ブーンがシリアルキラーになったようです。 第二話「跼天蹟地」
人間?うん、それは俺にとってはなんでもなかった。ただの白紙だった。
―――”360人殺し”ヘンリー・リー・ルーカス
逮捕後、彼を質問した心理学者に向かって。
今日も彼女を殺す夢を見た。
僕は毎晩、彼女を殺す夢を見続けている。
しかし、目が覚めると、僕の心はとても穏やかだった。
決してその夢は悪夢などでは無いからだ。
夢を見るようになってから、僕は疲れがなかなか抜けず、顔色も悪くなっていった。
夢が原因ではない。
夢は恐くない。
あの夢を見ても、なおも何も罪悪感を感じず、恐怖を感じない自分自身が恐かった。
あれからというもの、僕は衝動的に動こうとする自分の体を抑えるのに必死だった。
授業中、前の席のクラスメートのうなじをみていると唐突に切り裂きたくなる。
人気の無い場所で誰かと二人きりになると、どうやってそいつを殺すかを考えている自分が居る。
そして一瞬後には僕はそんな自分に恐怖するのだった。
彼女を殺してから四日目、警察が来た。
くたびれた、いかにも安物ですといった感じのコートを来た、柔和そうな顔立ちの男だ。
懐から手帳を見せて、「VIP署の者です」と素っ気無く言うと、僕に質問をし始めた。
僕は相手のそんな態度に、刑事者ドラマみたいだな、と思いつつも、冷静に言葉を返していく。
彼女が殺された日に僕が彼女とあっていたことは素直に告げた。
その時に入った喫茶店も、時間帯も。
ただ、喫茶店を出た後は彼女とは別れたと、嘘をついた。
これでいい。
嘘の中に真実を混ぜれば混ぜるほど、嘘の真実味は増していく。
僕に質問しに来た警察も「一応、事情だけは聞いておくか」程度にしか僕を疑っていないのを、態
度からありありと見て取れた。
おそらく、はっきりと僕の顔に浮かんでいる哀しみのせいだろう。
それはただ、彼女を殺してしまっても罪悪感を感じない、おかしくなってしまった自分への哀しみ
だったのだが、警察は気づかない。
周囲からは僕は「恋人を失って絶望のふちにいる男」と映るらしい。
帰り際に、僕を励ますような言葉までかけて言った。
本当に刑事ドラマみたいだった。
学校でも、周囲の対応は似たようなものだった。
クラスメート達は僕に対して気遣うような態度を見せた。
ツンを除いては。
「内藤、ため息ばっかりついてるの見ると、本当にウザいんだけど。」
「・・・・・・・・・ごめんだお。」
「辛気臭いのよ。教室中の空気が重くなるわ。」
流石にこのツンの物言いには、周囲のクラスメート達もぎょっとして、止めに入る。
「内藤、あんまし気にすんなよ。」
仲のいい数人が僕を励ましてくれた。
僕は彼等に感謝した。他人の心遣いが、良心が嬉しかった。
しかし、そんな時にも僕の手は、ポケットに入れられたメスに伸びようとしていた。
それに気づいて、死にたくなった。
その日の下校中、僕は自転車に乗りながらも苦悩していた。
一体何故僕はこんな人間になってしまったのか。
人を殺したというのに、何の後悔も罪悪感も感じていない人間になってしまったのか。
どこで歯車が狂ってしまったのだろう・・・。
考える。
だが、答えは出ない。
自転車を漕ぐ足に力が入る。
中学までは僕は陸上部に入っていた。
県大会でも準優勝までいっていたが、高校に入ってからはぴったりとやめた。
理由は単純。父親が「何時まえでも陸上なんてやってないで、勉強に集中したらどうだ。」と言っ
たからだ。
鶴の一声、僕は陸上をやめた。
しかし、足は走りたがっている。
そのせいか、自転車を漕ぐ足にはさらに力が入る。
――何か、集中して打ち込める物が出来れば・・・。
唐突にそう思った。
僕の体が勝手に人を殺そうと動くのは、また走りたい、体を動かしたい、という無意識下の欲求
から来るのではないだろうか。
無意識のうちに、日常生活のイライラを、フラストレーションを発散したかったのではないか。
―――また陸上をはじめれば・・・。
そう思うと、希望がわいてきた。
――――もう人を殺すことなんて、絶対に考えない。
そう決心した。
既に人を殺した事への罪悪感は、相変わらず感じてはいなかったが、僕は自分の思いついた名
案に酔っていて気づかなかった。
そして気づいたときには―――
―――人を刺していた。
(;^ω^)「なんだよこの展開。」
嘆いてみても現実は変わらない。
自転車で、前に居たオッサンを追い抜くとき、唐突に僕は周囲に人がいないことに気がついた。
気づいたときには刺した後だった。
手が自然に動いていた。
自転車の加速も加わり、メスは面白いほど簡単にオッサンの背中に刺さった。
メスを無理矢理引き抜くと、オッサンはその場に倒れこんだ。
僕は顔を蒼くしながら自転車で駆け抜けた。
幸い、誰にも顔は見られなかったはずだ。
心臓が高く鳴り続けた。
恐怖や罪悪感に、ではない。
興奮に、だ。
数分後には家に着いた。
僕の家は二階建ての5LDK。
「大きな家がいい」という、今は居ない母の要望で建てられた家だ。
父は夜中に帰ってきて朝早くでかけていくので、殆どの家に居る時間を、僕は一人で過ごす。
父と母が離婚するまでは、この家は広くても、冷たくは無かった。
何時でも帰ってくれば底に母が居た。
その”何時でも”が無くなって、初めてこの家の広さに気づいた。
僕は黙って鍵穴に鍵を差し込む。
カチャリ、という音。家の中に僕を待つものは居ない。
そんなことは百も承知だというのに、僕はどうしてもカギを差し込む度に期待せずにはいられない
。
僕よりも前に、誰か居てカギを開けていてくれるのではないか、明るい電気と共に誰かが迎えて
くれるのではないか。
しかし、僕の期待を裏切るように、鍵からはカチャリ、という音が響く。
もちろん家の中に電気などついているわけがない。
何時からだろう。誰も居ない家を開けるのが、鍵を開けるときの音が苦痛になったのは。
よく思い出せなかった。
「ただいまだお。」
やはり、返事は無い。
父は今日も遅くなるようだ。
僕の父はとある大学の総合病院の外科部長だった。
幼い頃、仕事を終えた父を病院まで迎えに行ったとき、父に執刀されたという患者の家族が、父
に泣きながら礼をしているのを見て、子供ながらに父の偉大さというのを実感した。
自慢の父であったし、僕も将来はそうなりたいと思える目標だった。
父は仕事一筋の人間で、そのために母とは離婚した。
母が家から出て行って、その原因が父にあることは分かっていたが、それでも父は僕にとって、
誇るべき人だった。
そんな父だからこそ、僕も父の期待に答え、将来は医者になるつもりで勉強をする事ができた。
大好きだった陸上だって、父が言ったからこそ止めたのだ。
「・・・・・・・・・・・・。」
自室のベッドに座ろうとして、何かが僕の太腿にチクリと刺さった。
慌てて立ち上がると、帰り道にオッサンを刺した時のメスが、パーカーのポケットに入ったままだ
った。
確認してみれば、メスの先端が刺さったのだろう、僕の右の太腿に小さな血の玉がぷっくりと浮
かんでいた。
僕はティッシュでその血を拭うと、軽く消毒した。
その後、パーカーを脱いで、ベッドに寝転ぶ。
壁を見れば、本棚には医学書がずらりと並んでいる。
オッサンの背中を刺したときの感触を思い出すように、拳を握った。
睡魔は唐突にやってきた。
僕のメスを握る手が翻った。
今日は刺殺。
メスが彼女の右目を刺し貫き、先端が脳まで到達する。
メスを墓標のように右の眼下に刺した彼女は、ゆっくりと仰向けに倒れると、しばらくビクビクと動
くも、やがて絶命する。
彼女が死ぬまではお互いに一言も発しない。
それが僕等の間の暗黙のルール。
「わざわざ顔を狙わないでよ、先輩。」
彼女が唐突に起き上がって言った。
僕の夢は何時も彼女を殺して始まる。
「君は・・・もう死んでるお・・・。」
僕は呟く。
「うん、先輩が殺しましたから。」
「・・・・・・・・・・・・。」
僕は押し黙る。
「また、殺したんですね。」
彼女が言った。
あのオッサンの事だろう。
「まだ、死んだって決まったわけじゃないお。」
「嘘。先輩は死んだって思ってる。」
「なんでそんな事君に―――」
「―――わかる。だって私もこの夢も先輩の頭が作ったものだから。」
「・・・・・・・・・・・・。」
何もいえなく成る僕を見て、彼女は笑っていた。
そこで夢が終わった。
次の日、新聞を見た。
昨日、僕の起こした事件が新聞の端に少しだけ載っていた。
今、この街では死体からかならず心臓を持ち去るという連続殺人や、集団リンチ殺人、バラバラ
殺人等のもっと残酷な事件が起こっているので当然だ。
記事によると、刺された47歳の男は重症だが、生きているらしい。
それを読んで、僕の口から自然に舌打ちが響いた。
僕はそのことに愕然とする。
あの時刺した相手が死んでいなかった。
これは喜ぶべき事のはずだった。
だが、僕はちっとも嬉しくなんか無かった。
殺し損ねた事に対する悔いのようなものばかりが、胸の中で暴れまわっていた。
僕は壊れてしまったんだな・・・、
漠然とそう思った。
翌日、僕は廊下に立たされた。
両手には水の入ったバケツ。
(;^ω^)「何時の時代の悪ガキだよ、僕は。」
理由は単純明快。
僕が宿題を忘れたからだ。
まさか、「こっちは人ひとり刺してんだ!!宿題やる心理的余裕なんてねーよ!!」なんて言える
はずも無く、
僕は大人しく廊下に立たされていた。
十分ほどすると、腕が痺れてきたので、ゆっくりとバケツを床に置いた。
授業の終わりに、床にバケツの底の形についた水の跡を発見されて、僕はさらに説教を受けた。
昼休みになった。
僕は屋上に向かう階段を上っていた。
そして屋上の扉に取り付けられた鍵を開ける。4,2,7。憂鬱な番号を打ち込む。
普段は学校に来る途中にあるコンビニで弁当を買うのだが、今日は買い忘れた。
腹は空くが、今から学食に行って馬鹿みたいに長い列に並ぶ気は起きない。
僕はさっさと屋上へと入って、フェンス越しに校庭を眺める。
校庭にはまばらながら人影があった。
高い場所からそれを見下ろしても、僕は「人がゴミのようだ」等と言う感想とは無縁だ。
やはり高いところから見下ろしても人は人だった。
その中の一人一人に僕が悩んでいるような人生があり、同じ密度の時間をすごして来たのだろ
う。
それを僕は殺してしまった。
罪の意識は無い。そしてそれが僕が恐ろしいと思っている事だった。
僕は人を殺す事に罪の意識を感じていない。
つまり、これからも人を殺す事にためらいが無いということ。
罪を感じないからこそ躊躇いも無く、
躊躇いが無いからこそ思考する事も無く、
思考を放棄したからこそ殺人を止める理由は見つからない。
そうなってしまう前に、理由を見つけられなくなる前に、
いや、「人を殺さない事に理由が要る」等と思ってしまっている今だからこそ、
僕はなんとかして自分を止めなければいけなかった。
警察に行くべきか、それとも今ここで、屋上から飛び降りるか。
だが、屋上のフェンスは過去に飛び降りたという生徒のせいで随分高くなっている。
名門学校で生徒が自殺したという事で、当時は結構あちこちのテレビや雑誌で紹介されていた。
あれだけ世間を騒がせてもまだ飽き足らず、こうして今僕の邪魔までするとは、ここから飛び降り
やがった自殺志願の臆病野郎はよっぽど他人に迷惑をかけるのが好きらしい。
その時、屋上のドアが開いた。
僕は思わず屋上の入り口に目を向けて、そこで入ってきたツンと目を合わせた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
嫌な沈黙が流れた。
「最悪。」
やがて、ツンが口を開いた。
ツンは普段はクラスの女子たちの中心になって教室で弁当を食べているのだが、たまに一人で
昼休みにどこかへ行ってしまう時がある。
おそらく、今日がその時なのだろう。
「屋上が珍しく開いてたから入ってみたら、あんたが居るなんて。」
ツンが相変わらずのキツイ口調で言った。
僕は答えない。
やがて視線を校庭の下へと移す。
「何無視してんのよ!自殺でもする気?なら早くしてよね。私はあんたの顔なんて一秒だって見
ていたく無いんだから。」
ツンが声を荒げた。
だが僕は静かに校庭を眺め続けるだけだ。
ツンの相手をしているだけの心の余裕は無い。
僕の屋上のフェンスを掴む手に力が入る。
「ちょっと!!内藤!!!あんたもしかして本気なの!!?」
僕のただならぬ表情に気づいて、ツンが先ほどとは別の方向へ声を荒立てた。
僕にずかずかと近づいてくると、僕を屋上のフェンスから引き剥がした。
僕は特に抵抗するでもなく、大人しくツンの力に従う。
「彼女が死んだくらいでウジウジして!!ホントあんた見てるとイライラするわ!!!」
「違うお。」
「え?」
「死んだんじゃないお。僕が殺したんだお。」
いつの間にか、僕はこれまであったことを彼女に話し始めていた。
彼女を殺した事。
罪悪感を感じないこと。
そんな自分が怖い事。
自転車で追い越す時にオッサンの背中を刺した事。
心の中にためていた事は、堰を切ったかのように僕の口から自然と溢れてきた。
それは、誰かに話すことで自分を断罪して欲しかったのかもしれないし、
慰めて欲しかったのかもしれない。
ただ、自分の中にためていた事を外に漏らしてみたかっただけなのかもしれない。
全てを話し終えて、僕はツンを見上げた。
普段のツンの僕に対する態度を考えれば、彼女が僕を罵倒するか、気味悪がるのは確実だった
。
だが、顔を上げた僕を待っていたのは、僕の想像していたものとは全く違った。
僕の前に広がっていたもの、それはツンの笑顔だった。
―――なんだよ。
僕の前にツンの満面の、だがどこか静かで湖の表面を思わせるような穏やかさを内包した笑顔
が広がる。
それは普段のツンからはとても想像できない様な、とても優しげで、全てを包み込んで許容する
かのうような、そんな微笑みだった。
―――なんだよその顔は。
――――気味悪がれよ!罵れよ!!!
―――――「この人殺し」って!!!罵れよ!!!
「そんな事で思いつめてたの?」
ツンはまるで家族に語りかけるかのように、親しげにそう言った。
僕の頭まで、彼女を殺した事を「そんな事」だと思い始める。
―――やめろよ。
――――僕は人殺しだ。どうしようもない犯罪者だ。
「本当に馬鹿ね、人殺しなんて・・・」
そこで、チャイムが昼休みの終わりを告げた。
どうやら僕が彼女に懺悔もどきの逃避をしているうちに、随分時間がたってしまったらしい。
ツンが台詞の途中で言葉を止めると、「午後の授業に行かなきゃ」と行って屋上から出て行こうと
する。
―――だから、だから・・・
最後に、屋上のドアノブに手をかけたツンが振り向いた。
その顔には、先ほどと同じ微笑。
ニコリ、という擬音が聞こえてきそうなほど、見事な微笑だった。
僕に対して、親しげに。本当に、親しげに。
――――だから、そんな風に笑いかけないでくれ・・・・・
やがて、ツンは屋上から出て行った。
僕一人だけが屋上に取り残された。
びゅう、と風が吹いた。
寒かった。酷く、寒かった。
そしてそれは、おそらく風のせいだけではなかったのだろう。
僕は静かに身震いをした。
第二話・完
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