ブーンがシリアルキラー(連続殺人鬼)になったようです。 第五話 「空空寂々」
涙の無い幸福は無く、死のない生は無い。注意しろ!我はお前に涙を流させよう!
―――"赤蜘蛛"ルツィアン・スタニャック
女性ばかり20人陵辱し、殺した連続殺人犯。上の一節は彼が週刊誌に送りつけた怪文書。
「それじゃあ、お父さんがお亡くなりになった事は悲しい事ですが、事実として受け入れて―――」
「だからさっきのは勘違いだっていってるお!!」
しつこく僕を頭のかわいそうな人だと疑い続ける刑事にそう言うと、刑事は監察医務院から出て行った。父の死因は検死解剖のため、警察の霊安室ではなく監察医務院に送られていた。
僕は監察医務院の霊安室のベッドの上に転がっている父を眺める。
父の死体がここに担ぎ込まれたのはつい三時間前だという。そして死亡したと思われるのは三日前。
ついでに言えば、父の部屋の電気はつけっぱなしだったらしく、僕はずっと父が帰ってきているものと思い込んでいたというわけだ。
父の勤務先の病院から昼に何度も電話がかかってきていたらしいが、僕は学校にいたり、外に出ていたりで受け取っていない。
「・・・・・・・・・。」
すでに腐敗は始まっている。
体中の皮膚や肉がぐじゅぐじゅになっていて、殴られたものと思われる跡がある皮膚の下から黄色い透明な液体がだらだらと垂れている。
刑事が言うには、父を殺したのは集団リンチ強盗と呼ばれている連中らしい。
ただ、連中についてはもう内偵が進んでいるので、逮捕まで持っていくのは時間の問題だという。
「・・・・・・・・・はは・・・。」
僕は弱弱しく笑った。
何と言うことは無い、僕はあの夜、連中の一人を殺して仇を討っていたのだ。
「はははは・・・・・・。」
僕の口から漏れる乾いた笑いは止まらない。
笑いながら、既に物となってしまった父を眺める。
父のようになるのが夢だった。
何時か父よりも立派な医者になるのが夢だった。
だがもうそれは適わない。
父はもう居ない。
死んだ人間は追い越せない。
死んだ人間は何もできない。
死んだ人間に対しては何もできない。
僕は狂ったように漏れ出す笑いを止めると、スッと立ち上がった。
行く場所はひとつ、父の勤めていた病院だ。
時刻はまだ9時。僕は裏口からそっと病院に入ると、手術室からメスを数本持ち出した。
生前に父が使っていたかもしれないものだ。
道具は揃った。
やる事は一つだ。
彼等は程なくして見つかった。
人通りの少ない道を適当にふらついていたら、彼等の方から僕に近づいてきてくれた。
四人から一人減って三人。相変わらず体のどこかに白い衣服を着けている、時代遅れの勘違いファッション。何時の時代の人間だおまえ等。
というか、前と同じように僕の襟元を掴んで路地裏に引っ張り込んできた。
向こうから人目につかないところを用意してくれるとは、都合がいい。
「なぁ、オマエこの前ジュンがぶっ殺すって言ってたヤツじゃん?なんで生きてんの?」
「つーかオマエ、オマエだよオマエ、オマエを殺すって言ってからアイツ居なくなっちゃったンだけど、どゆこと?」
どうやら僕が殺してやった奴はジュンと呼ばれてるらしい。
それにしても相変わらず頭の悪そうな喋り方をする連中だ。
「なぁ、聞いてンのオマエ?マジイラつくし。マジ死ねし。なンとか言ってくーだーさーいーってば。」
「ジュンどこやったんだよ?コラ、ねえ、答えてくれないとオレ等マジ悲しいなぁ、実際。」
僕はそれを聞いて苦笑する。
彼等の言う「殺す」
とは、せいぜい金欲しさとストレス解消に相手を痛めつけて転がすだけなのだ。その際に運悪く死んだ奴が数人いるだけ。実際、死んだのは被害者15人のうち3人だけだ。
いや、父も入れれば16人中4人か。死ぬ確立はたったの4分の一。そう考えれば父は運が悪かったようだ。
そう考えたところで右頬を殴られた。
痛い。
「テメー何笑ってくれちゃってンの?ねぇ?ねぇ?マジでジュンどこやってくれちゃったの?」
しらねーよ。お前らのお友達なら今頃心臓だけドクオとかいう食人狂に食われてるよ。バーカ。
「いい加減答えてくれねーとぶっ殺しちゃうよ、ねえ?」
「なあ、コイツ、殴られてもずっと笑ってんだけど?やっぱ変なビョーキなんじゃ―――」
そいつの言葉はそこで止まった。
というより、止めさせられた。そいつの喉には一本のメス、尖刃刀が根元まで突き刺さっていた。
言うまでも無く、僕が父の病院から持ち出したものだ。
「あ゙・・・・・・」
信じられないものでも見るかのように、そいつが自分の喉に刺さった銀色の物体を眺めようとする。
―――いや、自分じゃ自分の喉に刺さったメスなんて見れないって。
僕は現実についていけていないそいつに優しく笑いかけてやる。
「おまえ、うっさいお。」
そのまま、喉仏を砕いて突き刺さったメスの切っ先を捻り、血管と肉をズタズタにしながら引き抜く。
が、メスは半ばほどからボキリと折れている。
やはり、人を壊すのは楽じゃない。
刺された男が地面を転がる。
他の二人は呆然とその様を眺めている。口を半開きにしてボーっと。間抜けが。
僕はポケットから新たなメスを取り出すと、うな垂れて両手で首を押さえる男の後頭部に突き刺す。メスの切っ先は男の小脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜながら貫通。手にゼラチン質の物をかき混ぜてぐちゃぐちゃにしたような感触が残る。楽しい。
男は目玉をぼこりと飛び出させ、鼻と口の端から血を流しながら動かなくなる。
放っておけばそのうち死ぬだろう。
僕はメスを男の後頭部に突き立てたまま、残りの二人へと向き合う。
ここになってやっと残った二人も動きをみせた。
僕に近い方の背の高い奴が小さめのツールナイフを、その後ろにいた奴が落ちていた木材を拾い上げようと手を下に伸ばした。
僕は素早くポケットから出した新しいナイフを、下に向けて落とすように投げる。
地球の重量と僕が投げた時の勢いが合わさったそれは、木材を拾おうとした男の右手の甲に難なく突き刺さり、貫通すると、コンクリートの地面にぶつかり、硬い音と共に弾かれて止まる。
腱が集中している手の甲を貫かれたのだ、しばらく男に右手は使えないだろう。
だが、そうこうしているうちに、ツールナイフを持った男が僕に接近してきている。
―――しかしちっさいナイフだお。
新しいメスをポケットから取り出している暇はない。
僕は退かずに、逆に相手に接近。
両手を大きく広げると、男の両耳に叩きつけて、鼓膜を潰す。
鼓膜を破るつもりの勢いで叩きつけてやったのだが、実際に破れたかどうかは分からない。
ともあれ、相手は耳への衝撃で平衡感覚を失い、よろめく。
僕はそのまま四指で相手の頭を押さえつけてアイ・ゴージに移行。
親指で相手の眼球を押し込み、掻きまわし、抉る。そして相手の眼窩から親指を乱暴に引き抜くと男の間合いから飛びずさる。
対して、たまらず男は悲鳴を上げてツールナイフを取り落とし、両手で目を押さえる。
目が潰されたぐらいで武器を落として泣き喚くとは、情け無い奴め。
まあ、実際に自分が目と耳を潰されたら、武器を握ったまま抵抗できるかどうかを聞かれたら微妙なところだが・・・。
などと考えたところに、僕の額に木材が迫る。
そして僕の脳内に響く鈍い音。
僕の額の上を駆ける灼熱感。どうやら殴られたらしい。
だが、アドレナリンで興奮状態になっている今、対して痛みは感じない。
額から漏れてきた血が左目にかかり、視界を妨げるが、もみ合いになってしまえば関係ないだろうと思い、相手にそのまま寄りかかるように近づく。
額から血を流しながらも平然と向かってくる僕に気おされたのか、残った男がヒッと呻く。
情けない奴。
しかし、それも仕方の無いことだろう。
男達にとって、今のような状況は、本当に相手の命のやり取りをしなければならない状況に陥ったのは初めてなのだろう。
彼等がこれまで暴力を振るってこれたのは四対一という数の上での有利があってのこと。
男がひるんだ隙に、僕はポケットからメスを取り出す。
急いでいたせいで尖刃刀ではなく、円刃刀を取り出してしまったが、まあ構わないだろう。
新たなメスを抜いた僕を恐れた男は、手にした木材を滅茶苦茶に一振りした。
それは攻撃とは呼べないようなお粗末な一振りだった。
追いつめられた動物が暴れたり、捕まえられた虫がでたらめに節足を動かすのと同程度の、原始的で幼稚で、みすぼらしい一撃。
窮鼠猫を噛むとは言うが、果たして男の牙は僕には届かなかった。
恐怖のためか目を閉じていたし、腰が引けているため、まともな力は篭っていない。
僕はその一撃を後ろに軽く体をそらす事でかわすと、体を後ろにそらした分、崩れた体勢を直すように足に力を込めて、倒れこむように男に接近。
そのまま円刃刀で男の頚動脈を切り裂く。切り裂かれた動脈から、噴水のように澄んだ血が噴出す。円刃刀は突き刺すのにはともかく、薄く皮膚を切り裂くのには向いている。
あくまで精密な作業のためのメスなので、比較的体表付近にある静脈では無く、動脈を切り裂くほど深く刺すのは至難の業だが、力任せに無理矢理切り裂いてやった。
相手は少し屈んで、血を噴出す首を押さえて止血しようとする。
が、慌てた男の手つきでは完全に止血する事が出来ず、血はもれ続ける。
あっという間に血が流れ出て、男の顔は青ざめる。
そのまま白目をむいて倒れこんで絶命。
うわ、あっけなッ!
ひと段落ついたかと思うと、興奮が収まってきた。
冷静になると共に、頭に受けた傷が灼熱間と共に疼きだしてくる。
殴られた衝撃か、頭の奥が痛い。額というのは比較的流血しやすい。
出血しているので、無い出血しているというような事は無さそうだが、その痛みに足元がふらつく。
―――ああ、いけない。目と耳潰しただけの奴に早くとどめ刺さなきゃ。
そう思って手をポケットに伸ばすが、体の方はもう辛抱たまらんとでも言うかのように、地面に倒れこむ。
―――ああ、刺さりっぱなしのメスも回収しなきゃいけないのに・・・・・・。
だんだんと意識が遠のいていく。
―――なんだよ、糞。人間は壊れにくいんじゃなかったのかよ。一発殴られて終わりなんて、僕は随分脆―――
「・・・・・・・・・・・・?」
一瞬のうちに視界が暗転したかと思うと、僕は奇妙な空間にいた。
見渡す限り何も無い、色も無い、不思議な空間だった。
白いわけでも黒いわけでもない、ただひたすら透明なだけの空間。
そこには一つの扉があった。
僕の家の扉だ。
そして僕の手には鍵がある。
分かっている。これは夢だ。
この扉は今まで僕が閉じてきて、押さえつけてきたものだ。
この扉を開けないと僕には前に進めない。
僕は躊躇無くその手に握った鍵を鍵穴へと伸ばす。
だが、鍵穴に鍵が入ろうかというところになって、僕の腕は止まる。
それ以上、腕が進まない。
腕の先がぷるぷると震える。
力を篭めれど篭めれど、腕は前へは進まない。
いや、進ませる気にならない。
「開けてもどうせ誰もいない。」
鍵を開けらない僕に、前に進めずに、かといって下がることも出来ずに鍵を持ったまま震えるだけの僕に、後ろから声がかかった。
軽く体を傾け、首を動かして後ろを振り返る。
背後のそいつは、僕が振り向いたのを確認すると、さらに言葉を紡ぎだす。
「どうせ進んでも、鍵を開けてもそこには誰も待っていなくて、ただ寂しさが待っているだけで。」
「・・・・・・・・・・・・。」
僕の後ろに居たのはあの夢の中に出てきた男、彼女を殺す前に出てきた男だった。
手首の先から無くなっている右手、体中につけられた傷、そして首から上についている、斜めに傷の入った頭。
今までどうしても思い出せなかった男の顔がそこにあった。
「だからその鍵をあけることに意味は無い。今までと同じ、誰も待っていてくれない生活が続くだけ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
そいつは、よく見慣れた顔をしていた。
毎日見ている顔。
毎朝、鏡を見るたびに映っている顔。
そいつは――――僕自身だった。
「今までお前が鍵を開けて、中に誰かがいたことがあったか?無い。無いはずだ。誰もお前を待っていてくれる人間なんて居ない。」
そいつは僕にゆっくりと、聞き分けの無い子供に物事を噛み砕いて教える母親のような口調で語りかけてくる。
わかっている。
こいつは僕だ。
僕があの日あの動画を見て、僕が扉を開けないように、僕を抑え続けてきた”今までの僕”だ。
僕があの動画を見て、”今の僕”になるために殺した”今までの僕”だ。
だからこいつは僕がこれ以上進むのを止めようとする。
「だから―――」
「うっせ。おまえの知ったことかお。」
僕は僕の台詞を途中で遮る。
口の端を吊り上げ、笑いかけながらさらに喋りかけてやる。
「誰か待っててくれなきゃ何も出来ないような間抜けだから、僕に殺されたんだお、おまえは。」
「お前ッ!!!!」
片腕の僕が顔を真っ赤にして飛び掛ってくる。
だが、その間にも僕の腕は鍵穴に鍵を差し込み、ひねる。
カチャリ、という音。
そして――――
周囲を覆っていた闇が少し筒退けられ、おぼろげながら視界が少しずつ開いていく。
いや、開いているのは僕の瞼だ。
少しの間落ちていたらしい。
はっとしてその場から立ち上がり、周囲の様子を確認すると―――
―――目の前にツンが居た。
「ツン・・・、なんでここにいるんだお?」
多分今僕は物凄い間抜けな顔をしているだろう。
何故ツンがここに?
というか、もしかして殺すところを見られた?
「なんかイライラしてたから、つい、ね。」
そう言うと、ツンは彼女の後ろを指差す。
そこには仰向けに倒れて腹をぐちゃぐちゃにかき回された死体があった。
僕が耳と目を潰して転がしておいたあの男だ。
「内藤だって、なんとなく落ち着かなかったからこいつ等殺すために外に出たんでしょ?」
ツンの顔には、あの日の屋上で見せたような満面の笑み。
「で、偶然内藤を見つけたと思ったら、なんか内藤気絶しちゃってるし、起きるのずっと待ってたんだから。」
それを聞いて、僕はさらにきょとん、となった。
ツンの口から発せられた言葉に、完全に僕の思考は停止していた。
―――ちょっと、ちょっと待ってくれ。
――――じゃあツンは、待っていてくれたっていうのか?
―――――あの、鍵を開けて起きた先のこの世界で、待っていてくれたっていうのか?
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
突然笑い出した僕にツンがぎょっとする。
だが、僕のほうはそんなツンにはお構い無しに笑い続ける。
とても愉快な気分だった。
両親が離婚してから、こんなに純粋に、ただ嬉しくて笑ったことは初めてだろう。
こんなに心の底から嬉しいと思えて笑えたのは初めてだろう。
僕はたまらずその場で横になって笑い転げる。
「・・・・・・内藤?大丈夫?」
ツンが恐る恐る、しかし心配そうにコンクリートの冷たい床を転がる僕に声をかける。
「はは、なんでも、はははははは、無いお。ははははははははは、ちょっと、嬉しくて。しかし、これは傑作だお、はは、僕を待ってたって、ははははは。」
笑いながらも僕はツンに返事をする。
余りにも僕の笑い声や笑い方が激しいので、ツンはいよいよもって本気で心配し始めた。
僕の額からは血が流れているから、殴られたか何かしたショックで僕が頭がおかしくなったと思っているのだろう。
僕の額の傷を診ようと近づいてくるツンから顔を背けるように、僕は顔を下にしてうずくまる。
そして目の端を気づかれないようにそっと手でぬぐった。
嬉し涙とはいえ、ツンに泣いてる姿を見られたくなかったから。
第五話・完
[前のページへ] 戻る [次のページへ]