ブーンがシリアルキラーになったようです。 12、因果応報2









「ううう・・・・・・・・・。」

待ち伏せを受けてから三日。
窓を閉め切り、完全な暗闇と化した部屋の中で、僕は引き篭もっていた。
時刻は午前一時。この三日間、僕は夜が来るたびに不安に慄いていた。
殆ど家から出ず、朝日が出て夜が白み始めた頃になって周囲を警戒しながら、ビクビク震えてコンビニで買出しを続ける毎日。
恐ろしかった。
鍵が開いていた間は高揚感のせいで感じていなかったが、未知の敵から待ち伏せを受けたという事実は、
家に帰って落ち着きかけた僕を徹底的に打ちのめした。
今、こうして部屋の隅でうずくまっている間にも連中がここにおしかけてくるのではないか、そんな恐怖にさいなまれていた。
だが、僕の心配とは裏腹に、連中は何時までたっても行動を起こそうとはしない。
そのことが一層僕の恐怖心に拍車をかけた。


「・・・・ううう・・・・うう・・・・・・。」

僕はただ部屋の隅で震え続ける。
学校を三日も無断欠席したため、担任の赤城先生が尋ねてきて、玄関のインターホンを鳴らしていたが、無視した。
もしかしたら、ドアを開けた瞬間に連中がどこからか襲い掛かってくるかもしれない。
そんな疑心暗鬼に囚われ続けていた。

「・・・・・・・・・・・・・・ッッッ!!!」

その時、周囲で何か異常があったときにすぐに音を聞けるようにと、静寂のみが支配していた僕の部屋に、ガガガガガ、という音が響いた。
机の上においておいた携帯が、メールの着信を知らせるために震えたのだ。
僕は周囲の音に耳を済ませながらも、右手に掴みっぱなしだったストライダーナイフを握りなおし、携帯を操作してメールを読む。
ストライダーナイフは、連中の待ち伏せにより奪われてしまったバタフライ・ナイフの代用品として買ったものだ。
馬鹿みたいに丈夫で堅くて、馬鹿みたいに高いナイフ。
刃渡り三十センチはある、迷彩柄の余分な装飾を一切省いた無骨な刃。握ると、ずしりとした重みが伝わってくる。


ちなみに、買ったストライダーナイフは折りたたみ式ではなく、あえて咄嗟に反応できるようにシースナイフにしてある。
連中が張っている可能性もあったので、金物屋には行かず、ネットの通信販売で買った。
父が僕のために積み立てておいてくれた預金や、保険金がたっぷり入っていたので、高かったが気にしない。

「・・・・・・・・・・・・ツン・・・・・・。」

メールの差出人はツンだった。
内容は、今夜一緒に”狩り"に出かけないかという誘いと、三日も学校を無断で休んで心配している、という事。
一緒にできるなら今から十五分以内に、何時だったかの高架下へ来て欲しい、と書かれている。
僕は無言でメールを削除して、そのまま寝転がる。
馬鹿馬鹿しかった。ただのメールの着信ごときにここまで脅えて、いったい僕は何をやっているのだろう。

一度、心臓が飛び出るほど驚いたからだろうか。今の自分を客観的に見て、馬鹿馬鹿しさと恥ずかしさのようなものが沸き、だんだんと冷静になってきた。
本当に、いったい僕は何をやっているのだろうか。
三日間も引きこもって。
連中はこれまで、わざわざ待ち伏せなどしなくても僕を襲えたはずだが、それをしていなかった。つまり、連中には待ち伏せではならない理由があるということ。
僕の家に乗り込むということに警戒もあるのだろうが、事を荒立てたくないのだろう。
連中は公務員だといっていた。だとしたら、周囲の一般人を巻き込みたくない、というのもあるのかもしれない。
よく考えたら、僕が何もせずにこの三日間、家の中にこもり続けているというのも連中からしてみれば不気味だろう。
僕が家の中で連中を迎え撃つための何らかの仕掛けを施していると考えるのが妥当だ。
そこまで考えて、僕はテレビの電源をつける。
家の周囲の音を聞き取る妨げになるだろうが、かまいやしなかった。
テレビの中では若手のお笑い芸人が司会の深夜番組が流れている。



「おもすれーwwwww」

散々鬱に浸っていた反動で躁がきたのだろうか。僕は声を出して笑った。
脅えて引きこもっていたのは三日間なのに、もう数年も笑っていなかった気がする。
くだらない下ネタばかりが流れたが、僕は腹のそこから笑い転げていた。
番組が終わると、僕は時計を見た。
一時三十分。
そういえばツンとの待ち合わせは十五分前だ・・・。

「ま、いいかお。」

今ツンに会ってしまったら、僕は何をするかわからない。
本当に殺してしまうかもしれない。
ツンを殺したくないと思ってはいても、確かにツンのあの白い首筋を切り裂きたいと思っている僕もいる。
机の上の携帯を眺めていると、携帯がメールの着信を告げるためにもう一度、ぶるりと震えた。
硬い机の表面にぶつかり、何度もガガガという音がする。
差出人は、ツン。僕は軽い気持ちでメールを確認するが、メール内容は空白。何も書かれていない。余程、急いで僕に何かを伝えたかったのだろうか。
それとも、ただ単に何か打つのが面倒だったのか。
「何やってんのよ、馬鹿。早く来なさい。」空白を眺めていると、そんなことをいうツンの表情が浮かんで、僕は微笑した。


「悪いけど、ツンとの“狩り“はもうできそうにないお。」

なんとなしにつぶやく。

「そもそも、今“狩り”なんかしたら連中に見つかっちゃうお。」

そう、連中がまたどこで待ち伏せをかけているとも知れないし、連中は僕が狩りにでて人気のないところに行くのを待っているのかもしれない。
そこまで考えて気がついた。
とんでもなく致命的なことに。

「何やってんだお、僕は。」

連中がいるというのなら、ツンだって同じく危険なはずだ。
何より、ツンと僕は一緒に行動してきた。僕の殺人だけがばれてツンの殺人がばれないなんて都合のいいことがあるはずがない。
何やってんだ、僕は。


僕は部屋の隅から起き上がって階段を下りた。
頭の端を、件名も内容も空白のあのメールがよぎった。
内容を打つ時間は無かったが、ともかく僕に何かを知らせたかったという事だろうか。
果たしてそれは、「助けてくれ」なのか、「気をつけろ」なのか。
なんとなくだが、僕は後者だと思った。
ツンは変なところで意地を張る。
簡単に他人に助けを求めるような性格ではない事は知っている。
あるいは、そう思ったのは僕の罪の意識を減らすための逃避なのだろうか。
だって、そうじゃないか。
まだツンが連中に襲われたとは限らない。
けれど、絶対に襲われていないと言えるような要素は何処にも無い。
僕がこんなくだらない事で悩んでないで、ツンと一緒に出かけていれば、
少なくともツンに降りかかる危険は少なくなっていたはずだ。
これは僕の、思い上がりだろうか。

そして僕はわき目も振らずに駆け出したところで―――

―――曲がり角から出てきたばかりの人影にぶつかった。
お互いに「いてっ」だの「わっ」だの言ってその場に倒れこむ。
が、同時に起き上がって態勢を整える。
僕は握り締めたままのナイフをもう一度握りなおし、構えた。
僕にぶつかってきたそいつは、あの日待ち伏せをしていた二人組みの茶髪の方だったからだ。
その手には拳ほどの大きさの白い塊が握られている。
息を呑む僕に対して、茶髪の方は全く驚いた様子も見せず、笑いながら口を開く。

「こりゃよかった。家まで行く手間が省けたよ。」
「そうかお。それじゃあ生きる手間も省いてやるお。」

僕も凶暴な笑みを浮かべる。
見たところ、ここにはこの茶髪一人しか居ない。
あの黒スーツも一緒に居て、なんらかの策を練っていたのだとしたら、曲がり角で僕とぶつかるはずがない。

おそらく、目の前の茶髪にとってこれはある程度想定の範囲外の事象。
ならば、これは連中の戦力を削ぐ、目下の脅威を削ぐまたとない好機。
僕は喋り終えると、躊躇う事なくナイフを突き出す。
横薙ぎに振るうには一度手を横に、唐竹割りに振り下ろすには振り上げねばならない。
そんな行動を起こせば、相手に反応する十分な時間を与える事になってしまう。
即ち、最も先を制するのに適した攻撃方法はノーモーションでも繰り出せる突き。
相手も瞬時にそう判断したのだろう。
僅かに左に、右手を突き出した僕が、左腕で追撃をかけられない位置に動く。
突きのような点での攻撃は、振り回すような直線の攻撃よりも避けられやすい。
だが、そんな事は僕とて百も承知だ。
僕が出したのは、単なる突きではない。
茶髪の前に握りこぶしが出現したときには、茶髪の目が大きく見開かれていた。
僕のナイフを握った拳は、手首の間接を目一杯曲げて、ナイフの刃がある親指側を自分に、小指側を相手に向けていたからだ。
そんな状態からできる攻撃は一つ。
茶髪がそれに気づき紙一重で避けて僕の死角に移動するのを放棄。右手に握っていた白い塊を手放してその場から飛びのこうとするのと、僕の曲げられた手首が動いたのは同時。
肩から先、肘も捻って、手首から先を鞭のように横薙ぎに振るう。
腕全体で振り回す時のように、攻撃できる範囲が広くはならないが、紙一重で避けようとしていた相手には十分に届く。

肉を切り裂いて、振りぬく手ごたえ。
僕のナイフは咄嗟に首を捻って顔を背けた茶髪の頬を切り裂いていた。感触からして、おそらく傷は頬を貫通している。
本来ならもっと踏み込み、目を狙う事が出来たはずだが、できなかった。
理由は単純。
踏み込んでいたら僕が死んでいたから。
顔を背け、後ろに跳びながらも無造作に伸ばされた茶髪の手には何時の間にかナイフが握られていて、僕の左肩に突き刺さっている。
これ以上踏み込んでいれば、心臓を突かれていた。

「ンだよぉ、コレ。いてぇじゃん。」

一度噴水のように血が飛び出し、未だにぼたぼたと血を垂らしている頬を抑えながら茶髪が言った。
口に溜まった血のせいか、発音が不明瞭だ。

「うわぁ、貫通してる、貫通。どうりで痛いはずッスわ、これは。」

頬に出来た傷口に、僕に見せるように指を通す。
頬の傷口を突き抜けた指は、自らの歯をなぞる様に蠢く。

「歯にも傷入ってんじゃん。折れたらどうしてくれんの?これからメシ食べる時大変じゃん。マジ痛かったんスけど。」


全く痛そうにせず、ヘラヘラと笑いながら言う。

「そしたら二度と何も食べなくていいように殺してやるお。」

僕も意地の悪い顔を作って、軽口を返すが、左肩の痛みで多少表情が強張ってしまったかもしれない。

「まあ、そっちがその気なら」

ここで、茶髪が何かを握った左手を前に出す。
茶髪の親指が動いたかと思うと、一瞬のうちに茶髪の手の中からナイフのブレードが現れた。
表面を焼き付けられ、ブラックフィニッシュを施された、光を反射しない真っ黒のブレード。
スイッチ式のフォールディングナイフだ。
スイッチナイフは日本では販売も所持も禁止されている上、アメリカでも一部の人間にしか所持が認められていないはずなのだが、この男、如何にして手に入れたのか。
おそらく、先程何時の間にか右手に握られていて、僕の肩を貫いたナイフもスイッチナイフだったのだろう。
僕の肩に刺さる寸前に突然奴の握られた手の隙間から刃が延びたように見えた。

「こっちもその気になるのが礼儀ッスよね?」

茶髪が多少肘を曲げ、左右それぞれの黒と銀のナイフ下で構え、正面から僕と向き合う。
右頬からは血が流れ続け、顔の右下半分を朱に染めている
対して僕は、肩に傷のついた素手の左手を後ろに、ナイフを握った右手を前に出す。
さらに、相手に対して斜め45度で構え、スタンス・インテグリティをとる。

格闘戦において、人は真横からの衝撃、両方の足を結んだ直線方向からの衝撃には強いが、正面からの衝撃には弱い。
つまり、こちらから相手の45度にかまえてやれば、ナイフを横薙ぎに振るった場合、自然と相手の正面に打撃を与える事が出来る。
また、こちらは常に相手の攻撃に対して、真横に対応できる。
近接格闘では如何にして常にスタンス・インテグリティを取るかで勝敗が決する。
部長の本棚にあった「徹底CQC、CQBマニュアル」にそう書いてあったので間違いない・・・・・・ような気がする。
ああ、あの本を置いておいてくれてありがとう、部長。
とりあえず僕は思考をそこで中断。
僕が馬鹿な事を考えている間にも、茶髪は接近してきている。

馬鹿めッ!貴様に対してスタンス・インテグリティを取っている僕は圧倒的に有利ッ!
だというのに不用意に仕掛けるとはッ!

口には出さずに心の中で叫びつつ、茶髪の振るった右のナイフを咄嗟に右のナイフで受け止め、押し返し、さらに追撃をかけてきた左のナイフを、余裕を持って受け止める。
茶髪の目が驚愕に見開かれた。
流石スタンス・インテグリティッ!勢いの乗った相手の攻撃を受け止めても余裕で押し返せるッ!
と、心の中で部長に感謝。

しかし、こちらはナイフ一本なのに対して、相手は左右に二本。
手数で責められては手も足も出ないので、後ろに下がって距離を取る。
茶髪も自分の二刀が、僕の一刀で防がれた事に驚いたのか、距離を詰めようとはしない。

「馬鹿みたいに硬いナイフ使ってんだね、あんた。刃に傷が入ってるし。」

茶髪が両のナイフを掲げてみせる。
成るほど、離れているので確認しづらいが、刃に切れ込みのような物が入っている。

「馬鹿め、もしも僕が先をとって攻めていたら、おまいのナイフは今頃折れてたお。」

僕が嘲るように挑発すると、茶髪は少しムッとしたような表情を取り、不満げに口を開く。

「勝負に”もし”なんてないッスよ。それならもし俺が銃持ってたらあんたは今頃脳みそ打ち抜かれてるじゃん。」
「じゃあ、もし僕が波紋使いだったらおまいが銃使おうが使わまいが殺せるお。」
「は?じゃあもし俺が大統領だったら今頃あんたは爆撃されて死んでるっスよ。」
「でも、もし僕に予知能力が(ry」
「なら、もし(ry」


下らない言い合いはここまでにして、真面目に相手への対処法を考える。
ここまでいくつか分かった事は、この茶髪は人を殺しなれていないという事。
通常、心臓を狙うときは肋骨に阻まれないように、隙間を通すように刃を寝かせる。
が、この茶髪はそれをしなかった。
かといって、ナイフで人を傷つけるのに慣れていないわけではなかった。
ナイフで物を切るときに、力はいらない。
ようは、どれだけ速く刃を滑らせて、摩擦を起こすかなのだから。
その点、茶髪のナイフの振り方は理想的だった。
手首を腕に対して直角異常に、小指が腕に触れる事ができるのではないかと思えるほど、間接を曲げいてた。
間接自体がとんでもなく柔らかいのもあるのだろうが、茶髪はナイフを振るうときに、腰や足捌きを殆ど使わず、手首や肘の動き、捻りだけで瞬間的なスピードを作り出している。
正直、手首から先の動きは全く見えなかった。
そして、腰のバネを使わないのは、単純に別の手での攻撃に繋げる時に時間を短縮できるからだろう。
早い話が、「速さ」にばかり特化した戦い方。
ならば、次の行動も大体は予測がつく。
茶髪は、突然軽口の応酬を中止して黙り込んだ僕を、警戒するように眺めている。
口元は相変わらず笑っているが。
そして、僕が奴とどう戦うのが最も効率的か、それを考えているのに気づいたのだろう。
笑っていた茶髪の目が据わり、一瞬でナイフを振るう。

まずは、右手に持ったナイフを一線。
今度はしっかりと腰をひねって勢いをつけている。
今までに無い程の速さで、茶髪のナイフが動く。
その肘から先は、光を反射するナイフの刃が発する銀影以外、まったく僕の目に映らない。
が、僕はやはり余裕を持って右手のナイフで受け止め、押し返す。
茶髪の目が三度、驚愕に見開かれ、喉の奥から引きつったような声が出る。

「・・・・・・・・・・・っっっッ!!!!」

僕の押し返したナイフが茶髪の右手から弾き飛ばされていた。
光を反射して輝きながら、ナイフはゆっくりと放物線を描いて地面に落ちていった。
カラン、という音。
茶髪の振るったナイフの速度は完璧だった。どれほどの剣や格闘技の達人にも視認することはできないだろう。
驚くのも無理は無い。
が、僕は相手の驚愕などお構いなしに、相手のナイフを弾き飛ばしたばかりのナイフで突きを繰り出す。
茶髪が慌てて左手のナイフを振るうが、僕はそれを無視。相手にナイフを突き入れる事だけに集中する。

先ほどの攻防で、僕の方が膂力で勝っている事は確認済み。
ならば、茶髪が速さで勝負を仕掛けてくるのは簡単に予測できる上、どれだけ手首から先の動きが早くても、腕や肩の動きさえ見えれば、
簡単にナイフの軌道は予測できる。
さらに、手首の間接は曲げれば曲げるほど手の握力は下がる。親指や人差し指に力が入れにくくなるからだ。
事実、茶髪のナイフには、殆ど力が入っていなかった。
先ほど両手のナイフを受け止めたときの、茶髪の驚愕の表情からも分かるとおり、相手とナイフ同士で打ち合う事など想定していなかったのだろう。
推察するに、こいつはただ喧嘩に慣れているだけだ。
素人同士が刃物を持って切り合ったところで、何合も刃物を打ち合うなどという事は無い。
剣術家や訓練を積んだ軍人ならば、「この体制からなら、最も効率のいい体の動かし方はこうだ」と、自分の経験や知識から相手の動きも大方読むことができる。
が、それは相手も自分と同じような訓練や経験を積んでいることが前提での話だ。
何の経験も知識も無い素人が振り回す刃物には、道理も効率性も無い。
動きを読むことは難しくなる。
おそらく、茶髪はそういった、打ち合うことの無い「先に相手に切りつけて怪我をさせた方が勝ち」というような戦いしかしたことが無いのだろう。
残念だが、僕はもう既にドクオやラスカと言った、学術名・ホモサピエンスから種や目が外れていそうな人外連中と打ち合っているのだ。
茶髪が最後に見れたのは、自分に迫ってくる迷彩柄のナイフの刃だけだろう。
一瞬後には、そのナイフで視界が埋め尽くされたのだから。



「が・・・・・・っ!!!!」

茶髪の左手のナイフ―――こちらはテフロン加工が施されて黒いため、夜の闇に紛れて残像すら見えなかった――――は僕の胸の中央、鍵穴のある辺りに一センチほど食い込んで止まっている。
対して、僕のナイフは根元まで茶髪の左目に突き刺さっている。
結果は歴然。
そもそも、ナイフを横薙ぎに振るって人間の胴体に致命傷をおわせようなどというのが間違いだ。
確かにナイフで物を切るのに力はそれほど重要ではない。
だが、力の無いナイフで人の肉や皮は切れても、骨を断つ事などできない。
相手を殺す気が無い路上の喧嘩で、相手に適当な傷を負わせることができても、一撃で人を殺す事は不可能。
僕に突き刺さったナイフは軽く肉を切って、僕の胸骨で止まっていたが、僕の突き刺したナイフは相手の眼球だけでなく脳も貫いている。
茶髪のナイフが突き刺さった場所に、丁度僕にしか見えない鍵穴があり、胸骨ではなく、その穴にナイフが引っかかって止まったように見えるのはただの偶然だろうか。



「がァ・・・ッ、あ、あ・・・ッ!!!!」

そんな声を出しながら、茶髪がよろけるようにその場に倒れこむ。
持ち主の無くなったスイッチナイフが、地面と音を立てて衝突する。
茶髪は頬から未だに流れ続ける血と、眼球の奥から迸る血で顔中を真っ赤に染めながら地面を転がる。
ナイフが眼窩に突き刺さったままなので、当然動けば動くほどナイフが揺れて、脳みそがかき混ぜられる。
茶髪の腕がナイフを引き抜こうと、その柄に触れたところで、茶髪は動かなくなった。













「・・・・・・・・・・・・。」

僕は動かなくなった茶髪の眼窩からナイフを引きずり出すと、地と油に塗れたそれを茶髪の服で拭った。
何気なく、時計を見る。
家を飛び出してから、三分程度しか経っていない。
やはり、何かの訓練を積んだわけではない僕らの決着は、あっという間についていた。
ツンを探しに行こうとして、僕は茶髪が落とした白い塊に気がついた。
こぶし大の、細長い塊。
茶髪は「手間が省けた」と言っていた。
という事は、この白い塊で何かをしようとしていたのだろうか?
一体何を?
拾い上げてみると、一見、紙をクシャクシャに丸めただけに見えたそれは重かった。
中におもりが入っているのだろう。
窓でも割るつもりだったのだろうか?
僕はその紙を広げて絶句した。

そして、駆け出した。




第十二話・完



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