―――なんだこれは?花火?だが、今はともかくこの場から離れなければ―――

焦りながらも、やはり頭のどこかでは「ああ、そうか、さっきの白いかたまりは花火か何かから取り出した火薬を髪か何かで包んだもので、」とかなんとか考えている自分が居る。

―――とにかく、明らかにこの攻撃の目的は僕の視界を塞ぐためのもので―――

そこまで考えて、その場から飛び退ろうとした時、閃光のせいで曖昧になった視界のなかでラスカが、上げたいた腕を思い切り下に振り下ろすのが見えた。
そして、僕の足に走る鋭い痛み。
その瞬間に僕が見たものをなんと表現すれば良いのか。
それはまさしく銀の雨。僕に向けて頭上から降り注ぐ刃の雨だった。
一度上に向けて高く上げた先端の刃を、鎖を思い切り下に引くことで垂直に振り下ろしたのだ。

「が・・・・・・ッ!!!」

呻きながらも、溜まらずにその場を転がる。
転がった僕の耳の横を、アスファルトにカッターの刃がぶつかる金属質な音が響いたため、ラスカが追撃をかけてきていたことがわかった。
僕は最早とまることも許されず、出鱈目に転がってラスカの鎖の射程内から逃げだした。
方膝を立てて起き上がろうとする僕の目に、あちこちから血を流す自分の両足が見えた。


ズタズタ、とまでは行かないまでも、それに近い状態になっている。
力を入れるたびに痛みが脳髄を駆け巡る。

「あーあ、痛そう。でもまあ感謝するよ。オニィサンの貸してくれたお金で、季節外れで安売りしてた花火をたくさん買えたんだから。」

ああ、なんてこった。
僕が面倒くさがって、軽い親切心のつもりで貸してやった金がこんな形で自分に返ってくるなんて。
それにしてもこのガキ、金を貸してやった恩をこんな仇で返すとは。

「で、何か言い残す事は?」
「貸した金返せお。」

ラスカは意地の悪そうな笑みで、いたぶるように僕に聞いてきたが、間髪居れずに返した僕の返答を聞いて笑い出す。
ひとしきり笑うと、再び口を開いた。

「ああ、やっぱりあんたは面白いよ、オニィサン。お礼に一思いに殺してあげたいけど、カッターじゃ深くは刺せないんだよね。
 ”私の得物が悪いのだよ。恨むのなら私を相手にした自分の不運を呪いたまえ”って―――ねッ!!!!。」

言い終わると共に僕の逃げた方向に踏み込み、鎖束を振るう。
力を入れて鎖を振るったためか、語尾にも妙に力がこもっていた。
僕は痛みを無視して何とか立とうとするが、間に合わない。
――――やられる。


だがその時、痛みと敗北、そしてそれに続く死を覚悟した僕の目にラスカへと突撃していく人影が映った。
ツンだ。
僕は彼女の姿を確認して驚いたが、考えてみれば、ここはツンとの待ち合わせ場所なのだから、ツンが来るのは可笑しい事ではない。
突如この高架下の殲場に現れたツンは、それこそ、本物の弾丸のようなスピードでラスカに接近。
突進の勢いを載せて構えたナイフを刺突の形で突き出す。
キン、という金属同士がぶつかり合う耳障りな音。
ラスカが咄嗟に右手のカッターナイフの側面を掲げて防いだのだった。
成るほど、右手にカッターナイフを握ったままにしていたのは、こういった不測の事態に備えての事だったのか。
僕は一人で納得しつつも、二人の動きから目が逸らせない。
ツンの突き出したナイフは、薄いカッターナイフをあっという間にへし折り、さらにラスカへと肉薄する。
こうなれば、ラスカは僕を殺すために握っていた鎖束の操作を放棄せざるを得ない。
僕へ向けて伸ばされていた鎖は、空中でその制御を失い、ツンから逃れるラスカの後へと続いて僕から離れていった。
いまや完全に、戦いの場は僕から離れていってしまった。
そのことに悔しさと虚無感を覚えながらも、ツンを援護する機会を探して戦いを眺める。
我知らず、僕は歯を食いしばっていた。






ラスカは目の前を通り過ぎていく、自分の肉を裂いて動脈まで届くだけの力を持ったナイフを眺める。
彼女に追いすがり、しつこくナイフを振るってきているのはツンという名の少女だろう。
確か、内藤ホライゾンと一緒に行動して”狩り”をしていた女だ。
2ちゃんねらーになってどれくらいが立つのかはわからないが、少なくとも内藤よりも長いだろう。
ツンの動きは先程相手にしていた内藤よりも鋭かった。
だがしかし、それでも自分を殺すには足らない存在だと思う。

「・・・・・・・・・・・・。」

目の前のツンを相手にしながらも、ラスカは自分の過去に思いを馳せる。
彼女が2ちゃんねらーになったのは、もう一年以上も昔だ。
確か、二年前のクリスマスよりも少し前だから、だいたい一年と二ヶ月が経っていることになる。
その間、ラスカは全くといって良いほど人を殺していなかった。


幼い自分が大人を殺すというのは不可能な事のように思えたし、何より人を殺すという事が想像できなかった。
昔と違って、医療技術が発達して圧倒的に”死”というものに出会う機会が少なくなった現代、
それも死に出会ったとしてもそれを理解できるほどの人生経験のない少女に、「誰かを殺す」というのは想像できる範疇を超えすぎていた。
では何故自分があんな大量殺人を、三つの学校に爆弾を仕掛けて百人近い死傷者を出す等という事をしたのかという事を考えてみると、
何時も思い出すのは一つの映画の事だった。
その映画はR15指定となっていたため、彼女は見ることが出来なかったが、インターネットでの他者の感想や評論を見てあらすじを知った。
はじめはただの好奇心だった。
世間でも「これは青少年に悪影響を及ぼす」等といって騒いでいたし、何より、禁止されればされるほど禁を破りたくなるのが人間の性というものだ。
色々なHPを見ていくうちに、彼女の「その映画を見たい」という欲求は彼女の中で膨れ上がり続けた。
しかし、厳格な彼女の両親が彼女のその願いを叶える事は無かった。
彼女は自分のHPでその映画の二次創作の小説を書いたりして、自らの欲求を多少なりとも満足させ、そして諦めた。
彼女の内で膨れ上がった欲求の炎は、時と共に沈静化していった。
それから一年程が経って、彼女がその欲求を殆ど忘れかけた頃、彼女の願いは唐突にかなえられた。
その映画が地上波の、映画ばかりを流している番組で放映されたのだった。
彼女の中で忘れかけていた欲求は再び蘇った。
彼女ははやる気持ちを抑えつつも、その映画に興味を持っている事などおくびにも出さず、両親の目を欺いてその映画を見た。
そして"飲み込まれた"。


彼女の目の前、ブラウン管の中で繰り広げられる圧倒的な殺戮劇。
飛び散る血。人の悲鳴、怒号、様々な感情の渦。
映画の映像は、フィクションでありながらもとてつもないリアリティーを持って彼女の中に流れ込んできた。
その映画の主人公達は、映画の中で多くの死を目の当たりにして、殺して生き延びるか、それとも誰も殺さずに殺されるかの選択を迫られる。
そこで、ふと考えた。果たして、自分は大量の人間の死を目の当たりにしたとき、どうするのか。
この映画のような事は現実に起こりえるのか。
自分はこの映画を見て感じたような事を、現実でも感じられるのか。
そう考えて以来、彼女は”死”に対する狂信者となった。
死が彼女の主人だった。
それが訪れた瞬間、どんな人間の人生すらも終わらせてしまう”死”。
どれだけ偉い人間にも、どんなに強い人間にも、金持ちにも貧乏人にも老人にも子供にも平等に訪れる”死”。
その絶対性のなんという事か!
それから彼女は人を殺すようになった。
だが、どれだけ人を殺しても、あの時映画を見て感じたような感覚は感じなかった。



―――まだだ、まだ足りない。
――――死が足りないんだ。もっと、もっと殺さなくては。
―――――駄目だ。こんな程度の”死”では、あの映画のような感動は味わえない。

そして彼女は、爆弾を仕掛ける事を思いついた。
しかけるならば、人の多いところがいい。
それでいて、自分のような子供が入っていっても違和感のない場所・・・・・・。
学校だ。
決心した後の彼女の行動は迅速だった。
爆弾を作るのは簡単ではなかったが、幸いにも彼女はその作り方を紹介しているHPを知っていた。
映画の二次創作小説を書いていた間、その参考として様々な殺人方の知識を漁っていたのだが、
それがここに着て役に立った。
これはもう、”死”が彼女に「もっと殺せ」と命令しているとしか思えなかった。
そして一ヵ月後、彼女は爆弾を完成させ、計画を実行に移した。
学校事態になにか特別な感情はなかったが、事件後しばらくはマスコミ等でこの界隈が溢れる事になるだろう。
彼女は少しだけ「可哀想だな」と思った。



結論から言えば、彼女の計画は失敗した。
とは行っても、爆弾が不発だったわけでもなければ、人を殺せなかったわけではない。
結果として爆弾は爆発したし、人は27人もの児童が死亡、教職員も含めて78人が重軽傷を負った。
大成功だったといえる。
しかし、彼女の計画は失敗した。
彼女はその学校が爆発する様を眺めていたし、仕掛けた三つの学校のうちの一つは彼女の学校だったため、
死傷者がでている現場を直に見ることも出来た。
それでも彼女は感じなかった。
あの映画を見たときに感じたような、飲み込まれるような感覚を、だ。
血と火薬の臭いが蔓延する教室の中、教室の中から響く泣き声や叫び声を冷めた気持ちで聞きながら、彼女は理解した。
彼女がどれだけ人を殺しても、どれだけのメガ・デス(百万単位の殺戮)を起こそうが、彼女があの感覚を感じる事は無い。
彼女があの感覚を感じたあれは、映画の中の話しだからだ。
結局、フィクションの死はどこまでいってもフィクションでしかなかった。
彼女の望むような光景は、彼女の望むような映像は、現実の何処にも転がっていなかった。

そして彼女は諦めた。






ラスカが追憶に向けていた意識を再び現実に向けると、彼女の目の前すれすれを横薙ぎに振るわれたナイフが通り過ぎていった。

―――っと、今のは危なかった。

過去に思いを馳せながらも、ラスカの右手のカッターはツンのナイフを的確にさばき、受け流していく。
牽制も含めて、ツンに向けてカッターを振るおうとしたが、右手を持ち上げてみると、カッターナイフの刃は半ばからへし折れていた。
これでもう五回目。
元々、カッターナイフの刃は折れやすいように作られている。
いくつも切れ目のような物が入っているため、少し強い力が加われば簡単に折れてしまう。
それでもラスカは武器を変えようとは思わない。
ラスカにとって、最も身近に手に入る武器はカッターだったためか、妙にこの武器に思いいれをもってしまっている。
彼女は刃の折れてしまったカッターをツン目掛けて投げ付けると、新たなカッターを取り出し、刃を出す。
対して、ツンは冷静に飛んできたカッターをナイフで弾き、さらに距離をつめようとしてくる。

―――へーぇ

ツンは強かった。
あまり2ちゃんねらーに会った経験は無いが、少なくともツンが弱くは無いことは分かる。
彼女としては距離をとって鎖束を使いたいのだが、的確に距離を詰めて攻撃を加えてくるツンはそれを許してはくれない。
だが、手はいくらでもある。
例えば、先程からツンがしきりにラスカの意識が向かないように気にかけている――――



僕は奥歯を強く噛みながら、二人の戦いを眺めていた。
ラスカは距離をとって鎖の有効射程内にツンを収めようとしている。
が、ツンはラスカに距離をとるいとまを与えず追いすがる。
こうして遠くから見てみると改めて思うが、ツンの動き方は見事だ。
ラスカは近接戦闘が得意ではないという事を考慮にいれても、そのラスカを圧倒している。
やはり、ツンの動きは僕などよりも余程洗練されている。
眺めている限りでは、もうツンの勝利は揺るがないだろう。
この距離では自分にも被害があるため、先程のような火薬玉は使えないし、鎖束も片手を塞ぐだけのお荷物と貸している。
もう、ラスカにツンと距離をとるための有効策は無い。
しかし、ラスカが方向転換をしようとすると、唐突にラスカを追い詰めていたツンが、ラスカの前方に回りこんだ。
いささか、ツンにしては珍しい乱暴すぎる動きだ。
ラスカは方向転換すると見せかけて、その場から飛び退り、あっという間に距離をとってしまう。
悔しそうに歯軋りをするツンに、ラスカの鎖束、その先端に取り付けられたカッターの刃が迫る。
ツンはなんとかそれを避けるが、ラスカはツンに休むいとまを与えずに鎖束を振るう。
一瞬の内に形勢が逆転していた。




―――なんで・・・・・・・・・。

あの、ラスカが方向転換しようとした時、何故ツンはその先に乱暴に回り込むようなことをしたのか。
勝ちを急いだのだろうか?
いや、それならさらに距離を詰めていればツンの勝利は揺るがなかったはずだ。
では、何故か?

「――――僕のせいかお。」

思わず、呟いた。
あの時、ラスカが方向転換しようとした方向に居たのは、僕だ。
片足を立てて、庇うように抱えていた僕だ。
あんなガキに足をやられて、動けずに這いつくばって、ツンに守られている情けない糞野郎だ。
なんという事だろうか。
ツンは僕を庇うために、危機に陥っている。
僕はツンの足を引っ張っている。
その事実が僕の握るナイフよりも鋭く僕に突き刺さった。
なんて―――
なんて体たらく。
なんて情けないんだろうか、僕は。
僕が自分の情けなさに傷ついてうじうじと後悔している間にもツンは追い詰められていく。
的確にラスカの振るう鎖束の先端を見極めてかわしていくが、防戦一方になっているのは否めない。
上手く距離をつかむ事が出来ず、それでも退けば僕が狙われることは明白なので、退く事は出来ない。
そしてそれを差し引いても、ラスカは強かった。
ツンは不意をうって接近できたが、距離をとって、同じ条件で戦えば、ラスカはツンのさらに上を行っていた。
おそらく、僕とツンの二人がかりでも勝てるかどうか分からないだろう。




―――これでいいのだろうか?

僕は僕に向けて問いかける。

―――これでいいのか?
――――ツンは僕を守るために必死になってるのに
―――――内藤ホライゾン、おまえはこうやって蛆虫みたいに地面を転がってるだけか?

「・・・・・・・・・そんなのでいいわけ、無いじゃないかお。」

僕は激痛の走る足を無理矢理動かして立ち上がる。
所詮カッターナイフの刃だ、肉を裂いただけで、動脈や神経が傷ついたわけではない。
痛みは感じるが、多少動かす程度なら大丈夫だ。
僕は懐からメスを取り出すと、ツンとの戦いに意識を集中しているラスカ目掛けて投擲した。
ラスカは僕はもう立てない思っていたのだろう。
座り込んだ状態から、腰を使わずにメスを投げたところで大した危険にはならない。
そうタカをくくっていたのだろう。
だが、それは僕をナメすぎというものだ。
ラスカが急いで鎖束を僕の投げたメスに向ける。
メスは先程僕が投げたときと同じように、鎖束の鎖に命中し、鎖束の操作を妨害する。
そこにツンがつけいり、間合いを詰めようとする。
しかし、そこでラスカは僕にやったように、ツンにも白いこぶし大の、火薬を包んである紙を投げた。
数瞬の後、火薬が爆発。奇妙な色を持った火花と化す。
ツンが慌てて目を閉じてその場から飛び退ろうとするのを確認して、僕は叫ぶ。



「ツン、”動くな”お」。

僕の意図は伝わらなかったかもしれない。
僕が何をするつもりかも、おそらく予想できなかっただろう。
それでもツンは止まった。
僕が何の意味も無く、あんな事を口にするとは思えなかったのだろう。
予想通り、ツンにラスカの振るった鎖束の先端につけられたカッターの刃が迫る。
が、その刃とツンとの間に滑り込むものがあった。

僕だ。

「―――――――ッ!!!」
「―――――――ッ!!!」

二人の息を呑む声が聞こえる。
そりゃあ無いぜ、二人とも。
僕をただ震えて地面に這いつくばって、二人の戦いの成り行きを眺めているだけの情けない奴だとは思わないでくれ。
足に走る痛みを誤魔化すためにそんなことを考えながら、僕はツンに迫っていた刃を払いのけた。
足をやられて転げまわっているうちに、二人の戦いを眺めているうちに脱いだ、パーカーを振るって。
パーカーが刃に触れようかという瞬間、僕は手首のスナップを聞かせてパーカーを引っ張り戻す。
まだ伸びきっていなかったパーカーの先端が、急激な方向転換によって翻り、刃を弾き飛ばした。




「―――――ツンッ!!!!」

そう叫ぶだけで通じた。
僕が叫ぶと同時に、ツンは駆け出していた。
一瞬のうちに加速してトップスピードへと達したツンが僕の横を一陣の虞風となってすれ違っていく。
未だに僕の行動に呆然としたままのラスカの、一瞬の意識の停滞を縫ってツンが突進した。
そして僕は何かをやり遂げたような、満足した顔のまま、
ツンは殆ど無意識に、僕への信頼から体を動かされて、それでも驚いた顔のまま、
ラスカの小さな体のおそらく小さな心臓に、ツンのナイフが柄まで突き刺さった。












「・・・・・・・・・ああ・・・、これが・・・死ぬって事か。・・・でも、ここにもやっぱり、あの感覚は・・・・・・」

仰向けに倒れながら、自分の胸の中心にささったナイフを見てそう言った。
耳を澄まさなければ聞こえないような、今にも消え入りそうな声。
あれほどうるさく喚きたてていたラスカからは想像も出来ないような、弱弱しい声。
僕らはそのラスカの声を、僕らよりもはるかな高みに居た2ちゃんねらーの言葉を、
一字一句聞き逃すまいと静かに続きを待った。
だが、ラスカはそれっきりしゃべらなかった。
完全に、事切れていた。

「で、待ち合わせの場所にきたら内藤が教われてたんだけど、どういう事?」

ツンが、多少の安堵と重々しい疲労を滲ませた声色で尋ねてきた。
僕は以前にラスカと出会い、金を貸したり家に止めたりしたことは伏せて、今日のいきさつを話した。
ツンは納得すると、僕の投げたメスを拾って手渡すと、高架下から離れようとした。
なんとなしにツンの後姿を眺めていた僕は、自分の右手が、ナイフを握った右手が何時の間にかツンの首筋に伸びていたことに気がついた。

―――は?


ちょっと待て、ちょっと待ってくれ。
僕は一体何をしている。
慌てて手を引っ込め、ツンを凝視する僕の異変を察知したのか、ツンが怪訝そうに振り返る。

「なに?どうしたの?」
「・・・・・・・・・いや、なんでもないお。」

僕はやっとの事でそれだけ搾り出すように声を発すると、「疲れたし、痛いから今夜は家に帰って休む」とだけ告げてツンの傍らを通り過ぎた。
「足、痛そうだし送ってこうか?」と聞くツンに「普通、相手を送るのは男の役目で、女の子に送られるのは恥ずかしいお」と言うと、
ツンは「それもそうね」とだけ呟き、僕とは反対方向、ツンの家に向けて歩き始める。

「じゃあ、また明日。って、その怪我じゃ学校は無理か。じゃあね。」

そう言って振り向いて手を振ってくるツンに、僕は振り向かずに軽く手を上げる。
ツンと通り過ぎたあの一瞬、僕は動こうとする自分の手を押さえるのに必死だった。
もはや、僕がツンを殺したがっているのは明白だった。
僕はツンを殺してみたがっている。
この世界で最も大切なツンを、自分の手で殺したがっている。
もしかしたら、僕はツンを自分のテで殺したいから、あんなに必死に成ってツンとラスカの刃の間に割り込んだのではないだろうか?
そうとすら思えてきた。




「・・・・・・・・・・・・・・・。」

僕の足は未だに血を垂らしたままだったが、足の痛みは気にならなかった。
家に向けて歩き続ける僕に、一陣の風が吹き抜ける。
一月の終わりの風は、寒かった。
そしてその寒さの中、
見も心も凍りつくような寒気の中、
僕は決心をした。
僕はもう、ツンと共に”狩り”はできない。






  第十話・完


前のページへ] 戻る [次のページへ