同じようなものだろう。
   際どいところだ、耐えられるか?」

 彼らは少しずつ僕に近づいてくる。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、
僕はその恐怖に耐え続けた。

『ビコーズの攻撃! ドクオに2ポイントのダメージ!』

 一番近いのはビコーズだった。残り5ポイント。
ちんぽっぽとギコ猫はまだ『行動』1回分の距離をとっている。

『ビコーズの攻撃! ドクオに2ポイントのダメージ!』

('A`)「残り3ポイント、ちんぽっぽとギコ猫も近づいた。
   これはもうだめなのか…?」

 しかし彼らはいつまでたっても殴ってこない。

('A`)「ひょっとして…」

『ドクオの眠りがさめた!』



('A`)「オラァ!」

 ここぞとばかりに僕の剣がうなりをあげる。

『ドクオの攻撃! ビコーズに13ポイントのダメージ!
 ビコーズをやっつけた!』
『ちんぽっぽの攻撃! ドクオに1ポイントのダメージ!』
『ギコ猫の攻撃! ドクオに1ポイントのダメージ!』

('A`)「って、やっぱ詰んでんじゃねーか!」

 僕のHPは残り1ポイント。
2匹に囲まれているためどちらかを殴ると残ったほうに殴られ
絶命は免れない。

('A`)「どうする…どうする…」

 体中が激痛に悲鳴をあげる。僕の喉はカラカラだ。

('A`)「もしかしたら、ちんぽっぽを殴った経験値でレベルが上がり、
   そのHP増加分で助かるかもしれない」



 藁にもすがる思いだった。僕は剣を握り締め大きく息を吐く。

('A`)「勝負ッ!」

『ドクオの攻撃! ちんぽっぽに15ポイントのダメージ!
 ちんぽっぽをやっつけた!』

('A`)「ファンファーレは? ファンファーレは聞こえないのか?」

 聞こえなかった。

『ギコ猫の攻撃! ドクオに1ポイントのダメージ!』

('A`)「くやしい…こんなやつに…!」

 僕は死んだ。

          『ギコ猫に撲殺』第五話へつづく

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