ブーンがシリアルキラーになったようです。  1、生々流転




私はこの世で最も悲しみを知っている者です。

     ―――アンドレイ・チカチーロ
        三人を殺害、墓場から掘り出した死体を死姦した殺人犯。
        上の台詞は公判中の「お前は被害者の遺族たちの悲しみを考えた事が無いのか?」という問いに対して。
 

「ただいまだお。」

高校の授業を終えた僕は家の玄関を開けた。
返事はない。
母親はとっくに離婚して、新しい男を作って出て行ったし、
父親は父親で仕事一筋の人間なので、仕事場からこんなに早く帰ってくるはずがない。
広々とした家の中に、僕の声がむなしく響いた。




「・・・・・・・・・・・・。」

僕は静かにリビングへ行くと、テーブルの上に学校の帰りに買って来たコンビニのお握りや弁当を置いた。
その中からお握りを一つ取り出すと、テーブルから少し離れたソファーに、どっと座り込み、リモコンでテレビの電源をつける。
テレビでは三つの小学校に爆弾が仕掛けられ、27人もの児童が死亡、78人が重傷を負ったというニュースの続報が流れていた。
それによると、容疑者として捕まったのはまだ10歳の女の子で、動機は不明。爆弾の作り方はインターネットで調べて、材料も通信販売で手に入れたのだと言う。
さらに、警察に捕まった女の子が、嬉しそうに自分の作った爆弾の威力を自慢しているところの写真が、とある週刊誌に掲載され、「加害者の人権を守りたい会」と「子供の権利その他諸々保護協会」とかいう市民団体がその週刊誌の編集部を訴えるらしい。
そのニュースが終ると、次のニュースが流れた。
変な市民団体が「添加物反対」とかなんとか、プラカードを掲げながら署名活動をしている。
それにコンビニで買ったばかりと思わしき袋を提げた若者がサインをして、テレビのインタビューに答えていた。
「いや、正直添加物の入ってるものなんて恐くて食べられないっスよ、実際。」
残念、今君が持っているコンビニのおにぎりや弁当の中にも添加物は含まれてるんだよ。
世の中何かがおかしくなってるな。
お握りを食べながら僕はそう思った。



コンビニ弁当を食べ終わると、僕は二階の自分の部屋へ向かった。
高校受験を終えて、高校に入ったばかりだと言うのに面倒な宿題などやる気は起きなかったが、先生に怒られるのも嫌なので真面目に宿題に取り組んだ。
宿題が終わって一息つくと、僕は机の引き出しから一本のメスを取り出した。
父親の仕事場から勝手にくすねたものだった。
メスが一本足りない事に気づいた父親は、「医療ミスかもしれない」等と、患者の体内にメスを忘れてしまった可能性に思い至ったらしいが、しばらく思案して、彼はその日は珍しくメスを体内に置き忘れるような大掛かりな手術が無かった事を思い出した。
彼はそれっきり、「どこかで失くしたのだろう」と言って、無くなったメスから興味を失くした。
一瞬でも父親を不安がらせてしまった事に罪悪感を感じたが、メスを返す気にはなれなかった。
僕自身も何故かはわからない。
手先が器用だった僕は、自分で皮製の鞘を作った。
僕はメスを眺め終わると、その鞘に入れて、ごく自然な動作で学校の鞄の中にしまった。
自分でもそれが学校の鞄の中に入れられた事など、全く気づかなかった。
その後、とりあえず特にやる事も無いので、机の上のPCの電源を入れ、PC本体に繋がれたヘッドホンを頭につける。
そしてIEを起動。
だが、やたらと重く、ホームページがなかなか表示されない。



「・・・・・・?」

訝しく思い、URLを見てみると、そこには見たことも無いURLが表示されている。
おかしい、僕のIEのホームページはヤフーに設定してあるはずだ。
ウイルス?スパイウェア?ホームページのURLが書き換えられてる?
瞬間的に僕の脳内を様々な思考が駆け巡る。
IEのツール、インターネットオプションからホームページの設定を変える。
そこにはやはり見慣れないURL。僕は眉をひそめながらも、ヤフーのURLを打ち込む。
「OK」をクリックして、設定を確定させると、IEの上の方にある、家のマークをクリック。ホームを更新しようとする。
が、その瞬間、突如メディアプレイヤーで動画が再生された。拡張子はmpg。
どうやら、書き換えられたホームのURLから無理矢理再生させられたらしい。
ウイルスやブラクラページではなかった事に安堵しつつも、なんだか気持ちが悪いのでメディアプレイヤーを閉じようとする。
しかし、僕がメディアプレイヤーを閉じる前に、その動画は再生された。




「なんだ・・・これ・・・。」

かろうじて、言葉が出た。
メディアプレイヤーで再生されたのは、どこかの廃ビルの中のような場所の映像だった。
昼間に撮影されたらしく、恐怖系のものでも無い、かと言って、グロでもなさそうだ。
何の変哲も無い、ただ屋内を撮っただけの動画。
PCに繋がれたヘッドホンからは何かの電子音のような、奇妙な音が流れ始めた。
しかし僕の手は動かない。手だけではない。僕の目も、PCのモニターを、再生された動画を食い入るように見つめている。
どうやらこの廃ビルは、元は病院だったらしく、あちこちに機材が転がっている。
その動画の中に、一瞬、まったく関係ない絵が混じったような気がした。
本当に一瞬だったため、何の絵かはよくわからない。
そんなことを考えていると、再び動画の中に別の画像が混じった。

「・・・・・・・・・・・・?」

それ以降も、動画の中には関係の無い絵や画像が混じり始めた。
最初は、フィルムのコマの中で一コマだけ貼りかえられたかのように一瞬しか映らなかったそれらは、動画が進むにつれて長い時間、頻繁に映るようになっていった。


瑞々しいスイカの画像。そして次にはそのスイカがバラバラに割られている画像。かと思ったら次には誰かの耳の画像。そして幾何学的な印象のある、人のような奇妙な絵。
ヘッドホンから流れる電子音にも奇妙なものが混じり始めた。
何かをこするようなノイズ音だったり、某RPGゲームのレベルが上がったときに流れる効果音、踏み切りの音、壁を叩くような音。
他にも色々な音や画像が流れていたが、判別できないものが大多数だった。
終盤にもなると、動画に割り込んでくる画像が映る方が、廃ビルの中の映像よりも多くなっていった。
画像は、既に絵だとか画像だとか呼べるようなものではなくなっていた。
ただ、白い紙の上に絵の具を垂らしただけ、というような、輪郭もハッキリしていない原色系の色が幾つも並んだ物ばかりになっていた。
それが何枚も、何枚も目まぐるしく表示されていくのだ。
その途中に映る廃ビルの映像が、今ではノイズのように思える。
ヘッドホンからは十秒ほど前から耳鳴りのような音が流れてきている。
音は少しずつ大きくなる。
うるさい。
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさ――――



気がついたらそこに立っていた。
どこかの立体駐車場の中、目の前には怯えきった男が一人。
多分十代後半くらい。大の大人だというのに顔を鼻水と涙と涎に汗、ともかく考え付く限りの体液を出して表情全体で恐怖を訴えかけている。
きめぇ。
汚かったのでその顔をナイフで袈裟切りに切りつける。浅い。
だが、その深く無い傷に男は短くギャッ、と叫ぶと両手で顔を押さえて転げまわる。
いや、男に両手で抑える事はできなかった。男の右腕には、手首から先が存在していない。
手首の断面を反射的に自分の顔に落ち着けた男は、手首の断面から伝わる激痛に、さらに顔を歪める。
そして、顔の筋肉を歪めれば歪めるほど、顔からの出血は酷くなる。
顔を抑えて地を転がる男の顔に何かが当たる。
先ほど切り取られた右手だ。
骨がなかなか切れなかったので、手首を一周するように肉を切ってから、骨に切り込みを入れて無理やり折った。
少しずつ腕が無くなっていくのがどんな感覚なのか、聞いてみたのだが男は呻くばかりで何も答えなかった。
右手が完全に男から離れたとき、再び男に聞いてみたのだが、男は失神していた。
仕方が無いので無理やり蹴り起こして今に至るというわけだ。
最初は元気よく呻いていた男も、だんだんと動かなくなってくる。
退屈だ。


もういい、殺してしまおう。
再び僕が男の前でナイフを振り上げるが、男は命乞いをする事は無い。
すでに命乞いなら右手を切り落とす前にしつこく叫び続け、効果が無いことを悟ったからだ。
変わりに男の口元が小さく動き続けている。
祈りでもしているのかと思い、注意深く聞いてみた。
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる絶対いつか殺してやる、覚えとけ覚えとけ殺してやる。
男はそう呟き続けていた。
痛みで頭がおかしくなっているのだろうか。
ここで僕に殺されるこの男が、どうやって僕を殺すというのか。
可哀想に、心が壊れてしまったらしい。
僕はそのまま男の後ろ首を掴むと、後頭部に逆手に構えたナイフを振り下ろした。
ナイフの先は男の延髄を破壊。
男の口が動かなくなった。
絶命した。






「 ――――――・・・・・・・・・・・・・・・ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
目が覚めた。
冬だというのに体中にびっしりと汗をかいていた。
どうやらPCをやっている途中で眠ってしまったらしい。
不思議な事に、昨日の夜にPCで何をやっていたかよく覚えていない。
まるで靄がかかったかのように、そこだけ記憶が曖昧になっていた。
だが、夢の事だけはしっかりと覚えている。
僕の全身を嫌な汗が伝う。
やけに生々しい夢だった。今でもこの手に肉を裂く感触が残っているようだ。
しかし、何故か夢の中に出てきた男の顔だけは不明瞭で、よく思い出せなかった。
気分が悪いのを無理やり押さえつけるように、PC用のデスクにもたれ掛かっている体を勢いよく起こして部屋を出る。
一階のリビングの窓から外を眺める。快晴だった。時刻は七時。
トーストを焼いて、目玉焼きとインスタントの味噌汁を作り、ゆっくり咀嚼していく。
夢の事を思い出して吐きそうになるが、胃が内容物を吐き出すよりも早く、トーストを咀嚼、嚥下して喉の奥へと押し込んでいく。
胃に朝食を詰めるとリビングから出て、再び玄関の前を横切る。
すると、丁度父が父の勤める総合病院へと出勤するところだった。
それなりに大きな病院の院長である父の朝は、結構早い。
今日は珍しく父にしては遅い出勤。


目が合うと、父が口を開いた。

「顔色が悪いな。」

はじめ、僕はそれが誰の声なのか分からなかった。
ただ単純に、僕が父の声を一ヶ月近く聞いていなかったからだ。
昔はよく会話もした。
だが数日あまり会話を交わさない日があり、それ以来あまり顔をあわせないこともあり、どうも話しかけにくくなってしまった。
父も僕に話しかけるのが久しぶりだと言う事に思い至ったのか、何とも言えない微妙な表情を作った。

「疲れが溜まってるのか?陸上はやめたんじゃないのか?」
「部活はもう何もやって無いお。ちょっと色々あって疲れてるだけだお。」
「そうか。」

父は暫く何かを考えた後、再び口を開いた。

「大学のことも考えると、さすがに部活動をしていないというのはまずいな。勉強に支障が出ない範囲で、適当な部活動をやっておきなさい。」


「わかったお。」

僕が返事を返すと、父は「それじゃあ、行ってくる。」とだけ短く言って、玄関から出ていった。
僕はそれからしばらくして、学校へ行く準備を整えてから家を出た。
そのときの僕は、まさかそれが僕の見る最後の父の姿になるとは思いもよらなかった。

「いってきます」

父に続いて、僕も家を出る。
行って来ます、と言ってみても返事は無い。
母親が居ない今となっては当然なのだが、習慣化した行為は早々簡単にはやめられない。
僕は家から出ると、玄関のドアを閉めて鍵をかける。
父は夜遅くまで帰ってくることは無い。
従って、帰ってきて真っ先に鍵を開けるのは僕になる。
僕より先に誰かが帰ってきていて、鍵は開いていて、家に入ると「おかえり」という言葉がかけられる。
そんなことはもう僕の身には起こりえないのだ。
カチリ、とカギを閉める音が響く。
このカギを帰ってきたときには開けなければ行けない。
カギを開ける音を聞くのは、とても憂鬱だ。




「やあ、内藤。」

学校の自転車置き場で、ダイヤル式の自転車のチェーンをタイヤに通している僕に、クラスメートのショボが声をかけてきた。

「ショボ、おいすー^^」

僕も当たり障りのない挨拶を返す。

「昨日の『稲沢探検隊・VIPの奥地に50年引きこもり続ける幻のニートを探せ!』見たかい?」
「見たお。ショボに薦められるまで見てなかったけどマジおもすれー。」

昨日のテレビ番組が僕等の間で話題に上る。
探検隊の稲沢隊長がその『幻のニート』だった、とかいう変なオチの番組だった。
何かを探し出す事。
人生において目標があるのはいい事だ。



私立VIP神山高校。
僕の通う高校の名前だ。


父親の病院を継ぐために、僕は将来、医学部に入らなければならない。
僕には特に夢もないし、父親の強い期待もあって、必死で勉強してこの高校に入った。
偏差値の随分高いエリート高、というイメージがあったが、この高校で出会った友達は、僕の地元の中学校に居た連中と対して変わらなかった。
僕はショボと話しながらも廊下を歩き、1-Cと書かれた教室に入る。

「よ、内藤じゃん。」
「おいすー^^」

教室に入ると、中のいい友達の何人かが、僕の机の周りに集まってきた。
僕等は大抵、朝のホームルームが始まるまで、誰か一人の机の周りに集まって談笑する。

「なあ内藤、昨日見た?」
「見たおwwww」
「稲沢隊長マジワロスwwwww」
「は?稲沢?何それ?」
「稲沢探検隊。見てないのかお?」
「何おまえ等、ショボも内藤もそんなの見てんの?Nステだよ、Nステ。」
「は?昨日のNステ、レンジ出てんじゃん。マジ最悪だし。」
「あ?荒巻、てめーふざけんな。レンジ馬鹿にしたらマジゆるさねーぞ。」
「うはwwwレンジファンかおwwwww」
「レンジファン、(´・ω・`)ぶちころすぞ。」
「何?お前等、アンチ?レンジの事パクリとかいってる人種?マジ死ねよだし。」
「人種てwwwwwwwww」
「ギコ、レンジ信者かよwwwwwきめえwwwww」




話題は昨日の野球の試合の事だったり、テレビ番組の事だったり、漫画の事だったり、一貫性は無い。


「内藤、そういえばこの前、清水に会ったが、お前に会えなくて寂しがってたよ。」
「そういえば、高校に入ってからあんまり会う機会が無かったお。」

ショボが唐突に言ったその言葉に、僕は思い出したように返事を返した。
清水と言うのは僕の中学の後輩で、去年から付き合いだした子だ。
僕と同じ陸上部だったので、帰る時間が重なって、よく談笑したり、寄り道でファーストフードを食べたりしている内に、自然と親しくなっていき、気がついたら付き合うようになっていた。
今でも携帯で話したり、メールのやりとりをしているのだが、僕が高校に入って自然と会う機会が少なくなり、なんとなく疎遠になっていた。

「・・・邪魔。教室の真ん中で馬鹿笑いしてないで。」

考え事の途中で、周りに適当に相槌を打って笑っていた僕に、冷たい声がかかった。
声のかかった方向へと顔を向けると、そこに僕へとキツイ視線を向ける少女が居た。
同じ中学から進学してきた、ツンだ。
気が強く、クラスの女子のリーダーみたいな存在になってる。
彼女の鋭い視線に戸惑った僕は、あわてて自分と周囲を見渡す。
見れば、彼女の机へと向かう道を、僕の体が塞いでいた。
僕の椅子にはショボが座っている。自然、僕は立つ事になった。





「ヘラヘラ笑ってないで、早くどいて。」
「この顔は生まれつきだお。」

僕は彼女に少しばかりの反抗心を篭めて言い返すが、途端に睨まれて口をつぐむ。
大人しく彼女の机への道から退くと、彼女がさっさと通り過ぎていってしまった。

「相変わらず、仲が悪いね。」

ショボが呆れたように言った。

「向こうが突っかかって来るんだお。っていうかなんでおまい、人の椅子に座ってるんだお。」
「そこに椅子があるからさ。」

ショボは軽く肩をすくめてみせる。
僕がツンの机に視線を向けると、ツンも僕の方を見ていた。
ツンの視線が、睨むように厳しい物へと変わる。
僕の臓腑の底の方に冷たいものが走った。
僕はツンが苦手だった。
特に、じぃっと、刺すような視線で睨まれると、居心地が悪くて仕方が無かった。


そもそも、ツンにはじめてあった時の一番最初の会話、というかツンの対応がよろしくなかった。
中学二年生の一学期が始まって二ヶ月ほど経った頃、ツンは親の都合で僕の通っていた中学に転校してきた。
その頃、僕は受験に有利になるだろうという打算から、クラス委員をやっていた。
他に誰も立候補者が居らず、明るく、クラスでも目立っていた僕は、すんなりとクラス委員になれた。
もちろん、転校してきたばかりの彼女に僕は声をかけた。

「分からない事があったら、遠慮なく聞いてくれるといいお」

だが、帰ってきたのは全くの無言だった。
ツンは僕をじぃっと睨みながら、口を閉じていた。
それから僕が何を話しかけても無視された。
僕は唖然としていたが、ツンの方はそ知らぬ顔だった。

別にそれでどうしたと言うわけでもない。
最初のうちは、ツンのその行動で少し空気が悪くなったが、時が経つにつれツンはクラスになじんでいったし、
僕も、面と向かって「ヘラヘラ笑わないで」等といわれることもあったが、話しかければ多少のリアクションは返してもらえるようになった。


当然、僕はツンに対して苦手意識を抱いたし、ツンの方も僕を嫌っているように見えた。

「おーい。席つけ、ガキども。」

担任の赤城先生が入ってきた。
女の人には珍しい長身で、まるで男のような言葉遣いの先生だ。
女子達の間では人気があるらしい。

「ホームルームはじめるぞー、日直、早く礼しろー。」

僕の椅子の周りに集まっていたクラスメート達があわてて自分たちの席に戻っていく。

「日直ー?今日の日直誰だー?早く朝礼の掛け声しろよ。」

先生の声に苛立ちがこもり始める。
先生は、見かけから分かるとおり、怒ると怖い。
怒らせてはならない。それが僕等の間での共通認識だった。
まったく、今日の日直は誰なのだろうか。
先生の八つ当たりが他の人間にまで飛び火したらどうしてくれるのか。
迷惑な奴だ。
だが、そこで周囲の視線が僕に集まっていることに気づく。
僕は思わず黒板を見た。
黒板の「日直」と書かれた欄には書かれた名前は「内藤ホライゾン」。
僕だった。


先生が僕に怒鳴り始めた。
今日も僕の日常は平和だった。


それが、どこで歯車が狂ってしまったのだろうか。

「・・・・・・・・・・・・。」

僕は一瞬、自分が何をしたのか分からなかった。
目の前には、首にできた傷から血を流す少女。
そして僕の手に握られているのはメス。直線刀だ。
一体何がおきたのか分からない。
僕はこれまでの自分の行動を頭の中で必死に整理する。
僕の手に握られているのは、机の引き出しの中にしまっていたナイフだ。
何故これを今僕が持っているのかはわからない。
そして、目の前で首から血を流しているのは一切年下で、去年から付き合ってた清水小夜だ。
「先輩って、何時も笑ってて可愛いですよね。」
そう言って僕に笑いかけてくれた。
笑うと頬に笑窪ができて、とても可愛いと思っていた。とても自然に笑う、大好きな子だった。
僕が高校に進学して、自然と会う機会が少なくなったのだけれど、今日偶然にも高校からの帰り道で出会ったのだった。


それから僕は彼女と一緒に喫茶店に入って・・・
それから・・・
それから僕は彼女を送っていこうとして、その途中に何か冗談を言ったような気がする。
それで、首をのけぞらせて可笑しそうに笑う彼女の、白く、綺麗な首筋を見て僕は反射的に―――

―――彼女の首をかき切った。

切られた勢いで彼女は倒れこむと、二、三度彼女は口を、金魚のようにパクパクと動かした。
口の開閉に合わせて、喉の傷も動いた。
そこから空気が漏れてしまって、上手く呼吸できないのだろう。
血も勢いよく出ている。
かすかに回転しながら倒れた彼女の首から出た血は、運良く僕にはかからなかった。
混乱した頭の中で、自分に返り血が突かなかった事を単純に喜んだ。
彼女も混乱しているのだろう、青い顔をしながら、僕に事情の説明を求めるような表情を向けた。
僕は恐くなって一も二も無くその場から駆け出した。
彼女の青い顔だけが頭の中に浮かんでいた。





家に帰った僕は自室で呆然としていた。
何もかもが夢だったのではないかとさえ思った。
未だに自分が起こした行動が理解できていなかった。
彼女のあの白い喉を見た瞬間、自然な、自然すぎる動作で僕の手は動いていた。
彼女の首を掻き切る事が、それをすることがとても自然で当たり前の事だと思った。
そこに理由を求めても答えは出ない。
全くの無意識でとった行動なのだから。
本当に夢だったのではないだろうか。
ここではないどこか異世界での全くの他人事のようにさえ思えた。
しかし、皮の鞘から出された、血のこびりついたメスがあれは夢ではなかったのだと告げる。
メスの刀身に付着した彼女の血は、既に固まっている。

――あの出血量だ。彼女はもう助からない。
―――警察が来るかもしれない。どうしよう・・・。
――――僕は殺人犯になってしまった。面倒だ・・・。
―――――もう彼女の笑う顔が見れないな・・・・・・。

頭の中を色々な考えが高速で駆け巡る。
わけも分からないまま、手足の先が震えた。

「・・・・・・・・・・・・。」

だが、警察や未来への恐怖はあっても、不思議と彼女を殺した事への後悔はなかった。
そして、未だに僕は彼女を殺すのが、とても自然な事だったと思っていた。
僕はそのまま眠りについた。
現実からの逃避だった。



あの帰り道、夕日が傾いている中で、彼女が笑っていた。
僕の腕は丁度振り切られた姿勢で止まっていた。
彼女の首には傷が入っていて、顔は青白いまま。
なのに何故か傷口だけは妙に生々しくて、傷口から赤色の肉と、ピンクがかった綺麗な骨が見えた。
僕はなんだか可笑しくなって笑った。
彼女も笑った。
「ははは」
どちらとも無く笑った。
笑った表紙に、切れ込みの入っていた彼女の首がぼとりと落ちた。
それを見て僕も首だけの彼女もいっそう笑い声を大きくした。
なんだかよく分からないけれど妙に楽しかった。
この時間が永遠に続けばいいな、と思った。
「続くよ」
首の無い彼女が言った。
「これからも続ければいいと思うよ」
首だけの彼女が言った。
その顔には、僕が”いいな”と思っていたあの笑顔。
僕は嬉しくなった。
握った僕の手には何時の間にかメスが握られていた。
血は、ついていない。
早く染めなきゃ。
そう思った。





そこで目が覚めた。
夢の内容を思い出して吐き気を感じる。
吐き気に逆らわずにトイレに駆け込んでげぇげぇと胃の中のものを吐き出す。
気持ち悪い。
なんて夢を見るのだろうか、僕は。
夢から昨日の出来事を思い出した僕は、さらに吐き気が酷くなってげぇげぇと吐いた。
口からだけでなく、鼻からも胃液が出てくる。
しばらくして落ち着くと、胃液と胃の内容物にまみれたトイレを流した。
幸い、父はもう出勤しているようで、家にいる気配はない。

「・・・うう・・・・・・ゔう・・・。」

僕はそのままトイレの床に手を着いて涙を流した。
その時にきっと、罪悪感も後悔も人としてのモラルも背徳感も、全て流しつくしてしまったのだろう。




ホームルームが終わって一限目。
僕の嫌いな現国。
早く彼女がどうなったのかを確かめたい僕ははやる気持ちを抑えるのに必死だった。
そして、表面上なんでもないかのように振舞うのにも。
頬杖を突いて、外の景色を眺めている振りをして、頭の中で色々な事を考えた。
これからどうするのか。
警察が事情を聞きに繰るのではないか。
どうやって彼女がどうなったのかを調べるのか。
しかし眠い。
昨日はずっと夢を見ていた。
浅い眠りだったのだろう。
いっそのこと、このまま寝てしまおうか。
だが、何を考えても、夢の中で見た彼女の笑顔が浮かび、思考が止まる。
あの夢の中で、メスには血は付着していなかった。
染め直さなければならない。
染め直さなければ―――


「内藤。授業聞いてるか?」

赤城先生に怒られた。


「すいませんお、先生。」
「内藤、授業つまんないか。」
「はい。」
「先生、正直なやつは好きだ。」
「そうですかお。成績、よろしくお願いしますお。」
「でも先生、先生の授業を聞かない奴は嫌いだ。」

丸めた教科書でぺしり、と頭を叩かれた。
痛かった。
しかし、ゆとり世代でもあるまいに、僕は頭をはたかれたぐらいで「体罰だ」等と騒ぎ立てたりはしない。
いかにも神妙そうに反省している態度をとっておく。
顔をうつむける僕に、さらに赤城先生の声がかかった。

「反省してうつむいてるフリをして寝ようとするんじゃない。」

見抜かれた。
先生の、丸めた教科書を握った手が再び振り下ろされた。
先ほどのよりもさらに痛かった。


昼休みになった。
僕の学校は私立で、学食があるが、弁当を家から持参してくる生徒の方が多い。

「内藤、学食行かないか?。」
「今金無いからパスだお。」
「ああ、学食で思い出した。なんか最近俺のプレステ2、ゲーム読み込まないんだけど。」
「学食でどこからプレステ連想したんだしwwww」
「何?内藤なんかあったん?」
「デスクリムゾンやりたくてハードごと買ったんだお。」
「なあ、お前等いっぺんレンジ聞いてみ、『花』だけはガチだから。」
「デス様wwwwwwww」
「古いしwwwwwしかも糞ゲーだしwwwww」
「なあ、聞いてみろって!!」
「うわ、何おまえCDプレイヤー持ってきてんの?ww昨日のネタまだ引きずってんのかよwww」
「しかもCDwwwwMDかデジタルオーディオプレイヤー買ったらどうだい?www」
「ネタじゃねーよ!!!ガチだってば!!!!!」
「なあ、だから最近俺のプレステ2、ゲーム読み込まないんだけど?無視すんなよ、マジ死ねし。」
「しらねーよ。しつけーし。お前の初期生産の古い奴だろ、買い換えろよ。」


「悪いけど、ちょっと用事があるから行ってくるお」

僕はそう言って集団から抜け出し、屋上へと行く。
この学校の屋上は、過去に飛び降り自殺した生徒が居たらしく、立ち入り禁止になっている。
僕は屋上前のドアにつけられたチェーンと鍵を外す。
鍵は三桁のダイヤル式のものなので、簡単に外せる。
前に、1000通りある、O〜9までの数字三列を、ショボが一つ一つ試していた。
おそらく暇だったのだろう。
番号は427(死にな)。
多分、この番号を設定した時に、設定した奴は嫌な事でもあってイライラしていたんだろう。
まるで、そいつの心の中にたまった鬱憤が伝わってくるような番号だった。

屋上に入ると、僕はなんともなしに校庭を眺めながら携帯を手に取る。
少し躊躇いつつも、勇気を出して彼女の携帯に電話をかける。
なかなか出ない。
あとワンコール待っても出なければ、今日はもう電話するのはやめよう。
そう思ったとき、丁度相手が電話に出た。

「どなたでしょうか?申し訳ありませんが、娘は昨日・・・」

彼女の母親だった。
涙声だった。
それを聞いて、なんだか僕まで泣きたい気持ちになった。



僕は素直に彼女の母親に、彼女との関係を告げた。
すると、相手は納得がいったように息をついて言った。

「貴方が内藤さんでしたか。娘が何時も楽しそうに貴方のことを話していました。」

彼女の家庭では家族同士の対話がしっかりと成立しているらしい。
今時、めずらしく円満な家庭だ。
心の奥底で、なにかがもぞもぞと動いた。
それは嫉妬だった。
僕の持っていないものを持つ者への、ただの無いものねだりだった。

それから、彼女の母親はしばらく僕に彼女の事を語って聞かせた。
正直、どうでもいいことや知っている事ばかりだったが、何故だか僕は電話を切る気に離れなかった。
彼女の母親の涙声が僕を引き止めたのかもしれない。

「すみませんでしたお。」

電話の最後に、僕が小さく言った。


相手の怪訝そうな気配が携帯ごしに伝わってくる。
だが僕はそれを無視して、相手が何か言う前に携帯の電源を切った。
申し訳ない気持ちで一杯だった。
よくテレビで出てくる加害者のコメント
「今は反省している。遺族の方々には申し訳ない気持ちで一杯だ。」
というのが、理解できた気がした。








第一話・完


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