ブーンがシリアルキラー(連続殺人鬼)になったようです。  9、自殺行路





残された最後の望みは、自分の頭が切り落とされ、血しぶきが噴き出す音をこの耳で聴くことです

     ―――”デュッセルドルフの吸血鬼”ピーター・キュルテン
         上の台詞は彼が逮捕され、ギロチンで首を切られるまでに愉快そうに語ったもの。
 




「猟奇殺人鬼を追っていたら、面白いのに当たったな、フサ。」

モニターの前に座る二人の男のうち、一人が言った。
染めたものではなく、自然な色とつやを持った長い金髪の、長身白皙で欧米系の外国人だ。
しかし、彼が喋ったのは流暢な日本語。

「はい。この連続猟奇殺人犯―――ドクオという名前なのですが、彼を追っていたら偶然にもこの現場にたどり着きました。」

長身白皙の男にフサと呼ばれた男がそう返した。
こちらはファー付きのコートを着て、ボサボサ髪の毛を茶に染めた、浅黒く肌の焼けた男だ。
口を開くたびに、犬のような犬歯が唇の隙間からのぞく。
男の名前はフサギコ。本名ではないが、彼が目の前の長身白皙の男に仕えるようになってからは、それが彼を指す名前となった。



「で、こいつは何だ?」

長身白皙の男が指差したのはデスクトップPCの液晶モニターだ。起動されているのはリアルプレイヤー。
再生されている動画の中で、二人の男が殺しあっている。
今、丁度ナイフを持った猫背気味の男とメスを握った男の左手同士が交錯しているところで、長身白皙の男が指差しているのは、メスを握っている方の男だ。

「名前は内藤ホライゾンというようです。2ちゃんねらーのようですが、ドクオと比べて新参のようですね。」

フサギコは訓練された猟犬のような口調と態度で答え、己の鼻を右手の人差し指でトントンとつつくと、さらに続ける。

「”臭い”から察するに、ドクオの方が半年、内藤がまだ一ヶ月経つか経たないか、といったところでしょう。」
「一ヶ月、か。」

男は「一ヶ月」という単語をもう一回口の中で呟くと、やがて短く笑った。

「面白い、面白いな、これは。思わぬ収穫だ。たった一ヶ月でここまで”はずれる”ものなのか。こいつはいい。」

面白いとは言うが、先ほどから男の口調も表情も退屈そうだった。
動画を眺めるその目に、あまり興味はなさそうだったが、それなりに長く彼に仕えているフサギコには、彼がどうしようもないほどに動画の中の男に興味を持っていることがわかっていた。

「こいつだ。こいつを見張ってみろ。」

だから、男がそう言うであろう事はフサギコには予測済みだった。


フサギコは短く、しかしはっきりと「はい」と返事をして、主の部屋から立ち去った。
主が見張れと言った以上、彼は見張らなければならない。
一分、一秒でも長く見張れるように、一分、一秒でも早く監視を開始しなくてはならない。

「あと、妙な連中も周りをウロチョロしてるようだからな。面倒だったら殺しても構わんぞ。」

消え行くフサギコの気配に向けて、男が言った。
「はい」という返事が部屋に響き終わるか終らないかという内に、フサギコの気配は完全に屋内から消えた。
後にはモニターを眺める男だけが残った。







夕方、僕は部室で本を読んでいた。
読みながら、考えていた。
昨夜、ドクオを殺したあの路地裏をもう一度訪れたのだが、血の後を残してドクオの死体は掻き消えていた。
地面には血だまりの他にも、何かが這ったような、ひきずられたような血の跡。
警察が見つけてどこかに運んでいったのだろうか・・・・・・。

「・・・・・・・・・・・・君、内藤君。」

だとしたら、警察は一通りあのあたりを調べた事になる。
僕の血も検出されている事だろう。
これからはいっそう目立たないように行動しなければならない。

「内藤君、聞いてる?」

と、ここにきて、やっと僕は部長に声をかけられていることに気がついた。

「なんですかお?」
「だからさ、やっぱり首吊りしか無いんじゃないかなって。」
「は?」



いきなり何を言い出すのか、この人は。
しかし、部長が唐突に自殺だのなんだの言い出すのは何時もの事なので、軽く聞き流しておく。

「首吊りって、頚動脈が閉塞されるから酸欠で意識が朦朧としててあまり苦しくないんだってね。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「何処か、私の体重を支えられそうな木の枝とか、探しておかないとね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「それから、縄も買わないと・・・・・・・・・。」

何かあったのだろうか、今日の部長の声はやけに沈んでいる。
なんというか、痛々しい。

「なんで部長はそんなに死にたがるんですかお?」

僕は思わず聞いてみた。
すると、部長は堰を切ったかのような勢いで話し始めた。

「私はね、生まれてきた事自体が間違いだったんだよ。生きていてもつまらないし、楽しいなんて思えたことは一度も無い。
 毎日毎日、同じような授業受けて、同じような物食べて、同じような人に合って、同じような事ばっかりしてるのに、なんで辛さだけは増えてくの?
 なんでこんなに苦しいのに生まれてこなきゃいけなかったの?どうして?
 何も知らないうちに生まれてきちゃったのに、どうして死のうとする時だけこんなに覚悟しなきゃいけないの?」

部長は一通り言いたい事をまくし立てると、ため息をついた。
僕はというと、普段物静かな部長の変わりように唖然としていた。
部長でもこんな風に感情的にしゃべる事があるのか。
そんな考えで頭の中が埋め尽くされて、何も考えられなかった。




「もう・・・嫌だよ・・・。こんなの・・・。死にたいよ・・・・・・・・・。」

それは、僕が初めて見る部長の感情的な表情だった。
痛々しい、本当に痛々しい顔。
悲憤慷慨、九腸寸断、意気阻喪。
そのどれもが当てはまる、何か大きな苦しみに耐えるような、必死な顔。

「・・・・・・・・・死にたいよ。」

もう一度、今度は自嘲気味に部長が言った。
僕は最初は呆然としていたものの、しばらくして思考力が戻ってくると共に激しい苛立ちを覚えた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

なんなんだろうか、この人は。
誰だって辛い。苦しい。生きるのは嫌な事の連続だ。
僕だってできる事ならドクオの事や、警察の事なんて考えずに、思うままに生きたい。
けれど、それはできない。
だから面倒なのも嫌なのも我慢して、なんとか折り合いを付けて生きている。

「・・・・・・・・・・・・そうですかお。」




生きるのは辛い。
毎日同じような事ばかり続けなければならない苦痛。
同じはずの生活の中で、唯一変化がある苦痛や疲労。
それだけが連続していく惰性の中で蓄積され、大きくなっていく。
嫌なものだけが代わり映えのある毎日。
けれど、それがどうした。
そんなものは誰だってわかってる。
誰だって我慢していきてる。
そんな事をいまさら主張してみたところで、
そんな事を愚痴ってみたところで意味は無い。
今更そんな事には何の意味だって無いんだ。

「じゃあ、死ねばいいですお。」

僕は机から立ち上がると、ゆっくりと部長に近づいていく。

―――落ち着け、落ち着け僕。

だが、僕の足は止まらない。
僕の怒りが足を止めようとはしてくれない。
そう、僕は怒っていた。
どうしようもなく、怒っていたのだった。



「縄なんてつかわなくても、もっと楽な方法がありますお。」

僕の口は自然と言葉をつむぐ。

「こうやって、両側から頚動脈を圧迫するんですお。気管はできるだけ押さないようにするから痛くないはずですお。」

突然の僕の行動に驚いた部長は、軽く目を見開く。
そんな部長にはお構い無しに、僕の手は部長の喉へと伸びた。

「頚動脈が閉塞して、脳に血が回らなくなれば、ほんの数十秒で意識が落ちますお。ああ、心配しなくても、わけがわからないまま、ボーっとした意識の中で死ねますから。」

僕の手が部長の首筋を両側から押さえつける。
部長の透き通るような首筋は、まるで無機物をさわっているかのように冷たかった。
しばらくは脅えていた部長だが、やがてその目は穏やかなものへと変わっていく。
死ねる事が幸福だとでも言うかのように。
それを見て僕の腹立たしさはさらに膨れ上がった。
最初はやんわりと圧迫するだけだった両手に、少しずつ力を篭めていく。
部長の意識が薄れていくのを見計らって、気管も圧迫。
最終的には、万力のような力で押さえつけて、完全に頚動脈を閉塞させる。
脳に酸素が回らなくなり、脳虚血で意識が朦朧としてきたのか、部長は目を細める。
が、ここに来て急に部長の腕がびくり、と動いた。
自分の意識が遠のいていくのがわかったのだろう。
本来なら、そんな事を自覚する間も無くスッと逝ってしまうはずなのだが、
わざと僕がじわじわと頚動脈を圧迫していったのだ。




「・・・ぁ・・・・・・・・・ぁぁ・・・。」

部長の口から小さな、途切れ途切れの声が漏れた。
恐らく、「助けて」とかそんな感じの言葉。
しかし、部長はもうまともに声を出すことすら出来ない。
部長の必死の懇願は意味の無い音としてでしか、周囲には響かなかった。
やがて、抵抗するようにびくびくと動いていた腕も、動かなくなり、部長の意識が落ちる―――

――寸前で僕は手を離した。

「ゲホッ、ゲホッ・・・・・・ゲホッ・・・。」

部長はその場に倒れこむと、目元を赤くして涙を滲ませながら盛大に咳き込む。

「死にたいんじゃなかったんですかお?」

必死に意気を吸い込んで吐き出すという単純作業を繰り返す部長に、僕は容赦なくそう問うた。

「・・・・・・・・・・・・・・・ッ!!!!!!」

部長が息を飲む。
土壇場で自分が死を拒否した事をしっかりと自覚しているのだろう。




「もういいでしょう、部長。あなたは本当に死にたがってるわけじゃないですお。ただ、いざとなったら自殺すればいいと自分に言い聞かせて安心しようとしてるだけですお。」

部長は何も答えない。
彫像のように、床に手を着いた姿勢のまま固まっている。

「あなたはただ、自殺、自殺と連呼して、同じようなものばかりのこの世界で、自分が特別なものだと安心したいだけなんですお。」

その時、部活の終了を告げる鐘が鳴った。

「あなたは死ね無い。」

短くそう告げて、僕は部室を出た。
頭に血が上っているせいか、力を篭めて部室の扉を閉める
怒りによる高揚感の中、僕は何故自分がここまで腹を立てているのかわからなかった。
部室の中から小さな嗚咽が聞こえてきた。















深夜。
路地裏の入り口に張られたKeep Outと書かれたテープ。
封鎖された路地裏の奥で蠢く者達が数人。
現場から遺留品等を採取している検察達だが、その中に明らかに異質な者達が二人。
黒髪黒瞳の男、日浦相馬(ひうら そうま)と明るい茶に髪を染めた男、城嶋敬(きじま たかし)だ。
仕立てのいい黒いスーツ姿の日浦はともかく、軍パンとどこかのメーカーのロゴの入ったシャツの上からGジャンを羽織っただけというラフな格好の城嶋は、作業着だらけの検察達の中で浮いていた。
闇の中で、城嶋の腕につけられたシルバーのブレスと、首にかけられた同じく銀製のアクセサリだけが輝いている。
しかし、二人が検察官達と同じ制服や作業着を着ていたとしても、百人中百人がこの集団の中から二人を”異質だ”と見分ける事ができるだろう。
二人を異質たら締めているもの、それは雰囲気だ。
彼等の足元にあつのは、地面に広がって凝固した血の痕と、それが這った様な、引きずられたような痕。
そしてその血の痕より少し離れた場所に打ち捨てられている、腐敗の始まった心臓の無い死体。
死体を見慣れているはずの検察官達でさえ、それらを前にして嫌悪感を示しているというのに、この二人にはそれらの感情が全く無い。
日浦は相も変わらず不機嫌な表情で、城嶋に至っては、敏感に血や暴力の臭いを嗅ぎ取って普段よりもさらに笑みを深めている節さえある。

「で、あのガキはどこ行きやがった?」

煙草を咥え、オイルライターで火をつけようとしていた日浦が、こめかみに多少力を入れて極力怒りを押し殺した声で言った。
日浦の言う”あのガキ”とは、彼等が独房から引っ張り出してきた少女の事だ。
彼等と行動を共にしていた無駄にぎゃあぎゃあと騒いでいた少女が、今はどういうわけか見当たらない。

「なんか日浦さんが自販機で煙草買ってる間に『買い物行く』って行っちゃいましたよ。連絡は携帯にって。」

城嶋が言った瞬間、日浦が火の着いたままのオイルライターを握り潰した。
火が無理やり消されるジュッ、という音が響いたが、日浦に暑がったり痛がったりする素振りは見られない。
ライターを握りつぶした腕は抑え切れなかった怒りがにじみ出ているかのように小刻みに震えている。




「あのガキ、自分の立場わかってんのか?」

自分で握りつぶしてしまったオイルライターを苦々しげに見つめ、ポケットから使い捨ての百円ライターを取り出すと、日浦は言った。
内心の怒りを押し殺しつつも、日浦は考えを巡らせる。
この場合、少女の方は問題ではない。
あんな大量殺人犯を駒として使おうというのだ。それなりの処置は施してある。
少女の首筋、下手に取り出そうとすれば頚動脈を傷つけてしまうような位置には発信機が埋め込まれている。
よく少女の首筋を観察すれば、その部分だけ少し膨らんで見えるはずだ。
つまり、離れていても少女の行動はある程度把握できる。
それに、いざという時は日浦が出て行って少女を処理するだけだ。
自分の力に対する絶対的な信頼と自負、そしてそれらが原因の、大胆とさえ評価される“荒い”仕事ぶり。それこそが日浦がこの場の、この仕事での責任者に任じられた大きな要因となっている。

「それより、だ。」

そう、今は少女のことより考えなくてはならない事がある。

「この出血量だ、連続猟奇殺人犯が死んでるのは疑いようが無い。問題は誰が殺したのか、という事だ。」
「死んでくれたんなら別にいいんじゃねーっスか?これで俺等の仕事も終わりでいいじゃないッスか。」
「お前等の仕事は2ちゃんねらーを捕まえるか殺すかすることだろうが。豚箱に叩き込まれたいか?」
「そんな、俺まだ何も悪い事やってねーじゃねーッスか、実際。」
「そんな事はどうでもいい。これだけ派手に暴れまわってた殺人犯を殺したんだ。今この街に存在する最大の脅威はコイツだ。」
「ちょwwwそんな事ってwwwあんたwwww」




城嶋は「メンドーなのはゴメンッスわ、マジで」等とぼやいているが、その笑顔には普段のヘラヘラした笑い以上の何かが確実に浮かんでいた。
なおもごちゃごちゃとわめく城嶋を尻目に、日浦は紫煙を吐き出しつつ空を見上げた。
この街の夜に、星は見えない。
ただ、ただ、夜空の中央に居座るように黄色い明かりが浮かんでいる。満月だ。
狼男ではないが、満月の夜には血が騒ぐ。
どうしても凶暴な衝動が心の奥底から沸いてくる。
当初の目的だった連続猟奇殺人犯は死んでいる。
ならば、もう日浦達にこれ以上することは無いはずだ。
連続猟奇殺人犯を殺した人間が危険かどうか判断するのも、日浦ではなく”上”の方の人間たちだ。
が、日浦はあえて連続猟奇殺人犯を殺した人間を追おうとしている。
あるいは、あの少女や城嶋よりも日浦自身の方が暴力に植えているのかもしれない。

――満月はいい。何か心の奥に少しずつ染みてくるような迫力がある。

日浦は夜空を眺めつつ、いずれ自分が行使するであろう暴力への喜悦に我知らず震えた。







―――満月は嫌いだ。なんだか空の上から見られているような気がして、落ち着かない。

僕が空を見上げると、底には偉そうに、唯一夜空に浮かんで輝いている満月。
一体何様のつもりなのか知らないが、でかい顔して僕等を見下ろしている。
本当に、苛立たしい。
僕は満月というのが嫌いだ。
特に理由はない。
だが、人生の中で人間が下す決断の殆どは、最終的にはそういった理由のない感覚に依るものが多いのではないだろうか。

「で、どう思うお?」

自分ひとりの意見で納得してしまうのも何なので、参考がてらに僕は目の前のそいつに尋ねた。

「ヒ・・・・・・・・・ッ」

だが目の前の女は人が質問しているというのに意味のない、喉を空気が通り過ぎるような音を発するのみ。
馬鹿にされているのだろうか。
僕はわりかし真面目に質問したつもりなのに。
一体何様のつもりなのだろう、この女。
ちなみに僕の目の前で左肩と左の大腿から血を流しているこの女は、僕が近くを通るなり声をかけてきたキャッチ。
どうせマルチだかネズミ講だかの勧誘だろう。ちなみに、女の左肩と左の大腿から先には何もない。切断面が広がるだけだ。
他人に迷惑をかけるなんて、最低な女だ。
そう思い、女の顔にナイフを走らせるが、女はもう何の反応も示さない。


先ほどまではあれだけ「神様、神様、神様」とか「許してください」とか叫んでいたというのに一体どういう心境の変化なのだろうか。
これだから女心という奴はわからない。
まあ、生きたまま目の前で自分の左手と左足を解体するところを見せられたのだから無理もないだろう。
そう無理やり自分を納得させる。
何の反応も示さなくてつまらないので、いよいよもって殺してしまおうか、そう考えた矢先、僕の後ろからメスが飛来。
一体どれほどの力が込められていたのか、メスは女の眼球に突き刺さり、そのまま脳へ到達し、女を絶命させた。

「・・・・・・・・・酷いお。」

僕はメスの飛来と共に背後に現れた気配に向けて呟く。

「酷いお、ツン。僕の獲物だお。」

僕の後ろに立っているのはツン。
僕がキャッチに興味のある振りをして適当に殺す。
そういう段取りだったはずだ。
これは酷い。
まだこれから、生きたまま自分の腸をリボン結びにされる人間の表情を観察していこうと思ったのに。
僕は恨めしげにツンを見る。




「・・・・・・・・・・・・。」

しかし、ツンはさらに不機嫌そうな顔をしていた。
唇をきつく結び、僕をねめつけている。
一体何を怒っているのだろうか。
僕には全く心当たりがない。
学校では何時も起こられてばかりだが、この”狩り”の最中に怒られるような事はしていないはずだ。
しかしツンは怒っている。
では、僕は一体何をしてしまったのだろうか。
自分の先ほどまでの行動を振り返ってみる。
このキャッチについていって、人通りが少なくなったあたりで後ろから腎臓をぐさり。
後は適当な暗がりにつれこんで手足を夢中になって解体していただけだ。
ん?
”夢中になって”?

「もしかしてツン、妬いてるお?」

僕はここでツンが何に対して気分を害しているのかなんとなく分かった。
目の前に転がっているのは獲物でしかない。女であれ、男であれそれは関係の無い事だ。
しかし、ツンから見れば、自分以外の異性に僕が夢中になって行動を起こしている、というのは気に入らない事なのかもしれない。




「な・・・ッ!!!バ・・・・ッ!!!違うわよ!!!!突然何言ってんの!!!」

僕が尋ねるとツンが突然うろたえ出す。
ツンの顔は耳まで真っ赤になっている。
なんだか面白かったのでそのままずっと眺めていたら、ツンに殴られた。

「もう今日はこれで解散っ!!じゃあね!!!」

ツンはそう叫ぶとさっさとその場から立ち去ろうとする。
どうやらツンの機嫌をそこねてしまったようだ。
背を向けて僕から離れていくツンの首筋を見ていたその時、僕の心の中で何かが蠢いた。
瞬間、自分の脳裏に生まれた思考を否定する。
僕の手が、反射的に震える。

「・・・・・・・・・・・・ッ。」

わけのわからない衝動に下を向いて耐えていると、やがてツンの姿は見えなくなり、足音も聞こえなくなった。
僕はなんとなしに夜空を眺める。
夜空の真ん中には、やっぱり偉そうにふんぞりかえっているような満月。
それを見ているうちに何もかも満月のせいのような気がしてきた。
腹立たしい。


僕は、はあ、とため息をつくと、自分の胸の鍵穴に鍵を突っ込んで捻った。
すると、それまで僕の感じていた世界が一変する。
何もかもが鮮やかで輝いて見えていた世界が、急に狭くなって色あせてしまったような感覚。
鍵穴を閉じる時のこの感覚は好きになれそうにない。
なんだかよくわからないが、むかむかした気持ちを抱えたまま路地裏から出ると、そこにそいつが居た。

「よ!」

そいつは小さかった。
そいつはやけに明るい顔で笑っていた。
まるで毎日顔を合わせている見知った仲のように、そいつは気さくに声をかけてくるなり、何かを握った手を振り下ろしてきた。
銀の孤影が暗闇の中で瞬いた。

「な・・・・・・・・・ッ!!!」

殺気が無かったために気づくのが遅れたが、僕は慌ててのけぞるようにそれを避ける。
銀影が僕の顔の前を通り過ぎていった瞬間、確かにその正体が見えた。そいつの振るったのはカッターナイフだ。
それほど大きいものではない。そこらの百円ショップで一本百円で売られているような、何の変哲も無いカッターナイフ。

「やるじゃん。」

そいつは笑いながら、短くそう告げる。


改めて相手をよく見た僕の目に飛び込んできたのは、小学校高学年かそこらという程度の年の少女だった。身長はおそらく、僕の鳩尾辺りまでしかない。
黒く、ツヤのある髪の毛は長く伸ばされており、白いシャツの上から男物の、銀色のボタンがたくさんついたデニムの黒いジャケットを羽織り、ボトムには細身のジーンズを穿いている。
そして、ジャケットのボタン以外にも銀色に光るものがある。
ジーンズに通された太めのベルトの左右両側面には銀色の、鍵束などに使われている輪が取り付けられている。
そしてそれらの輪に取り付けられ、ぶら下がっている十本近い数のチェーン。
チェーンの先は、同じくベルトの両側面に取り付けられた黒い皮製の煙草を入れるためのケース―――確か、缶コーヒーの懸賞で当たる奴だ―――に突っ込まれている。
それぞれのチェーンの長さはまちまちで、少女が動くたびにジャラジャラと音を立てる。
だが、そんな奇抜なファッションよりも目を引くものがある。
正確に言うなら”無かった”というべきか。
少女の胸には鍵穴が無い。
2ちゃんねらーだ。

「一般人の癖にいい反射神経してんだね、オニーサン。」
「な・・・、おま、誰、」

僕がどもりながら少女が何のつもりでこんな事をしてきたのか尋ねようとしたのだが、少女はお構いなしにさらにカッターナイフを振るった。
やはり殺気は無い。
楽しそうな表情から察するに、”遊んでいる”。
僕は急いでナイフを抜き、カッターを受け止める。
そのまま二合、三合と切り結ぶが、四合目にしてついに薄いカッターナイフの刃がべきり、という音を立てて半ばから折れる。
少女が少し驚いたような、嬉しそうな顔でカッターナイフの刃を収めて後ろに下がる。
そのまま少女は腰から上を後ろに曲げ、足はぴしっと伸ばす。心なし僕に対して斜に構え、曲げた上半身だけを僕の方に向ける。
さらに片手は腰に、もう片方は微妙な角度で手首を捻り、掌を広げて顔の側に持っていき、完璧なジョジョ立ちを決める。
「ズッキューン」とか「ゴゴゴゴゴゴゴゴ」とかいう擬音が背景に出そうな程完璧に。
だが残念な事に、少女にジョジョ立ちはまったく似合っておらず、ちぐはぐな印象しか受けなかった。




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