ブーンがシリアルキラー(連続殺人鬼)になったようです。 8、弱肉強食
俺は半端者でね・・・・・・、どうしようもない。人食いなんだ。
―――ディーン・ベイカー
警察に職務質問され、ポケットの人骨を見つけられて言った言葉。
付きの光の届かぬ路地裏に咀嚼音が響く。
くちゃくちゃ、くちゃくちゃ。
そんな音が響く中、僕はそいつに質問してみた。
「なあ、それ美味いのかお?」
心臓から流れ出る血が糸を引きながら、そいつの口が心臓から離れる。
そいつは僕の質問に答えようとしているのだろう。しかし、口がふさがっていては喋れないとばかりに、
口の中一杯に頬張ったそれ―――死体から取り出したばかりの新鮮な心臓―――を急いで噛み千切り、嚥下する。
「不味いよ。」
口の周りを真っ赤に染めたそいつは、淡々と答えた。
「堅いし臭えし、いや、本当に臭いんだ、これが。血は鉄の匂いって言うけど、水揚げしたばかりの川魚みたいに生臭いんだよ、これ。」
その口調からは、嫌がっている様子も喜んでいる様子も見られない。
「血抜きもされてないし味付けもされてないんだから美味しいわけねーんだけどさ。生臭いのなんのって。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「本当はこんなの、食いたくない。でも、食わなきゃだめなんだ。」
そう言って、何かの強迫観念に駆られるように、そいつは再び手に持った心臓を齧りだす。
左心室のあたりに前歯を刺し込むが、堅かったのか少しだけ心臓の表面から一センチ程を削りとるに留まった。
心臓というのは年中無休で動き続けなければならない、筋肉の塊なのだ。
そうそう簡単に食いちぎれるようなものではない。
そいつは、今度は奥歯を使って少しずつ心臓を噛み千切っていく。
そしてやっぱり淡々と噛み砕き、嚥下していく。
「ふーん、そうかお。」
僕はなんとなく納得した。
連続殺人犯の中には自分の行動を正当化して納得させるために、自分の中で勝手なルールを作ることがあるのだという。
一部の連続殺人者が「自分は儀式のために殺しているのだ」と自分を納得させるために悪魔崇拝のアンチキリストに染まるのはそのいい例だ。
おそらくこいつもそのクチだろう。
僕の顔に嘲りが浮かぶ。
見れば、そいつの胸に鍵穴は無い。
なんだ、こいつは。同じ2ちゃんねらーだから、もっとこう、頭のネジがぶっ飛んだ奴を想像していたのに、
実際は何か自分で理由をつくって納得しないと人を殺せない、どうしようもない妄想野郎だ。
ならば人を殺すのをやめればいいというのに。馬鹿な奴。
そいつは、心臓にかぶりつくのに夢中で僕が顔に浮かべた嘲弄には気づかない。
僕はそいつが心臓を食べ終わるまで十数分間、じっと待っていた。
「じゃあ、そろそろ始めるかお。」
「それもそうだな。さっさと終らして、新しいのを食べたい。」
そいつは側においていた、血まみれの鉈を拾い上げて言葉を返した。
「まだ食べるのかお。」
僕は呆れて苦笑しながらもバタフライナイフを取り出し、広げて応じる。
今更、同じ2ちゃんねらー同士だから争いを回避しよう等とは思わない。
初めて出あったときから殺意に満ち満ちていたというのに、今更殺しあう以外に僕らの間にどんな関係が望めるというのか。
「おまえは調子にのって騒ぎすぎたお。邪魔だからここで野たれ死ね――」
「心臓を取り出されてもまだそんな事が言えたなら上出来だが―――」
『―――お前は死ね。僕は(俺は)生きる。』
―――同時刻、都内某所にて。
都内の一角、少し埃のつもった古いビルの一室に三人の人影があった。
部屋の中には大きく「木喪巣商会」と書かれた看板が飾られていて、その下には日本刀が飾られている。
ビルの他の部屋を覗いた限り、どこの部屋もここと似たような内装だ。
要するに、そのスジの人間ばかりが入居しているヤクザビル。
「で、なんで私たちはこんなヤクザビルに居るの?」
三人の人影のうちの一人、10歳前後とおぼしき少女が隣に立つ二人の男に尋ねた。
暴力の予感を敏感に感じ取っているのか、少女はどこか楽しそうだ。
「お前らは一応立場の上では公務員って事になってるからな。ゴミ掃除をして社会の役に立ってくれって事さ。」
少女の隣に立つ二人の男のうち、黒髪黒瞳の酷薄そうな印象を持つ男が言った。
その男のさらに隣に立つ、明るい茶に染めた癖毛の男はやはり笑いながら立っているだけだ。
都市はそれぞれ20代前半と、十代後半といったところか。
「ゴミ掃除、ね。面白い事言うじゃない。ようするに、私たちがどれだけ”使えそう”かあらかじめ知っておきたいんでしょ。」
言いつつ、少女は周囲を見渡す。
今や、三人は完全に囲まれていた。
もちろん三人を囲んでいるのはこの部屋の住人や、その隣人達。
早い話が、ヤクザ。
「ゴミ」呼ばわりされたのがよっぽど気に障ったのか、彼等は怒気や殺気を隠そうともしない。
「私はそりゃあ爆弾も超絶神業レベルに使えるけど、これ一本でもサイキョーに強いわよ?」
少女は部屋の机の上においてあったカッターナイフを掲げて、ひらひらと振ってみせる。
百円均一などでも簡単に手に入る、少し細めのカッターナイフだ。
何も特別な仕掛けを施されていない。
「でも、そっちのチャッパはどうなの?見た感じ役に立た無さそうだけど大丈夫なの?」
少女が先程から静かに微笑み、佇んでいるだけの明るい茶髪の男を指差して言った。
「チャッパじゃない、城嶋だ。髪の毛の色から妙な呼び方を―――」
「俺ッスか?」
黒髪黒瞳の男の台詞の途中で、少女に指を指された茶髪の男、城嶋が声を発した。
何時も微妙な愛想笑いのようなものを浮かべて立っているだけの男が喋った事に、少女は多少目を大きくして驚きを表す。
少なくとも、少女があの収容施設から出されて数日、城嶋の声を聞くのは初めてだったからだ。
「あの監獄のところでは、余計な事はしゃべるなって言われてましたけど、もう喋ってもいいッスよね、日浦さん。」
そう言った城嶋に対して、日浦と呼ばれた黒髪黒瞳の男が頷いた。
自分がしゃべる事が出来るという事を純粋に喜びながら、城嶋は再び口を開く。
「オレ結構強いッスよ。なんならこいつ等全員殺して見せましょうか?」
笑いながらそんな事を言う。
相変わらずの愛想笑いを浮かべる城嶋の瞳に何を見たのか、下から覗き込むように彼の顔を見ていた少女は何かに納得して視線を逸らした。
「あんたじゃこいつ等全員殺すのは無理ね。」
「できますよ。」
「無理よ。私が殆ど殺しちゃうから。」
「なるほど、道理ッスね。」
少女はやけに楽しそうに、城嶋は軽く肩をすくめながら曖昧な笑顔で、周囲に漲る怒気や殺気など気にせずに会話を続ける。
「どうでもいいが、やるならさっさとやれ。お前等は俺達に飼われている身分だという事を忘れるな。」
日浦が煙草を咥えて、それに火をつける。
三人の中で最も年長者と思われる彼は、一歳手出しをしないつもりのようだ。
彼等を取り囲んでいるヤクザは軽く見積もって50人。
しかし、それ等全てを二人で相手にしなければならない、十代に入ったばかりの少女と十代後半の男は、それでも怯まない。
怯む必要など無い。
怯む理由が無い。
三人を取り囲む50人のうちの誰が知れようか。
本当にこれから、このビルの中の人間が一人残らず掃除されてしまう事など。
たとえ桁が一つ違う数の人間を集めたとしても、彼等三人は躊躇無く向かっていき、掃除できるだろう事など。
本当の意味で、生命をかけた戦いをした事の無い有象無象50人の、誰が分かるというのか。
――少女がカッターナイフを構えた。
――城嶋が曖昧に微笑みながら一歩前に出た。
――日浦がつまらなそうにタバコを口から離し、紫煙を吐き出した。
そして虐殺が始まった。
カーテンの隙間から差し込む朝日と共に目が覚めた。
朝を迎えるたびに、毎朝毎朝休まずにせっせと上り続ける太陽は本当に働き者だと思う。
昨日はツンと”狩り”をしていたため、あまり寝ていないというのに。
ああ、本当に太陽は働き者だなぁ!!!!
一日くらい遅く登ってくれても良いのになぁ!!!!
頭の中で愚痴るが、太陽が遅く昇っても時間はそのままなので、あまり意味が無い事に気づき、愚痴を中断。
睡眠が不足すると人間馬鹿になるんだな、と妙に納得しつつ起床。
さっさと一階へと降りて顔を洗い、リビングへと向かう。
途中で、玄関の扉に備え付けられたポストに投函されていた朝刊を発見。
拾い上げて適当にペラペラとめくっていくと、また猟奇殺人のニュースが載っている。
どうしても「近年の子供達はおかしい」という印象を作りたいらしく、未成年の起こした殺人ばかりが大きく取り扱われている。
が、未成年特がキレて殺人事件を起こすなどと言うのは、いつの時代でも起きていること等で、大した感慨は沸かない。
一説によると、もっともキレて何かやらかしやすい年齢は、精神が不安定な思春期か、それを卒業したばかりの頃だとか。
人の関心を引きそうな殺人事件の記事の中で、死体から心臓をえぐり抜いていく連続殺人の記事を発見する。
ドクオと名乗ったあの男が起こしている事件だ。
心臓を持っていかれた被害者はこれで37人。昨日ニュースを見たときより二人増えている。
これはいけない。いい加減調子に乗りすぎだ。
今までのニュースを見る限り、犯人のドクオには節度というものがまったく無い。
後先考えずに、手当たり次第に殺している。
正直なところ、こちらとしては同じような人種に側で派手に暴れられるのは邪魔でしかない。
こちらが節度をわきまえて、三日に一回、四日に一回ほどのペースでいろいろ考えて慎重に行動しているのに、奴はこっちの苦労も知らず暴れて世間や警察の目を惹きつけている。
何時、その惹きつけられた目が僕やツンに向けられるとも知れないのだ。
今は世間の目が三つの学校を爆破した「小四爆弾事件」の方にむいているからいいが、
人は何にだろうとすぐに飽きる。
彼等が小四爆弾魔事件の犯人、通称ラスカは既に逮捕されている。
人々がこの話題に飽きるのも時間の問題だ。
そうなれば次に脚光を浴びるのは、未解決の猟奇殺人事件。
ドクオの起こしている猟奇殺人は、心臓を抉りぬくというかなりショッキングなものだ。
未解決の殺人事件の中でも多くの脚光を浴びる事になるだろう。
そうなる前に、なんとしてでも奴に落ち着いて行動するか、犯行を止めさせなければいけない。
警察の奴に対する操作のとばっちりを受けるのはゴメンだ。
何か行動を起こすなら早い方がいい。
しばらく考えて、僕は決断した。
深夜。
人通りが少なくなるこの時間帯を見計らって、表に出る。
僕の着込んでいるパーカーの内側には、フェルトで自作したメスを入れるための細いポケットがいくつもついている。
昔から手先は器用なので、こういうのは得意だ。
さらに、ベルトにはこれまたフェルト製の鞘(というよりホルスター)に収まった銀色のパタフライ・ナイフ。
シャツの内側には、巧妙に隠してあるがジャンプが一冊、腹の部分にくくりつけてある。
思いつく限りの僕なりの完全武装。
それくらいをしなければドクオと向かい合う事など不可能。
そう、僕は決めたのだ。
あそこまで殺人に酔いしれてる奴が、僕に言われたぐらいで自重するとは思えない。
いざとなったら、僕は奴を殺す。
奴の行動は僕やツンの”狩り”の邪魔になる。
一人で行って確実に殺せるかどうか、微妙なところだが、ツンを巻き込むのは気が退けた。
ツンは僕などよりもずっと2ちゃんねらーとして先輩だし、ツンの体さばき、経験、咄嗟の決断力と判断は、どれをとっても僕以上だった。
ツンの方が僕などよりもよっぽどドクオをどうにかできる確立は高いだろう。
つまり、これは僕のエゴ。
ツンを危ない目にあわせたくない、という馬鹿馬鹿しくて身の程知らずなエゴ。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
頭では別のことを考えつつも、僕の目は必死でドクオを探す。
人の少なそうな裏路地を手当たり次第に徘徊し、物陰を探り出し、闇に目を凝らし、血のにおいを探して嗅覚を尖らせる。
しかし、ドクオは見つからない。
町に出て二時間は経つだろう。
今日は行動を起こさないのだろか、と考え、すぐにそれを否定する。
ドクオの行動は間違いなく、殺人に酔った人間の行動だった。
酔っていないとしても、何らかの理由があって人を狩り続けているのだろう。
ここ最近はほぼ毎日行動を起こしているというのに、今日だけ急にパッタリと犯行を起こさないはずが無い。
奴は居る。
奴は間違いなく、今夜もこの町のどこかに居る。
しかし、まともに探し回っても奴は見つからない。
だから僕はまともではない方法で探す事にした。
自分の胸を見下ろすと、そこには鍵穴と縦に長い直方体の透明なプラスチックの塊。
プラスチックの塊の中には青い目の眼球。
あの日、ツンがくれた物を溶かしたプラスチックのなかに沈めて固めたものだ。
プラスチックには上部に輪のついた釘も入れて、そこに糸を通し、首からさげられるようにしてある。
僕は首からさげたそれを眺める。
神経や血管がぞろぞろと生えて、肉がこびりついたままのそれを見ていると、ツンといつでも一緒にいるような気がして勇気が湧いてきた。
大丈夫、僕は一人でもやれる。
深呼吸をすると、プラスチックで固めた眼球の隣の鍵穴へ鍵を差し込む。
手首と共に挿しいれた鍵を捻る。
頭の中に響くカチャリ、という音。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ!」
そして、僕の世界が開けた。
目に移るものひとつひとつが鮮明になり、ちらっと目の端に入っただけの人間の動作まですべてが頭の中に入ってくる。
周囲の人間の足音のひとつひとつまでもが、やけにはっきりと聞こえる。
これなら、探せる。
僕は勘を頼りに、思いつくまま、開けた世界の導くままに進んだ。
やがて、僕の嗅覚の端に、生臭い匂いが引っかかった。
間違いない、血の臭いだ。
これがドクオのもたらしたものとは限らないが、可能性が無いわけではない。
僕はその臭いの導くままに、道の十メートル程先で交わっている大通り、人通りの多い都市部付近へと向かった。
こんな人通りの多い場所で奴が行動を起こすとは思えなかったが、臭いの発生源を見て得心がいった。
それは廃ビルだった。
テナントが一つも入っておらず、持ち主ももう取り壊して土地を売るしかないと思っているのであろう、古めかしいビル。
成るほど、ここならば人を殺しても誰にも見つからない。
僕は廃ビルの狭い入り口を進み、階段を上っていく。
匂いがするのは二階から。
よく見れば床には何かを引きずったような痕がある。
多分、ここに人を運び込んだ痕だろう。
警戒しながら、ビルの二階にある部屋の扉を開ける。
瞬間、開け放たれたドアの向こうから漂ってくる血臭。
むせ返るように濃い、血と油と胃液と、ともかく人を構成する様々なものの臭い。
バタフライ・ナイフに手を伸ばしながら、慎重に部屋に足を踏み入れる僕の目に、鮮やかな赤色が映った。
そこは屠殺場だった。
絵の具をぶちまけたように、床に広がった血溜まりと、無造作に転がる人だったものの欠片。
壁には血しぶきが飛び散った痕。
おそらく、抵抗されたからだろう。
死体の四肢は付け根の部分から乱暴に切り取られて転がっている。
そしてやはり、死体の胸部の中心あたり、肋骨も筋肉も乱暴にへし折られ、ちぎりとられてぽっかりと穴を開けている。
その奥に本来収まっているはずの物、心臓は無い。すでに取り出された後なのだろう。
四肢を切られた時にショック死したのか、それとも出血多量で死んだのか、心臓を抉られて死んだのか、
定かでは無いが、死体の顔は苦悶の表情に歪んでいた。
涙と鼻水、それに涎で顔全体がぬるぬるてかてかと光っている。
僕はその光景を一瞥すると、油断の無い動作で周囲を見渡す。
死体に目をとられている内に奇襲をうけるかもしれない。
しかし、予想に反して部屋の中にドクオの姿は無かった。
舌打ちしつつ、死体に無造作に近づき、四肢の切断面に指をあてる。
しばらく触った後、軽く切断面の肉を押しながら、指を肉の中に突っ込む。
まだ暖かい。
次に、地面の血溜まりに指を伸ばすが、まだ凝固しては居ない。
間違いない、先程までドクオはここに居た。
そこで、外から薄い血の臭いを感じて、僕は部屋の窓にしがみつくように窓の外を見た。
そこには、あの夜に見た、ドクオの後姿と思しき影。
見間違えようも無い、中学生にしか見えない、猫背で痩せ気味のシルエット。
僕は一もニも無く走り出した。
人通りの少ない道を抜け、ドクオが薄暗い路地裏に入っていくのを確認した僕は、ドクオに続くようにそこへと入っていった。
多少息を荒くしながら路地裏に飛び込んだ僕が見たのは、鉈を振り上げるドクオと、何処から調達してきたのか地面に転がるその食料だった。
いや、正確にはこれから食料になる、と表現した方が正しいだろうか。ともかく、頭を明るく染めたシンナーで脳みそとろけてそうなDQNが転がされていた。
ともかく、そこには確かにドクオが居た。
ツンと同じく、胸には鍵穴が無い。
おそらく”開いた”後の人間、2ちゃんねらーには鍵穴が無いのだろう。
ドクオは振り上げた鉈を勢いよく降ろす。
まるで、屠殺場で鶏を絞めるような、何気ない適当な動作。
そこには業などと言えるようなものは一切無く、ただ力任せに振り下ろしたという印象しか無い。
その後に僕が聞いたのはふたつ。
肉を切り裂いた鉈が地面にぶつかる音と、ギャッとかぐあッとしか表現のしようのない、短い悲鳴。
男の足が、太ももの半ば辺りから断たれていた。
これで男は逃げられないだろう。
痛みで歯を食いしばり、震える食料を前に、ドクオは止まらなかった。
食料の上に馬乗りになると、滅茶苦茶に暴れる、食料の邪魔な両腕に適当に鉈を振り下ろす。
先程のような大振りでなく、小さいモーションで、包丁で肉を叩く時のように何度も何度も叩いた。
あっという間に食料の手が真っ赤に染まり、ズタズタになる。
いくつも出来た裂け目の隙間から、鮮血とぐしゃぐしゃになった筋肉、脂肪が垣間見える。
僕はなんとなくザクロを連想した。
甘いよなぁ・・・、ザクロ。
食料の両腕が動かなくなると、今度こそドクオは馬乗りになった体勢から、大きな動作で鉈を振り下ろす。
食料の胸の中心部にむけて。
柔らかく、少し弾力のある何かに鉄が食い込む音。
一瞬のうちに、繋がっている肋骨を全て断ち割り、心臓に繋がる血管を切断。
「ガァ・・・・・・・・ッ」
食料の喉の奥から短く何かが擦れるような、空気が抜けるような弱弱しい悲鳴を発する。
混乱しているのだろう。食料はただ何かを否定するかのように、ゆっくりと首を左右に振り続けるだけ。
ドクオは苦しむ食料にかまわず、鉈をさらに押し込む。
食料の口から苦鳴が漏れるが、すぐに苦鳴は止まる。
多分、死んだ。
ドクオの鉈が食料の胸の奥深くまで突き刺さると、ドクオは鉈をそのまま倒し、てこの原理で心臓を上へと押し上げる。
肋骨の奥底から、肋骨や筋肉を押し上げて心臓が盛り上がる。
次は、相手の左胸に鉈を叩き込み、同じように肋骨、筋肉、血管を切断。
肋骨を取り除き、肉に切れ目を入れて、心臓をつかみ出す。
途中、心臓から繋がったままだった血管を切断。
その間も、ドクオの表情には殺人への喜悦も忌避感も何も浮かばない。
ただ、食材を食べられる部位とそれ以外のゴミに分別する、それだけの作業を淡々と機械的にこなしているだけ。
ドクオは血の糸を引く心臓を完全に取り出すと、早速口に運ぼうとする。
食料の胸の中心に鉈を叩き込んでから心臓を出すまでに十秒もかかっていないだろう。
手馴れているな、と思った。
僕は冬の寒い空気に湯気をあげる心臓にかぶりつくドクオへと近づいていく。
カツン、とわざと音を立てて歩く。
ドクオが僕の足音に気づき、振り返る中、僕は軽く息を吸ってゆっくりと話しかける。
「なあ、それ美味いのかお?―――――」
・・・
・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
『―――お前は死ね。僕は(俺は)生きる。』
宣戦布告は一瞬。
口を閉じた瞬間にはドクオは走り出している。
対して、僕はその場にとどまりドクオを待ち受ける。
僕の持つバタフライ・ナイフは柄を合わせてもせいぜい20センチ程。
しかし、ドクオの鉈は刀身だけでも40センチはある。
間合いでは完全にドクオの方に分があるのだ。先制攻撃は難しい。
僕は迫るドクオに対して真正面から迎え撃つ。
ドクオの重心はやや低め。あれでは小回りは聞かないだろう。
そう思い、重心を高く構える僕の目の前で、ドクオの体が大きく沈んだ。
「――――――――――――――ッ!!!!!」
ドクオは前傾姿勢でさらに体を下へと沈めて踏み込んできた。
勢いをつけて脚力まかせに踏み込んできたのではない。
全く跳ねず、片足を地面につけたままでもう一方の足を大きく開いて踏み込んできた。
寸前まで呼び動作無しに大きな間合いを詰める事が出来るが、大きく前傾姿勢になった分、次のアクションを起こすにはバランスを整えなければならない。
一撃で勝負を決めに来たのかもしれない。
ドクオは地を這うような姿勢のまま、僕の足めがけて鉈を振り下ろす。
それに一瞬遅れつつも、僕は蹴りで迎撃。
突然沈んだドクオに動揺したため動きが鈍ったが、なんとか鉈を握るドクオの右手首へと叩き込む事が出来た。
しかし、ドクオは握った鉈を離さない。
単純に膂力の差だろうか。
右手を蹴り飛ばされ、ガードが開いたドクオの右側へとナイフを突き込む。
だが、ドクオは脚力だけで無理な体勢からとび跳ねて逃れる。
着地直後の隙を突いて僕が追いすがり、ナイフをさらに突き出すが、鉈の厚く、広い刃の側面で受け止める。
「・・・・・・・・・・・・ッ!!!」
僕がひるんだ隙に反撃に出るかとも思ったのだが、自分の体勢を立て直す事に専念し、僕から飛び退った。
意外に冷静だ。
ドクオはそのまま再び重心を低くして、僕へと接近してくる。
足を大きく開いて前に沈んでいくように進む歩法。
一歩一歩が大きい代わりに、一歩から次の一歩まで繋げるのに時間がかかるが、異常なまでの脚力でそれをカバーしている。
動きに緩急が付き、動きを捉えにくい上に、前傾姿勢、低重心、猫背が合わさってそれこそ地を這う蛇のように迫ってくる。
強い。だが、今の僕に恐怖は無い。
ただ、ドクオの打ち込んでくる先にナイフを持っていき、冷静にドクオの斬撃の軌道を防ぎ、受け流し、そらしていく。
数合打ち合ってわかったが、一件何も考えずに力任せに振り回されているように見えるドクオの鉈は、実に計算されつくして動いている。
地を這うような体勢で、下から上をめがけて、回転を動きに取り入れつつ遠心力を利用して鉈を振るう。
あの低い重心でよくこれほど機敏に動けるものだ。
ドクオは今度は僕の頭部を狙って鉈を横なぎに振るう。
だが、ドクオの攻撃は一撃一撃が大振りだ。
読めないわけがない。
僕はドクオの振るう鉈の軌道上にナイフを掲げて防ぐ。
しかし、ドクオの膂力は僕のナイフと、それを握る腕を弾き飛ばそうとする。
僕は左の掌底でナイフの背を無理やり押し返した。
思い切り打ち込んだ掌に、軽く鉈の刃が刺さる。
それに対して、ドクオは押された勢いに逆らわず時計回りに回転。
体だけ一回点させてこちらに向けると、遅れて体の回転運動についてきた右手を捻る。
すると、はじかれたままで僕に対して外を向いていた刃が内側に、僕を切りつけられる側を向いた。
そのまま、遠心力を利用して鉈を僕の腹めがけて叩きつけてくる。
僕は内心でニタリと笑った。
相手に腹を攻撃させる、それこそが僕の狙いだったからだ。
腹に仕込んだジャンプにドクオの鉈が食い込み、その手ごたえに動揺したドクオの動きが一瞬止まった。
僕らのこの闘いの中では致命的な一瞬。
ドクオがジャンプを無視してさらに鉈を奥へと突き刺そうか、いったん鉈を引き抜こうか迷った瞬間には、もう僕の右手は動いている。
ドクオはジャンプから鉈を引き抜き、逃れようとするが、僕の突き出した刃を寝かせたナイフは、ドクオの心臓へと一直線に突き進む。
咄嗟に鉈の柄から手を離し、その強い脚力で飛び退るドクオ。
僕は瞬時にドクオの後退するスピードから、ナイフをドクオの胸に刺すことが出来ても、浅い傷しか作れないと判断。
ナイフの標的をドクオの胸部中心やや左から逸らし、後退してナイフの横を通り過ぎていくドクオの右腕を切った。
刃が皮膚に当たった瞬間、無心でただひたすらに早く刃をこすり付けることを考える。
摩擦の力で、ナイフの刃はドクオの右手の皮膚を突き破り、血管を切断し、筋肉を裂く。
動脈が切れたためだろう、ドクオの腕から噴水のように透明度の高い血が飛び散った。
「ぐ・・・・・・・・・ッ!!!!」
ドクオの口から苦鳴が漏れた
ドクオは傷口を止血しようともせず、体勢を低くして身構える。
無駄だ、利き腕を失ったドクオに、もう勝機は無い。
それでも、ドクオには諦める様子は見られない。
それはこれまでこの街で狩を続けてきた、夜の王の矜持なのか、それとも腕を切られた怒りで我を忘れているだけなのか。
ただ一つわかる事は、ドクオの目はまだ死んでいないと言う事。
僕は素早く、腹のジャンプに刺さった鉈をジャンプごと引き剥がし、遠くへと投げ捨てる。
軽い痛みが腹を走った。
恐らく、ジャンプを貫通して鉈の刃先が腹筋の表面を少し裂いたのだろう。
ドクオのあまりの腕力に僕の背中を冷たい汗が伝った。
それに一瞬動きの止まった隙に、ドクオは距離をとる。
武器を失ったため、流石に攻めあぐねているようだ。
しかし、武器を失ったとはいえ、ドクオの妙な体捌きは失われたわけではない。
僕は警戒しつつ、ドクオに接近しすぎずに攻撃できる部位、すなわち腕や足を狙って切り付けていく。
ドクオは重心を低くしたまま、斬りつけられた右腕をだらりと下げて回避運動に専念。完全に防戦一方だ。
勝算が無くとも怒りで我を忘れて食いついている愚か者なのか、それともただ逃げる機会を覗っているだけの臆病者なのか。
だが、少なくともドクオは愚か者でも臆病者でもなかった。数瞬後、僕はそれを思い知った。
やはり、重心が低く、猫背なため、視界の下のほうをチョロチョロされると狙いにくい。
このまま戦況が膠着するかに見えたその時、ついに僕のナイフの切っ先がドクオの右足のひざ上、動脈を切り裂いた。
ドクオの右足から鮮血が飛び散る。
これでドクオは利き腕に続いて効き足も失った。
―――もらった!!
僕は確信と共に、ドクオの心臓めがけてナイフを突き出した。
その時に僕が垣間見たドクオの目を何と表現すれば良いのか。
僕がナイフを突き出したその時、確かにドクオの目が昏く光った。
それはまるで、棋士が苦境の中で逆転の一手を見つけたような、
獲物を求めて、水場のそばで何時間も何日も不眠不休で隠れ潜んでいた狩人が、ついに獲物を狙撃できる瞬間を見つけたかのような、そんな光だった。
そう、ドクオは待っていたのだ。僕がドクオを仕留めにかかり、心臓を狙うために大きくドクオの間合いへと踏み込んでいかなければならない一瞬を。
切り刻まれたドクオにはもう余力が無いと判断して僕が接近する、どうしても隙が生まれてしまうその一瞬を。
ドクオの目が見開かれると共に、その左手が高速で動いた。
その左の親指が、ナイフを握る僕の右手の親指の付け根を無理やり押し上げた。
右手に作られた隙間を、ナイフが滑り落ちていく。
追い詰められていたはずのドクオの思わぬ怪力に、僕は完全に不意をつかれる形になった。
「な・・・・・・・・・ッ!!!!」
僕は慌てて残った四指でナイフを?みなおそうとするが、ずり落ちていくナイフの刃を?んでしまい、ナイフが軽く指に食い込む。
そこへ、ドクオがナイフの柄をつかんで僕の手から引き抜いた。
慌てて指から力を抜くが、指を結構深くまで切られた。
ぶしゅっ、と血が飛び散る。
慌ててこぶしを握り、無理やり止血。
ぼたぼたと指の隙間から血が滴り、地面に赤い斑を作る。
だが、僕はそんなことには目もくれず、左手で急いでパーカーのポケットからメスを取り出す。
相手の息の根を止めようと繰り出されたお互いの左腕が交錯。
ドクオが僕から奪い取ったナイフをにぎり直し、心臓めがけて突き出してくるのと、
僕がメスを取り出して構えようとしたのはほぼ同時。
しかし、突き刺さったのは僕のメスの方が先だった。
対するドクオのナイフは、僕の胸の前で軌道を反れて、そのせいで僕の胸骨と肋骨の接合部あたりを軽く撫で、滑り、胸部の肉を軽く裂くに留まった。
僕のナイフは既にドクオの心臓の肉を突き破っている。
手にはわずかに、ドクオの心臓にできた傷穴から血が噴出す、分厚い風船が破裂するような感触。
ドクオは死んでいた。
僕がナイフを引き抜くと、ドクオがどさりとその場に倒れた。
盛大に頭から地面に叩きつけられるが、命を失ったドクオがその衝撃を感じる事は二度とない。
「・・・・・・・・・・・・。」
僕はドクオの死体を眺めながら、ゆっくり息を吐き出す。
紙一重だった。
あと一瞬でも僕が遅かったら、おそらく死んでいたのは僕だっただろう。
ドクオがあのまま力を込めていれば、僕の肋骨ごと心臓に穴をあけられていただろう。
感慨にふけりながらも、ドクオの左手に握られたままのバタフライ・ナイフを、指紋をつけないようにハンカチを被せた手で取り上げる。
あちこちに自分の血が飛び散っているのに、いまさら指紋が何だ、とも思ったが、血は僕から採取してここから採取した血と比べなければ僕のものとはわからないはずだ。
なんだか色々な考えが頭をめぐったが、何もかも面倒になったのでさっさとその場を後にした。
疲れもあったが、何よりもドクオにつけられた傷が痛んだ。
路地裏から出る前に、僕はドクオの死体に一瞥を向ける。
あれほど強力な力を秘めていたはずの小さな体躯は、生命力に満ちていた筈の体は、いまや見る影も無い。
周囲に絶望を与えていた、あのひたすらに暗い深遠のような目すらも、死体となった今は驚愕に見開かれ、自身が絶望に塗りつぶされている。
惨めなもんだな。
そう思った。
死ねば皆惨めだ。
生前は尊敬してやまなかった父も、死ねばただの腐肉となった。
あの日、首を切った彼女も、今となっては思い出すことすら稀だ。
なんとなく胸に空虚さを抱えながらも、僕はできるだけ早足でその場を後にした。
そのせいで、僕が、僕とドクオの死体を眺める視線に気づく事はなかった。
「で、なにがあったの?」
ツンの第一声はそれだった。
まだ傷が治りきっていないので、無断で学校を欠席した僕を心配してやってきたのだ。
今、僕は自室のベッドに腰掛けていて、ツンは僕のパソコンでVIPに書き込みをしている。
「別に何もないお。ちょっと階段から転げ落ちたんだお。」
僕は適当に誤魔化す。
ドクオとの事でツンには無駄な心配をかけたくなかった。
「ふーん。内藤の家には随分と危ない階段があるのね。」
そう言ってツンは僕の右手を軽く握る。
「・・・・・・・・・ッッッ!!!!!」
僕がのけぞる。
無論、2ちゃんねらーになって身体能力が上がったとはいえ、右手の傷は一晩経った今も未だに治りきっては居ない。
無茶苦茶痛い。
痛がる僕を尻目に、僕が何かを隠している事を感づいたツンが、ムスッと不機嫌そうな顔をしながらもキーボードを叩いて文章を打ち込んでいる。
「そんな事よりツン、あの目玉、ありがとうだお。」
ツンの険悪な表情を和らげようと、僕は必死で話題をそらす。
クリスマスのあの夜を思い出したのか、多少だがツンの表情が嬉しげなものに変わる。
その視線は、PC用デスクの隅におかれた透明なプラスチック製の縦長の直方体。
その中に閉じ込められた青い色をした眼球がツンを眺めている。
「こんな事してまで、保存しておいてくれたの?」
「ツン――――」
「ん?」
「―――ありがとうだお。」
僕はもう一度言った。
ツンの頬が赤く染まる。
思わず僕の口からも笑いが漏れる。
良く見れば、プラスチックの直方体は、隅の角が削り取られている。
そう、あのドクオの左手のナイフと、僕の左手のメスが交錯した一瞬、
ドクオのナイフの軌道をずれさせたのは、僕の首から下げられたこのプラスチックの直方体だった。
ナイフがこれにぶつかり、軌道を反らされたおかげで、僕は左胸の肉を肋骨あたりまで軽く撫で切られるだけで済んだ。
これを作るきっかけになった、中身の眼球をくれたツンには感謝で頭が上がらない。
「・・・・・・・・・・・・。」
ツンは頬を染めながら、照れ隠しのように大きな音を立てながらキーボードをタイプする。
僕はそんなツンの様子を微笑みながら眺めていた。
プラスチックの直方体が、窓から差し込む日の光を反射してきらりと輝いた。
僕にとってそれは、世界中のどんな宝石よりも輝いて見えた。
ただひたすらに、幸せだった。
第八話・完
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