「何者だおまえッ!!!只者じゃないなッ!!!」

そして笑いながら、冗談半分にそんな事を言う。
それは僕の台詞だ。なんなんだこのジョジョ紳士、いや、ジョジョ淑女は。
僕はかわいそうなものでも見るかのような、哀れみの視線を少女に送りながら口を開く。

「いったい何のつもりだお。っつーか、おまえ誰だお。」

僕のその質問は予測していたのだろう。
待っていましたとばかりに頬を歪めて笑いながら、少女が答えた。

「ラスカ。つっても、わかんないかなぁ・・・。」
「・・・・・・・・・・・・ッ!!!!」

少女は嬉しそうにその名前を口にしたが、僕は内心動揺しまくっていた。
ラスカ、三つの小学校に爆弾をしかけ、噂では追いすがる警察官をカッターナイフ一本で返り討ちにし、百人以上を殺傷した殺人犯。
「犯人の画像」としてインターネット上に晒された写真に写っていた少女が着ていたシャツに印刷されたアラスカの文字からつけられたニックネーム。
当然、ここ最近VIP漬けになっている僕がそれを知らないわけが無い。
よく見れば、少女の顔はVIPに晒された画像で見たことのあるような気もする。

「なんだ、知ってるんじゃん。」

僕の驚愕の表情を見て、ラスカが満足そうに笑う。




「何のつもり、って言ったわよね。そりゃあオニィサン、あーた、決まってるでしょ。こんな夜中の誰も居ない道の上で二人きり―――」

そこでもったいぶる様に一度言葉を区切り、さらに笑みを深める。
一体何を言うつもりなのか。
一体、この大量殺人犯はどういう理由でこんな事をしてるのか。
そもそも、保護観察処分を受けたはずのこの少女が何ゆえ堂々と(人通りの無い深夜だが)外を歩き、なおかつこんな事ができるのか。
少女の返答によってはどうなるかわからない。
それに供えてポケットに入れた家の鍵を掴んでおく。
僕がごくりと唾を呑み込んで緊張しながら続き待っていると、少女が再び言葉を発した。

「―――カツアゲに決まってんでしょ。」
「――――は?」

幼い少女の口から出た全く似合わない単語に僕の思考が停止。口を目をあんぐりと広げる。

「カツアゲ、知らないの?恐喝の事。他人をおどして金品を巻き上げる。」
「いや、それは知ってるお。」
「『よくも人様のカッター折ってくれたのぉ、ワレぇ、眠たい事言ぅとらんと払うもん払えや、ぼけ』、要するにそういう事。」
「・・・・・・・・・・・・。」

僕は再び生暖かい視線を少女に向ける。
ああ、わかった。こいつはアホの子なんだ。可哀想に。
だがラスカは僕の哀れみの視線など何処吹く風とでも言うように、何がそれほど面白いのか笑いながら話し続ける。




「いやいや、参った参った、参っちゃった。コンビニでカッターの刃補充したかったんだけど、もうお金ないもん。
 嫌な世の中だよね、何をするにもお金お金、まったくお金様は大切だねえ。
 そういうわけで四の五の言わずに金出しなさい。何時か多分返すから貸しなさい。早く。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

僕はポケットで握っていた鍵を離し、サイフを取り出す。
なんだか、相手にするのが馬鹿らしくなってきた。
それより今は、さっさと家に帰って寝たい。

「で、いくら居るんだお。」
「有り金全部ッ!って言いたいところだけど二千円で我慢してやるっ!早く貸せ!」
「・・・・・・・・・・・・。」

ああ、不思議だなあ。どこからかピキピキという擬音が聞こえてくる。
よく耳を澄ますとそれは自分の頭の中から響いていた。
いわゆるこれが、怒りで血管が切れそうになる音か・・・。
僕はそんな感じで少女の居丈高な態度に腹を立てながらも少女に千円札を二枚差し出す。

「無期限無利息でありがたく借りといてやるッ!」
「・・・・・・・・・・・・。」

どうでもいいからジョジョっぽく叫ぶのやめてくれ。
うるさくてかなわん。
だが、少女の目に宿った光や笑顔は明らかに僕がジョジョという単語をだしてツッコむのを待ち望んでいる。
これ以上わずらわしい事に巻き込まれるのはゴメンなので、僕はさっさと背を向けて家路に着く。
が、立ち去ろうとする僕の服の袖を少女が掴んだ。



「・・・・・・・・・何だお?」

僕が押し殺した声で尋ねると、少女は笑いながら言った。

「金貸すついでにさ、宿も貸してくんない?」
「は?」

何言ってんだこいつは。
いきなり人に切りかかってきておいて、金までふんだくって、さらに泊めろと来た。
馬鹿にされているのだろうか。

「絶対やだお。」
「そんな事いわずにさあ、頼むよニィサン。気前いいトコ見せてくれよお。
 今帰ったら怒られそうだし、道端の石に躓いたと思って一晩宿貸してくれよ」
「事情はわかったお。だが断る。」

僕は強い口調でキッパリと断った。
成るほど、確かにこの殺人犯に帰る場所は無いだろう。
だからといって、こんな大量殺人犯のイカレに同情して宿を貸してやる気にはなれない。
もしもこいつが警察に追われている身なのだとしたら、こいつを追ってきた警察に僕まで捕まりかねない。
それに何より、まだツンも泊めた事が無いのに、何が悲しくてこんな脳内麻薬全開で常にエキサイトしてるイカレガキを泊めなくてはならないのか。

「ふーん、へぇー、そうですか、そうでございますか。そういう気ならこっちにも考えがあるからいいよ。」
「・・・・・・?」


ラスカはおもむろに人差し指を唇の前に持っていくと、唾を指先につけ、それを目の周囲に塗る。
そのままこの世の終わりかとも思えるほどの悲しそうな表情をつくり、懐から取り出した携帯で写真を撮る。
唾で濡れたその顔は、丁度泣き顔のように見えた。
次に、ラスカは怪訝そうな顔で突然の奇行を眺めている僕を撮影。
パシャ、という音と共にフラッシュが炊かれる。
そして自信満々といった風情で僕を見ると、口を開く。

「この二つの写真であちこちの掲示板に「ロリコンにいたずらされそうです><」ってスレ立ててやる。」

等と、とんでもない事を抜かす目の前のクソガキ。
今すぐこの場で切りつけて、息の根とその行動を止めてやろうかと、冗談無しに思った。

「ちょ、おま、待て。マジ待て、頼むから待て。」

僕は携帯を操作するラスカにむけて必死に懇願する。
が、ラスカは意地が悪そうに笑いながら、追い詰めた獲物を少しずついたぶる様に言葉を紡ぐ。
「鬼の首でもとったような」という言葉があるが、まさにそれだ。




「泊めるか泊めないか、今すぐ決めないとこのスレが立っちまう事になるぜ、ボウヤ。」
「誰がボウヤだお。わかったから今すぐやめてくれお!」
「『是非ともラスカ様に一晩の宿を貸す光栄を承りたいです』はい、言ってごらん。」
「ちょwwwwwwww。」
「まだ立場が分かっていないようね。ちゃんと言えるまでこの写真は削除しないわよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」

僕はなんでこんな状況に陥っているのだろう。
頭が痛くなってきた。
結局、僕はこのイカレガキを家に連れて行くことになった。
最終的に、僕があの台詞を言わされたのかどうかについては言いたくない。
それで察して欲しい。








「うわっ!!!広っ!!!静かっ!!!誰も居ないし!!!何?一人暮らし?一人暮らし?」

家の鍵を開けるなり、ラスカは勝手に人の家に上がっていく。
それも土足で。

「うっせ。部屋ならいくつも空いてるから好きなの使えばいいお。あと靴脱げ。」
「じゃあここ!!!!!!」

そう言ってラスカが指を差したのは生前に父が使っていた部屋だった。
それを見て、僕はその場で凍りつく。
ラスカが扉を開くと、そこには父が死んだ日から何一つ物を動かしていない、あの日のままの部屋。
固まった僕を怪訝そうにラスカが振り返る。

「何?どったの?」
「・・・・・・悪いけど、その部屋はダメだお。」

僕がなんとか喉の奥から搾り出すように声を発する。
ラスカも僕の様子から何かを察したのか、深く追求する事無く「ふぅん」とだけ言うと、別の部屋を見に行った。
どうやら頭が弱くて痛々しいわけでなく、他人の事情とか人付き合いでの距離の測り方はわかる子らしい。




「・・・・・・・・・・・・。」

僕は今は誰も使うものの居ない父の部屋の扉を閉じた。
父の部屋の机には、うっすらと埃が積もっている。
僕はあれ以来、父の部屋に入っていない。
父が死んだことを認めたくなかったのかもしれない。
いや違う。
僕は分かっている。
父は死んで、腐って、葬儀場で焼かれて、葬式も済ませた。
僕はきっと、父の居たこの空間を誰にも触れられず、変わることなく保存しておきたかったのだろう。
この部屋に残った父の気配や名残を、そのままにして置きたかったのだろう。
そう、この部屋は僕にとって聖域なのだ。
決して犯されるべきでない場所。
不可侵の聖域。

「・・・・・・・・・・・・つまんない干渉だけどね。」

誰とも無しに呟いて、僕は自分の部屋に向かう。
使う部屋を決めたらしいラスカが騒いでいるのを聞きながら、部屋のドア越しに話しかける。





「枕と敷布団と羽根布団はそこのクローゼットの下の方、毛布はたんすの中でビニールに入ったままになってるから自分で敷いとけお。」

部屋の中から「りょーかーい」という声が聞こえる。
僕はため息をつくと、自分の部屋に入り、着替えもせずに布団の中にもぐりこむ。
なんだか異様に疲れる一日だった。
早く眠って忘れよう。
眠ればきっと全て忘れてる。
ただ、心地.いいだけの睡眠の世界へ・・・。

眠りは、唐突にやってきた。
僕は睡魔に逆らわずに、泥の中に沈みこむように眠った。












早朝。
僕は起きるなりラスカが使っているはずの部屋をノックする。
が、返事は無い。
僕がドアを開けると、そこには普段どおりの空き部屋が広がっていた。
片付けられたのか、最初から使わなかったのか、布団はきちんと箪笥やクローゼットの中にしまわれている。
昨日のあれは夢だったのだろうか。
そう思いつつ、日課とも言えるVIPのスレッドチェックを行う僕は、きっとネット廃人のVIPジャンキーなのだろう。
今日もVIPはクソスレで埋まっていた。

「どのアニメキャラのどの内臓抉りたい?僕は神山満月ちゃんの膵臓!」
「このスレ開いた奴は負け組み」
「俺もついに就職できたぜwww」
「ロリコンにいたずらされそうです><」
「ジーンズの女はヤれる 」
「すげえ事思いついたwww」

そこまで見て、僕は慌てて不吉なスレタイのスレッドに視線を戻す。
何だろう、なんだかとても嫌な予感がする。
あってはならないものを見てしまったような、そんな気が・・・。
神に祈るように繰り替えしそう思いながら、再びスレッドの一覧を眺める。




「ロリコンにいたずらされそうです><」

やはり、何度見てもそのスレッドのタイトルはそう読める。

「・・・・・・・・・・・・。」

なんだろう、これは。
悪い夢でも見ているのだろうか。
僕は暗鬱とした気分でそのスレッドを開く。
すると、>>1には何かのURLが二つ。
拡張子はjpg。間違いなく何かの画像。
猛烈に嫌な予感が僕の頭の中を駆け巡るが、僕はあえてそれを無視してURLをクリック。
そこには見覚えのある画像。
ラスカの泣き顔と、戸惑っている僕の顔。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

どうやら、昨日の事は夢ではなかったらしい。
僕の目の端に液体が溜まった。
多分それは、この世界で最も純粋で汚れの無い涙だろう。


「私はね、死ぬことに決めたよ。」

その日、校門前の登校ラッシュの中で、部長は僕に会うなりそう言った。
僕はあの部室での一見以来、部活に参加していない。
たまに校内で部長とすれ違っても、一言も発することなく通り過ぎた。
なんとなく、気まずかった。
だが、今日の部長はそんな事など忘れてしまったかのように、妙に晴れやかな顔をして話しかけてきた。
今までのしがらみも悩みも無くなったかのような、そんな顔で。

――――なんだろうか、この違和感は。

自由。
部長の顔に浮かんでいたのはまさにそれだった。
何かから解き放たれた、何も自分を縛る物が無いような、そんな自由さが全身からあふれ出していた。
そしてそのあふれ出す”自由さ”のなかで、本当に純粋に、ごくごく自然に笑っていた。
「笑うために笑っている」とでも言えばいいのだろうか。ともかく、「可笑しいから」「楽しいから」といった理由無しに、ただ笑っているのだった。

「じゃあね、内藤君。」

そう言って先輩が背を向けて僕から離れていった時になって、やっと僕はその違和感の正体に気がついた。
僕にむけて話しかけてきた先輩の胸には、確かに最近まであった鍵穴が無くなっていた。

「・・・・・・・・・・・・。」

心の底から笑う先輩にかける言葉も無く、僕はただその後姿を見送った。




だからと言って、僕が先輩の自殺を止める理由は無い。
死にたいと言ってる奴は勝手に死なせておけばいい。
そもそも、胸に鍵穴があったかどうかも、よく覚えていない。
僕のみ間違えだったのかもしれない。

「内藤、今日空いてるか?」

ギコとショボが僕の机までやってきて話しかけてきた。
僕はちょうど帰りのHRを終えて、鞄にノートと筆記用具を詰めているところだ。
教科書は毎日持ち歩くのが面倒なので机の中に入れっぱなしにしてある。
宿題のある教科だけは持って帰るが、面倒なので問題だけ適当にノートに写して、教科書を置いていく事も少なくない。

「いいお。でも二人とも部活があるんじゃないのかお?」

僕が聞くと、二人は「今日は部活の顧問が休みだからサボッててもバレない」と言った。
先輩たちも殆どサボっているのだとか。

「でも、何処行くんだお?」
「カラオケ行こうぜ、カラオケ。オレの美声に酔いしれろ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「なんで黙るの?喧嘩売ってんの?お前ら。」
「悪いけど今日はあまり現金の持ち合わせが無いんだ。」
「ショボ、いくら持ってんの?」


ギコがそう聞くと、ショボは制服のポケットの中を漁る。
チャリチャリ、という小銭のぶつかり合う音。
しばらくポケットの中をかき混ぜていたショボは、やがて小銭を掴んだ手を出して、手のひらを広げる。

「430円。」
「うわ、しょぼっ!ショボ、しょぼっ!」
「煩いな、サイフ忘れてきたんだよ。」
「でも、荒巻の兄貴がバイトしてるカラオケって一人四百円でおkだったはずだお。」
「じゃあそこでいいじゃん。」
「あそこのジュース、味が薄くて嫌いなんだけどなあ・・・。」
「贅沢いうなお、ショボ。」

僕らは学校から出て、歩きながら言葉を交わす。

「・・・・・・・・・・・・。」

言葉を交わしながらも、僕は今朝の部長の事を考えていた。
ぼーっとしていた僕にギコが話しかける。

「―――なあ、なあって!聞いてるか?内藤!」
「あ、ごめんだお、ちょっとぼうっとしてたお。」

ギコが僕へ呆れたような視線を向けると、ショボが口を開いた。

「内藤、まだ周囲の音を脳内遮断するのは早い。ギコの歌が始まってからだ。」
「なあ、ショボ。おまえ絶対俺に喧嘩売ってるだろ?」



そんな事を話しているうちに、目的のカラオケの入っているビルへと辿り着いた。
僕らは店番をしていた僕らよりも年上の店員の言うとおり、名簿に名前を書いて、四百円を払う。
一時間で四百円でドリンク付きなら、それなりに安いのだが、部屋が滅茶苦茶に狭く、防音もあまりしっかりされていないので妥当な値段だとも思う。
そして、僕らはビルの上の階へと登り、店員に言われた番号の部屋に入る。

「相変わらず狭いな、ここ。」
「一時間三百円ならもっと利用するんだがね。」
「そんな事より、誰がドリンクバーからドリンク持ってくるか、ジャンケンで決めるお。」

ここのドリンクはセルフサービスだ。
店員が人数分くれるガラスのコップに、カウンターの側におかれたドリンクバーからジュースを注がなければならない。
最初はグー、で初めて一斉に手を前に出す。
僕とショボがパー。ギコがグー。

「なんだよ、オレかよ。」
「僕はコーラがいいお。」
「ジンジャーエール頼む。」

そう言ってギコはしぶしぶ部屋から出て行く。
ギコはジャンケンをするとかならずグーを出すのだが、本人は気づいていないらしい。
ショボは、「最初はグー」の時にグーを出してから手動かさずに済むからだろう、怠け者のギコらしい、と言っていた。



「今の内にどんどん曲を入れてやれ。」

そう言ってショボが歌の番号が書かれたカタログを眺めながら、チャンネルで番号を入力していく。
よほどギコの歌が聞きたく無いのだろう。
僕もショボに倣って歌の番号をいれていく。
数分の後、ギコが黒い色をした炭酸の液体と、透明な液体、それに自分のカルピスを持ってきた。

「なんだよ、なんでお前等そんなに歌連チャンしてんだよ。」
「ギコの歌聞きたく無いから」
「ちょwwwショボwwwおま、正直すぎだおwww」

ギコは負けじとオレンジレンジの歌をどんどん予約していく。
僕はそんな様子を可笑しそうに眺めながら、ギコの持ってきたコーラに口をつける。
瞬間、口の中に広がる奇妙な味。
反射的に口に含んだコーラを吐き出してしまう。

「うわ、汚っ!」
「ギコ、おまえ僕のコップに何入れたお?」
「別に、ジュース全部入れて、色つけるために置いてあった醤油入れただけ。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」


半眼で睨みつける僕に対して、ギコは悪びれた様子も無く答える。
そんなギコに突き刺さる、僕とショボの冷たい視線。

「よく、飲み放題のドリンクバーでジュース前種類混ぜる奴いるけど、おまえ・・・ まさか僕のにも変なの入れてないだろうな?」
「なんだよ、そんな目でみるなよ。内藤も勿体無いから全部飲めよ。」
「ギコ、自分で飲んでみるといいお。人間の飲み物じゃなお、これは。」

ギコは僕の台詞を一笑に付し、僕のドリンクに口をつける。
瞬間、ドリンクを飲み込んだギコが咽た。
ゲホゲホ、と激しくせきをしながら、目を真っ赤にして下を向く。
ショボが無言でギコの背中をさすってやる。

「まじぃ・・・・。誰だよ、こんなジュース作ったのは!!」
「いや、普通におまえだと思うが。」

そんなこんなで時間は過ぎていった。





狭い個室の中に、ギコの歌が響く。
あれから一時間がたって、さっさと帰ろうとした僕達を引き止めたのはギコだった。
まだ歌い足りないから。そう言って「もう金が無い」と言って帰ろうとするショボの分を、自腹で払ってまでギコはカラオケを続けたがった。
そうして、延長のための料金を払ってから三十分が過ぎていた。

「Search for a beautiful day〜,and everyday〜, and everyday〜、」

何度聞いても、やっぱりギコの歌は調子っぱずれで下手糞だった。
音痴だとか、そういうレベルではない。
音程が外れているだけでなく、歌詞までものすごいジャパニーズイングリッシュ。
普通、歌ではそれなりに気取ってはネイティブっぽい発音をしてみたりするものなのだが、
ギコは全くそんなことはしていない。「さーちふぉーあびゅーてぃふるでい」と、完全にひらがな変換しても大丈夫な程。
しかし、ここまで下手なのはある意味才能だとすら思う。
僕の隣ではショボが二杯目のジュースを飲みながら「あー、やっぱりここのジュース味薄い」とぼやいている。

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

一方、僕は歌いもせず、かといってドリンクも飲まずに天井を見上げていた。
僕の頭の中では部長のあの台詞がずっと響いている。

―――私はね、死ぬことに決めたよ。

・・・・・・・・・・・・。何なのだろうか。
僕は一体、何をこんなに気にしているのだろうか。
部長が死にたいというのなら僕には干渉する理由など無いはずだ。
本人が死にたいというのなら、勝手に死なせておけばいい。
そのはずだ。
だが、僕の脳裏によぎるのは、部長の純粋な笑顔と鍵穴の無い胸。


「・・・・・・・・・・・・・・・。」

僕は何故あの時、部長が部室で死にたいと泣き喚いた時にあれほど怒ったのだろうか。
死にたい奴が死にたいという事など、僕にはどうでもいい事のはずだ。
死ねるはずもないのに死ぬなどと喚いていて鬱陶しかったから?
人が悩みながら生きているのに、そんなのお構い無しで逃げようとしていたから?
それとも、単純に思春期丸出しの電波気取ってる痛々しい奴を打ちのめしてやりたかっただけなのだろうか。
いや、どれも違う、ような気がする。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

では、あれが部長ではなく、ツンだったらどうなのだろうか。
考えただけで、気分が悪くなった。
死にたいなどといって、逃げ回るツンなど見たくなかったし、ツンが死ぬという事自体、考えたくなかった。
そこに思い至って、ようやく僕は自分があれほど怒った理由を理解した。
あれが部長だったからこそ、僕はあれほど頭に来たのだ。
どうでもいい、初対面の人間や嫌いな人間なら関わらずに放っておいた。
僕はあの学校の後の二時間程度の部活動の中で、まだ始めてから一ヶ月程度しか経っていない部活動の中で、
僅かな時間だけでもあの心地良い、穏やかな時間を共有した部長が死ぬ等という事は考えたくなかったのだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・悪いけど、用事を思い出したお。」

僕は立ち上がると、それだけ告げてカラオケの個室を出た。


ギコもショボも呆然としている。
ギコなど、歌っている途中なのに歌うのを止めている。
だが、僕は二人を振り返らずに、カラオケ店の入っているビルの階段を駆け下りた。
最後は面倒になって、七段ほど一気に飛び降りた。
丁度、ビルの階段に足を踏み入れようとしていた数人の集団の前に着地。
彼等が驚いて僕を見るが、僕は構わずに駆け出す。
もちろん、目指すは学校。
時刻は五時五十分。
冬の五時五十分と言えば、もう日は沈んでいる。
冷たい空気の暗闇の中を、僕は荒い息をついて走りぬけた。
僕の学校で部活が終るのは六時だ。
六時丁度に鐘が鳴って、部活の終了時間を告げる。
そして、部長は僕の知る限り、一度も部活動をサボった事が無い。
変に律儀な人で、必ず誰よりも早く部室に居て、鐘が鳴ると自分以外の人間が部室から出るのを確認して、施錠をしてから帰る。
そんな部長が、今日の部活動に参加していないとは考えられなかった。
六時に金が鳴って、
僕の居たカラオケ店から、学校までは普通に歩けば25分。
走ればなんとかギリギリ15分で行ける。
2ちゃんねらーになって身体能力が格段に上がっている僕ならさらに短い時間で走り抜ける事が可能なはずだ。
間に合ってくれ。
ただただそれだけを頭の中で繰り返しながら。
僕は必死に走った。
何のために?
部長には、死んで欲しくなかった。
走る理由はそれで十分だった。



やがて、学校が見えてきた。
明かりは消えている。
僕はあわてて携帯で時間を確認。
時間は六時二分過ぎ。
遅かったのだろうか。
部活を終えて校門から出てくる生徒の波に逆らって、僕は学校の敷地内に入る。
部室を目指して部室棟に足を踏み入れる。
階段を三段飛ばしで上っていき、廊下を駆け抜け、部室の前に行く。
部室のドアに手をかけるが、鍵が閉まっている。
ドアについている窓ガラスから中を覗くが、中には誰も居ない。
先輩が中で首をつっていたり、リストカットしていたりという様子も無い。
―――畜生!
そう思った瞬間、僕の耳が一つの音を捉えた。
階段を上っていくような、規則的な、それでいて少しずつ遠ざかっていくような音。
僕は音の発生源を追って、部室棟の階段を再び三段飛ばしに登っていった。
屋上に向けて。
―――まだだ、まだ間に合う。
自分にひたすらそう言い聞かせて、階段を上っていくと、やがて屋上へと続く扉が見えてきた。
僕にはそれが、天国の扉に見えた。
まさにStairway to heaven。天国への階段。
僕はそれを登っていく。
屋上への扉の前には、外されたダイヤル式の鍵が落ちている。
ここではなく、本校舎の方の屋上の鍵の番号427(死にな)が僕の頭をよぎる。
―――悪い冗談だ。
本当に、悪い冗談だぜ、神様!
僕は無我夢中でドアを開けると、そこには見知った後姿が会った。



「部長!!!」

間違いなく、疑う余地も無く、どう見ても部長だった。
今朝見たばかりの後姿。
長い黒髪と、一度も日に当たったことが無いのではと思うような白い肌。
部長はすでに、屋上のフェンスの向こう側に居た。
今すぐ走り寄っても、間に合わない。
だから僕は叫んだ。
力の限り、腹のそこから叫んだ。

「部長ッ!!!佐伯美鈴部長ッッ!!!!!」

すると、先輩が振り返った。
呆気にとられたような、驚いたような顔で、目をぱちぱちと瞬かせた。
その胸には、やはり鍵穴が無い。
間違いなく、”開いて”いる。
2ちゃんねらーになっている以上、もう部長は今までの部長ではない。
僕のように、あるいはツンのように、どこかが壊れてしまっている。
今までの常識は通じないし、言葉も届かないかもしれない。
それでも僕は叫んだ。

「部長ッ!!!僕はあなたに――――、貴方に死んで欲しくない!!」




僕の叫びは部長に届いたようだった。
部長は僕に向けて笑うと―――ああ、畜生、なんでそんなに透明に、純粋に、綺麗に笑えるんだ―――口を開いた。

「・・・名前、」
「・・・?」
「名前、覚えておいてくれたようだね。私は嬉しいよ、内藤君。」
「・・・・・・・・・・・・ッ!!!!!!!」

僕はその部長の笑顔を見て、全てを悟った。
僕にはもう、部長をとめることは出来ない。
僕は遅すぎたのだ。
部長が屋上のフェンスを乗り越える前に追いついて、無理矢理にでも引き剥がしてやらなければならなかった。
もっと早く決断してカラオケを飛び出していれば、こんな事にはならなかったのかもしれないのに。
僕の後悔など他所に、部長は体を虚空へと投げ出した。
部長の背後には、もちろん床など無い。
ただ、夜の暗闇と学校の校舎の景色が広がるだけだ。

「ありがとう、内藤君。死んで欲しくないってのは、嬉しかったよ。」

先輩がそう呟いた。
大して大きな声ではなかったが、夜の風に乗ってそれは屋上の入り口に立ったままの僕にまで聞こえてきた。



僕は駆け出した。
部長に向けて駆け出した。
間に合わないとか、手遅れだとか、そういう考えは浮かばなかった。
部長の体が重力にひかれて自由落下をはじめる。
僕は屋上のフェンスまでの残り五メートルほどを一足飛びに跳躍。
屋上のフェンスに組み付く。
が、そこまでだった。
部長は満足そうに、しかしどこか厭世的に笑っていた。
死を甘受し、全てから解放されるような、本当にそれを待ち望んでいたような笑顔。
その笑顔を残したまま、部長は頭からコンクリートの地面に激突した。
誰がどう見ても即死だった。
僕は――――







――――間に合わなかった。


今日もカーテンの隙間から差し込む日差しで目が覚めた。
一体どこが悪いのか、僕の部屋のカーテンはどれだけ完全に閉めようとしても隙間が空いてしまう。
いい加減、買い替え時なのかもしれない。
そんなことを考えていても、思い浮かぶのは昨日の部長の死体。
人間の体の六十パーセントは水分なのだと言う。
なるほど、三階建ての部室棟の屋上、高さは14メートル程だろう、
そこからその下のコンクリートで作られた歩道に頭から落ちていった部長の体はトマトが潰れるように飛び散り、コンクリートの地面に張り付き、こびり付いていた。
あの後は警察が来たりといろいろ大変だったので、僕はその場から逃げ出した。
幸い、誰も屋上に立つ僕の姿を見ていなかったようで、何の連絡もお咎めも無い。
部長が死んだというのに、保身のことを考えている自分が心底嫌になった。

「・・・・・・・・・・・・。」

あの時、死ぬ寸前に部長が見せた笑顔。
死を甘受するような嬉しそうなだけでなく、皮肉げな、世の中全てを馬鹿にするような笑顔。
あれは、この世のすべてに対して哂っていたのだ。
哂いながら、問いかけていたのだ。
そんなに必死に生きてて、何になるのか。
お前らの人生に意味などあるのか。
あの時、部室で泣きながらわめいていた事を、世界中に向けて問うていたのだ。


あの部長の笑顔は言っていた。
お前らはこんな簡単なことも出来ない、と。
お前らはただ、何の覚悟もする間もなく生まれてきて、自ら人生を終らせる事も無く、ただただ、何の覚悟も無くだらだらと惰性の中で日常を消化していくのみだと。
僕には部長の選択が、自殺が部長にとって本当に最良の道だったのか分からない。
僕は部長のあの笑顔へ答えられるだけの言葉を持たない。
僕には、あの部長を止められるだけの何かが無かった。
そして、きっとこれからも僕は部長のあの笑顔に答えをあげる事はできないだろう。
それでも僕等はきっと生きていく。
面倒だけれど、大変だけれど、本当にどうしようもないほど馬鹿馬鹿しくてくだらないけど。
それでも僕等は生きていく。
何時か、先輩のあの笑顔を馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばす事が出来る日が来る事を信じて。












第九話・完



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